仮説雑貨商1周年記念作品
Revenge of Intangible
それは季節で言えば秋から冬へと向かう頃であった。
そして時で言えば後の世で江戸と呼ばれた頃であった。
「どうしても・・・やりなさるのか・・・」
借り入れを終えた田畑から続く山々を飾っていた紅葉もその彩を無くし、時折木枯らしを
纏う様相も見せ始めた頃であった。
「正直大過無くとも思ったこともあったがな・・・やはりそうも行くまい。」
その光景の片隅にある集落の更に片隅に一軒の寺があった。
山々に抜ける獣道の片隅に間借りするかの如く建てられた小さな寺であった。
「・・・拙僧が未熟故、申し訳ないことをした。」
その寺の僅かな敷地内で二人の人間が話していた。
一人は法衣に身を包んだ老人・・・この寺の住職にして唯一の住人であった。
「何を言う。御坊は立派に役目を果たされておるではないか・・・それにこれは元々儂が
その責を負うべきこと・・・何も気に病む必要も無いわ。」
もう一人はそう言いながら明る気な表情を老僧に向けた。
50代に差しかからんとするやや草臥れた風貌の男だった。
中肉中背の、取り立てて言及する程の外見は有していない男だった。
ただ、そのがっしりとした肉体と何処か愛嬌さえ感じる表情が不思議と接する者に安堵を
与えるような男であった。
「・・・もう一度・・・いや何度でも話してみるが。」
「元々侍はこういう生き物での。故に侍である儂が己の責から逃げたとあってはあの世で
閻魔殿に会わす顔が無いしの。」
男はそう言って腰に下げた大刀の塚を心持ち軽く上へと向けた。
その仕草には幾分自己やその同類に対する微かなからかいが感じられるようだった。
「・・・」
「では案内を頼む。それと済まぬが見届けと・・・弔いを頼む・・・」
そして二人はそれを最後に一言も話さないまま歩いて行き、やがてその目的地である寺の
裏手・・・多くの墓が立ち並ぶその横に新たな屍を待つために設けられた小さな空き地に
たどり着いた。
「お主か?」
そして男はそう言葉を発した。
その場に立つ一人の人物に向けて話した言葉だった。
「・・・そうだ。」
若々しい・・・いや幼ささえ感じる声であった。
年の頃は12かそこら、元服はおろか声変わりさえ終えていない少年であった。
「お主の書状に従いこうして来たぞ。」
「・・・卑劣な手段で我が父を忙殺したにしては正直だな。」
少年はそう言うと腰の白刃を抜き、男に向かって一直線に構えた。
それはまるで白装束に包うだ己の体躯が産む微かな震えを押さえんとするかのようだった。
「これでもまだ武士のつもりなのでな・・・お主こそ一人か?」
「・・・母は旅の途中で病に倒れた・・・私一人だ・・・」
そう言うと少年は幾ばくかの合間言葉を止めた。
木枯らしがその場に音をもたらすだけとなっていた。
「・・・そうか・・・」
男は誰に聞かせるでもないその一言を小さく呟いた。
目の前から己に向けて発せられる殺気にすら憐憫を感じているかのようだった。
「始める前に言っておくが儂も一人で・・・おお、この御坊には立ち会い人と後のことを
頼んでおるだけじゃからその辺は安心せい。」
「・・・解った。」
「そうか・・・では始めるかの。」
そう言うと男も腰の大刀を抜き片手で下げるように構えた。
それは少年の真新しい白刃に比べて侍故の無数とも言える業を染みつかせた刃であった。
「うっ・・・」
少年はそう短く呻くとそのまま歩を進めようとはしなかった。
「・・・どうした?」
「・・・」
「臆したか?」
「・・・そ、そのような・・・ことは・・・」
それきり少年は言葉を途切れさせた。
その体躯からは震えが、そして表情に蒼白が浮かびつつあるのが端からも見て取れた。
・・・やれやれ・・・仕方が無いのう・・・
その様子に男は僅かに困ったような表情を作った。
そして短い沈黙の後、改めて言葉を発した。
「そうか・・・ならばとっとと来ぬかこの腰抜け童っぱが!」
「!」
それは先ほどとは打って変わった激しい口調だった。
男を良く知る立ち会い人たる老僧が一瞬驚きの表情を作るほどの口調だった。
「な、なんだと・・・」
その口調に少年の表情も驚きへと変わっていた。
そして、恐れの色は幾分引き始めていていた。
・・・ほう、挑発に乗るのはまだまだ青いが・・・思ったよりはましのようじゃの・・・
「聞こえなかったかこの聾が!仮にも白刃を抜き放って置いてその様は何じゃ!」
「くっ!」
「父の敵を目前にして一太刀どころか一歩も進めない様ではお主は武士とは言えんわ!」
罵倒が響いていた。
言葉が少年に向かって無形の刃となって降りかかっていた。
・・・もう一息かのう・・・
「・・・ええい糞!武士の振りをした腰抜けの言に応じて来た儂が愚かであった!」
「・・・もう一度・・・もう一度言って見ろ!」
「はは、まだ言わねばならぬとは阿呆その物じゃな・・・無駄な時間を過ごしたものじゃ!
御坊!すまぬが儂はここで帰らせて貰うぞ!」
そう言い放つと男は抜いた刀を再び鞘に納めそのまま少年に背を向けた・・・その瞬間!
「ふざけるなぁぁぁぁ!」
怒号!
そして走音!
「いかぁん!!!」
その一部始終を視界に納めた老僧が思わず叫ぶ!
「父の敵ぃぃぃぃ!」
走る!
少年がまるで堰を切ったが如くその感情のまま体躯を走らせる!
迫る!
その切っ先が迫る!
無防備としか取れない男の背中に向かって殺意の先端が突き進む!
だが!
「なっ!」
瞬間!
抜刀!
その切っ先が死界に入らんとした正にその瞬間振り返った男がいきなり腰の刀を抜く!
火花!
金属音!
その生み出された恐るべき弧の力が少年の刀身を一気に薙ぎ払う!
「がっ!」
弾く!
その幼い刀身を一気に弾く!
倒す!
その力に耐えきれ無かった少年はそのまま地面に弾き倒される!
「ほう、その様でも刀は手放さぬか。立派立派・・・じゃが仮にも武士が相手を背中から
斬りかかろうとしたのじゃ・・・もはや童っぱとて許しは無いと思え!」
「も・・・元より・・・お前なぞに・・・許して貰うつもりは・・・」
一瞬の出来事に恐怖すら通り越した状況に置かれていた少年は肩で息をしながらも、男の
言葉にそれだけの反応を返すまでになっていた。
「良い覚悟じゃ!」
そう言い放つと男は少年の倒れた方へ駆け寄りその顔面に向かって大刀を振り下す!
一刀!
二刀!
三刀!
少年はその幼ささえ残る顔面を守ろうと刀を両手で支えなら必死でその力を防いでいた。
・・・だがその力は既に限界に来ていた!
そして・・・留めの四刀!・・・だが!
「むっ!?」
その瞬間男はそう思わず口にした。
少年に向かって振り下ろされたその勢いは地面を剔っていた。
そこに少年の姿は既に無かった。
そして近場の岩を蹴ることでその体躯を頭方へ移動させた少年は既に立ち上がっていた!
「食らえぇぇぇぇ!」
同時!
打ち付けたままの姿勢の男の後頭部に白刃の気配が突き刺さる!
咄嗟!
男は後ろに体躯を下げる!
その鼻先を白刃が駆け抜ける!
だが!
・・・はは、やりおったな・・・
その白刃は違っていた。
それは少年が構えていた大刀ではなく投げ放った刃であった。
柄に鮮やかな細工がされた恐らくは少年の母の形見であろう懐剣であった。
そして少年の大刀は・・・その時生じた僅隙の合間を縫って切っ先を走らせ続けていた!
・・・
・・・その時、男の脳裏にある情景が浮かんだ。
それは以前に獣に襲われ重傷を負った一人の侍を沢で見つけた時のことであった。
男は長の病に伏せる妻と子を抱える身でありながら家へ連れ帰りその侍を介抱した。
その侍はその時所持していた大枚と言える金子を男に手渡すと申し出た。
何故そうしたのかは解らない。
ひょっとしたら病人を抱えた貧乏所帯の身で行き倒れ同然の己を見捨てなかったことへの
礼のつもりだったのか、あるいは己の命数を知り、最後に善行の一つでもして仏の心証を
良くしようとでも薄れ行く意識の中で考えたのかも知れない。
結局その侍は夜明けを待たずして事切れ、その金子と・・・ある確約だけが残った。
それは大枚過ぎる金子を受け取ることに難色を示した男にその侍が行った申し出・・・
「いずれ仇討ちに来るであろう相手に代わりに討たれてくれ。」
男は己の命と引き替えということでその金子を受け取り妻子の医者代へと充てた。
・・・奇策の類じゃが・・・見事と言っておくぞ・・・
そして・・・その場を再び静寂が包んだ・・・
・・・そして・・・数日後・・・
そこは先日のあの一件があった場所だった。
小さな墓石と卒塔婆が立っていた。
線香の立ちこめる煙に乗るように念仏が唱えられていた。
やがて、念仏が終わりそれを唱えていた老僧が変わりに呟くように話し出した。
「・・・幾ら討たれるべき相手に恩義があったとは言え、責無き身でそこまとは・・・」
「あの者に儂は渡された金子で命を売ったからの。死人に金はもう返せぬしな。」
その傍らから添うような言葉が聞こえてきた。
老僧より少し下がったところに立つ・・・あの男であった。
「・・・侍とはそういうものかの。」
「そうじゃ、破ってももはや誰にも責められない確約を愚かにも果たそうとしたり・・・
そしてその本懐を遂げるまで・・・たとえ亡霊になってもこの世に留まったりとな・・・
はは、全く愚かとしか言いようがないの。」
男は自嘲気味にそういうと墓石に向かって両手を逢わせた。
その下には半月前に病に倒れ、結局そのままこの地で命を失ったある少年が眠っていた。
・・・途中で剣と共に消失したのは勝ったと思った満足からか・・・
・・・甘いぞ。目では無く刃によって勝ち時を知らねばならぬものじゃぞ・・・
・・・じゃが・・・間違いなくお主の勝ちじゃ・・・大手を振って冥土を渡るがよい。
老僧は両手を合わせたままの男をじっと見ていた。
そして再び墓へと向かうと、男の心言に合わせるように念仏を唱え始めた・・・