...In several years(今より何年か後・・・)

 

 

 

 

 

 

星光が灯されていた。

深夜という名の世界を覆うように大小の光を放っていた。

 

その下に集落の一群があった。

その規模から抱える人口は千単位で数えられそうな集落だった。

そしてこの時間に相応しい微かな寝息、あるいは夜の営みによる吐息を内包していた。

 

ただ、その中にある一軒だけは少しばかり違っていた。

その二階部分の一室に昼間の如き灯りを満たしていた。

年長者の記憶にある<以前>とは違って、文明の根幹たる電力はおろかその代用品ですら

まともに供給されなくなって久しい<今>ではそれだけで豊かさの証明となり得た。

事実、その家屋は周りの家屋と違い、明らかにその規模やその造りから<屋敷>と呼ぶに

相応しいと誰にも思わせる程であり、その一室においても歴年が練られた上質の調度品や

その傍らに置かれた上質の食材による夜食等、人々が羨むであろうモノが存在していた。

 

だが、たった一つだけ・・・そうでない無いモノがあった。

 

 

 

「あなたは立派な方でした。それは私のみでなくここの全ての人々が思うことです。」

 

 

 

感慨深げな声が響いていた。

 

「あの突然の悲劇の中、気丈に理性を保ち、そして私を含む不幸に見舞われた人々に対し、

当てにならない政府を後目に自らの財によりその身の貧富に関わらず出来る限りのことを

なさって下さったことは感謝の言葉もありませんでした。」

 

20代初め頃の男性だった。

肩口に触れる程度の真っ直ぐな金髪と女性のような顔つきをしていた青年だった。

 

「本当にありがとうございました。後のことは私と・・・そして私がこれから微力ながら

支えさせて頂きますご子息にお任せしてごゆっくりお休み下さい。」

 

そう言うと青年は沈黙を作り、やがて一礼の後その部屋を立ち去った。

 

 

 

・・・そう、立ち去った。

 

青年は人工の灯火が死臭を照らす部屋を立ち去った。

もはや辛うじて人の形を保っているだけの屍が打ち捨てられた部屋を立ち去った。

この屋敷の住人の一人であることを示す衣服をどす黒く染め、血と肉片をこびり付かせた

愛用の品である細身の剣をその手に持ち、そして・・・歪んだ笑顔のまま立ち去った。

 

 

 

それは星光が灯されていた頃のことだった。

深夜という名の世界を覆うように大小の光を放っていた頃のことだった。

 

 

 

ただ、月だけが・・・まるで顔を背けんばかりに雲を纏いし夜のことだった・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Several years western

GUN SMOKE MAGICIAN

 

 

 

Epsode03:”Cipping Calix”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはある日の・・・あの夜から数千回目かの日没を迎えんとしている頃のことだった。

 

 

 

「・・・という訳だからね。」

 

それは普段と変わらないような、ごくさりげない口調だった。

それは簡素な衣服に身を包んだ40代初めの女性から発せられた言葉だった。

 

「・・・どういうことよ。」

 

何処かささくれ立った口調だった。

それはその女性と何処か似ている10代後半頃の娘から発せられた言葉だった。

 

「どういうことって?今言ったじゃない。この人をしばらくお泊めするって・・・」

「お母さん!ウチは宿屋じゃ無いわよ!」

 

更に強い口調だった。

それは母親の言葉を断ち切るように発せられた鋭い口調だった。

 

「なに?そんな大声出さなくても聞こえるわよ。」

 

だが、当の母親はそんな態度に馴れているのか先程と変わらぬ口調でそう返すだけだった。

それどころか、既にそんな態度に慣れきっている故か何処か<からかい>さえ含むような

わざと作ったような表情からその言葉は発せられていた。

 

「なんでそんな得体の知れない余所者を平気で泊めるのかって聞いてんのよ!」

「だって部屋は空いてるし・・・それに悪い人じゃなさそうだしね。」

 

そういうと母親は自分の傍らに立っていた一人の人物に笑顔を向けた。

 

 

 

「あははー、という訳でしばらくよろしくねぇ〜」

 

その人物が発した呑気としか言えない挨拶が部屋に響いた。

正面に立つその娘に自分の母親以上だと思わせるような口調だった。

 

それは20代半ば程の人物だった。

黒く澄んだ瞳と腰まで伸びた黒髪を持つ東洋人風の旅行者だった。

そして、その口調に相応しいような涼やかで明るい雰囲気を醸し出す女性だった。

 

「な、何よあんた?」

 

今まで聞き知った<余所者>とは違い過ぎるその女性に娘は一瞬言葉を詰まらせかけた。

だが、それを気取られ無いように敵視と言っても過言ではない程の視線と言葉を向けた。

 

「さっきも言ったけど、この人はサキ=ヤハギさん・・・<あんた>じゃないわ。」

 

それは先ほどとよく似た母親の口調だった。

だが明らかに娘の無礼さに対して<叱り>を含んだ口調でもあった。

 

「・・・し、知ってるわよそれくらい・・・」

「なら良いわ。」

「そ、それじゃヤハギさん・・・」

「私のことはサキで良いわよぉ〜」

 

その時、言葉を詰まらせた娘にサキはそう口にした。

それはいつもの親愛そのものの笑顔で何気なく語った一言だった。

だが、当の娘は・・・

 

「・・・あっそ、それじゃサキ。」

「なんです。呼び捨てなんて失礼よ。」

「ふん、だってサキで良いって今自分で言ったじゃない・・・何か間違ってたかしら?」

 

嘲りそのものの口調だった。

それはまるで相手を怒らせるためにだけ行うような態度そのものだった。

だが、当のサキは・・・

 

「あははー、あなたは間違ってないわよぉ〜」

「・・・へっ?」

「それより早速私の名前を覚えていただけて嬉しいわぁ〜」

 

相変わらずだった。

先ほどと全く変わらぬ楽しげな表情のままそう口にするだけだった。

 

「・・・」

 

その態度に娘は次の言葉が出なくなった。

いや、<呆れてモノが言えない>と言い換えた方が良さそうだった。

しかしそれでも消えかかる疑心を再び奮い立たせんかのように再度敵意の視線を向けた。

 

「・・・何が狙いなの?ウチは見たままの貧乏だから盗る物なんか何も無いわよ。」

「お前。人を疑うのもいい加減にしなさい!」

 

先程より強い咎めの言葉だった。

だが娘はそれに構うそぶりも見せないまま言葉を続けた。

 

「・・・ねえサキ・・・お母さんはこんなんだから騙すのは簡単だったでしょうね。」

「・・・」

「・・・まあ今夜はお母さんの顔もあるから泊めてあげるけど、私はそうは行かないから

明日にはとっとと出て行った方が身の為よ。」

 

含むような重い響きの言葉だった。

娘はサキの方へ鋭い視線を送りながら呟くように言った言葉だった。

ただ・・・それはまるでサキへというより自分に言い聞かせるような言葉でもあった。

 

「はらぁ〜、そぉなのぉ〜」

 

その言葉を受けるようにサキはそう口にした。

娘の態度を一向に気にしないような・・・呑気としか表現しようのない態度のままで。

その時。

 

「・・・!」

 

その瞬間、母親の顔に始めて驚愕が浮かんだ。

それはサキの言葉を受けて娘が反射的そのままに取った態度を目にしてであった。

 

 

 

「・・・そうよ。」

 

それはサキに向かって片手を伸ばしながら放った恫喝混じりの一言だった。

まるで剣技の教本のようにその肢体を一直線に前進させるような姿勢を取っていた。

 

勿論その伸ばした手は空を掴んでいるだけだった。

だがそうであっても不思議ではないほどの鋭利な視線をサキに向けていた。

それは熟達と言うにはやや難があるものの、それでも娘自身が無力な存在ではないことを

知らしめると共に、必要とあらば持てる力を本気で相手に行使することを厭わない・・・

この時代を生きる人間にある種相応しい覚悟を示す態度であった。

 

 

 

「・・・成る程ねぇ〜」

 

幾ばくかの沈黙の後、サキはそう口にした。

それは娘にとって何処か感心したような口調に聞こえた一言だった。

 

「解った?じゃ、私はこれから用があるから今夜だけはゆっくりしてってね。」

 

そしてその言葉に幾分満足したのか姿勢を戻しながらそうサキ達に告げた。

 

「あらぁ〜、これからお出かけぇ?・・・そろそろ暗くなるわよぉ〜」

「・・・一々あんたに説明しなきゃ行けない義理はないわ。」

「・・・お前。」

「いつものよ・・・だからご飯は先に食べてて。」

 

娘はそう言い残すと玄関の方へ歩を進め、やがて小さな扉音だけが残った・・・

 

 

 

 

 

 

 

「あんな娘でごめんなさい・・・帰ってきたらきちんと叱るわ・・・」

 

後に残った二人の内の一人・・・娘の母親が頭を下げながら呟くようにそう口にした。

それは娘が先程行った態度を心から詫びていることをそのまま表すような口調だった。

 

「あはは。まあこんなこともあるわよ・・・にしても心配の形は色々ねぇ〜」

 

後に残った二人の内のもう一人・・・サキはいつものようにそう言った。

それはいつもの・・・快活でいて労りを含んだ暖かさを響かせる言葉だった。

 

「・・・ありがとう。」

 

その言葉を受けた彼女は笑顔と共にその言葉を返した。

それは目の前の相手が娘の態度に怒るどころか、あれでも自分に対する心配をそれなりに

やっていたことを理解してくれたことや、それに単純に好感を感じてくれたことに対して、

最大限の謝辞を含めた一言だった。

 

「・・・」

 

サキはそんな彼女の姿を慈愛の瞳で静かに見ていた。

痛んだ髪を痩せた肩口まで伸ばし、やつれを交えた表情をしていた。

ただそれでも明るさを絶やさないように日々を賢明に生きる母親の姿がそこにあった。

 

「・・・ごめんなさい・・・少し休ませていただけるかしら?」

「自分の家で遠慮はいらないわよぉ〜」

 

その言葉を受けたように彼女は手近のソファーにゆっくりと、そして深く座った。

 

「・・・晩御飯はもう一寸待ってね・・・それと・・・私は見てのとおりこんなのだから

あんまり大した出来ないんだけどそれも許してね。」

 

それは溜息混じりの言葉だった。

誰が見ても疲れ切っている姿のままそれでも役目を果たそうとして発した言葉だった。

だが、その言葉を受けたサキは彼女が意図したように座って待とうとはしなかった。

 

「・・・えっ?」

 

不意に感じたその感触に母親は小さな声を響かせた。

その目の前にそっと近寄ってきたサキが腰を落として目線を合わせていた。

そして・・・立とうと力を入れかけた手をその両手で柔らかく包んでいた。

 

「・・・ここは宿屋じゃ無かったわよねぇ〜」

「・・・だ、駄目よ。仮にもお客様にそこまでさせられないわ。」

「あらぁ〜、私は良い機会だからって思っただけよぉ〜」

「・・・えっ?」

「だぁってぇ〜、たまにはお料理しないと忘れるかも知れないものぉ〜」

 

そう言うとサキは彼女の手をそっと膝に戻し、そして軽やかにキッチンへと向かっていた。

 

 

 

「・・・」

 

それからの様子を彼女は目に入れていた。

初めて来た筈のキッチンに立つというのに自分の若い頃、いや自分が知る誰よりも遙かに

手際よく作業を進める姿を何処か不思議そうに目に入れていた。

そしてその光景から何となく今日の昼のことを脳裏に浮かばせていた。

 

ここから歩いて1時間かかる小さな駅周辺で珍しく立った市に出掛けたこと。

更に珍しいことに自分達が欲していた物資が揃っていたことに単純に喜んだこと。

そして店前に立った途端に自分の貧しい姿に値を吊り上げられる仕打ちを受けたこと。

 

そして・・・正にその時だったこと。

それはたまたまその駅までの列車に乗り、そしてその場に通りすがっただけであるのに、

先程と同様の冗談めかした言葉を笑顔で放ちつつ無償でその手を差し伸べてくれた・・・

 

そう、たったそれだけのことだった。

ありふれた・・・人によってはどうということもない出来事の一つだった。

だがその彼女にとってはその手で自分の顔を覆うには充分すぎる程の久しいことであった。

 

「・・・ありがとう。」

 

呟くような微かな響きの声だった。

それはあの厄災がもたらした不意の爆撃で伴侶を亡くした際、まだ幼かった娘を庇って、

そして・・・失わなかった方の腕を嗚咽で微かに揺らしながら響かせた言葉だった・・・

 

 

 

 

 

 

 

それから・・・幾ばくかの時が流れた深夜のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・それと、あなた方昨日の夜半前頃、今泊まっている家近くで通りすがりの男性に

酔った勢いか何か知りませんが乱暴を働きましたね。」

 

そんな声が響いていた。

集落の端辺りに設けられた、広場と呼ぶにはやや小規模な空間に響いていた。

ほんの少し前まで洩れていた集落からの灯火も日々の単調な日常の終わりと共に途絶え、

屋外で目に出来る灯りは天空のそれを残すのみとなっていた頃だった。

 

「・・・」

 

その声に10代後半程の数人の少年達が憮然とした表情を作った。

そしてその性質を表すかのような脅しめいた表情を声の主に無言で向けた。

しかしその声の主はそれを気にする様子も無く、やはり先程と同様の口調で話を続けた。

 

「そして最後に・・・あなたは一昨日の昼過ぎに一軒の家で盗みを働いていましたね。」

 

そう伝えられたのは男達の近くに立つ一人の50代程の男性だった。

だが先程の男達とは違い、その表情に恐れの色を夜色の下で露わにしていた。

そして、一通りの言葉を終えた声の主がその色を確認するかのように自分を含めて言葉を

与えた10人程を見渡すような視線を作っている声の主・・・一人の男の姿を己の視界に

写しながら立ち尽くすだけだった。

 

それは30代後半程の一人の男だった。

その大柄な体型の割に、決して高い方ではない先程の男性よりもまだ頭一つ低い身長故、

何処か冗談めいた存在という印象を受ける男だった。

 

ただ、言葉を発しながら浮かべていた表情、そして次なる言葉を発することを愉快がって

いるかの如き酷薄そうな視線は、初めて見る人間に現実的な不快さを与える男だった。

 

いや・・・それだけでは無かった。

その男性だけでは無く周りに立っていた者達にもそれは同様だったかも知れない。

 

もう一人の人物がそこにいた。

皆の認識から今に至るまで、男の傍らにまるで彫像のように微動だにせず立ち続けていた。

 

肩口まで延びるウェーブのかかった金色の髪が星灯に淡い光沢を与えられていた。

こういう時代でなければそれだけで財を築ける程の整った表情が月灯に照らされていた。

そして・・・そんな女と見まごうばかりの面姿ながら、体躯を包む機能的にまとめられた

衣服が浮かばせる引き締まった影が、その人物を男性であることを証明していた。

 

「・・・」

 

終始無言だった。

どちらかと言えば漏弁と言える傍らの男とはその点でも対照的だった。

実際、傍らの男とはその体型や顔つき等、外観上の共通点は何もなかった。

 

ただ・・・

 

その腰に下げた細身の剣と思しき陰影に手をかけながら、正面の全員に放ち続けている、

まるで屠殺場の家畜に向けるかの如き薄い視線が、やはり男と同質の存在であることを

知らしめ続けているような青年だった。

 

 

 

「・・・」

 

 

 

幾ばくかの沈黙が流れた。

その存在がもたらすアンバランスさにより言いようのない重圧感を辺りに振り撒きながら、

男は何故か先程が嘘のように沈黙を続けていたからである。

 

 

 

「おい、オッサン・・・」

 

だが、その重圧感・・・いや、不快さに抗うように一人の人物が声を上げた。

 

「そんなクダんねぇことを言う為に俺らを引っかけてここまで来させたたってのか?」

 

それは明らかに恫喝の口調だった。

先ほど言葉を与えられた10代の少年達の一人が放った言葉だった。

恐らくは目の前の男の差し金であろう・・・妙齢の女性の誘いを真に受けて仲間達と共に

ここまで来た己の未熟さを激情に添加しているかの如き口調だった。

 

「いや、まだ言うことは残ってるよ。」

 

だが、その矛先となった男は先程と同様の何処か高圧的な口調で再び言葉を続け出した。

 

「・・・何だ?」

「何だと言われても・・・罪状を述べたんだから次に言うのは当然罰の内容だ。」

「罰ぅ?」

 

その単語に少年達は更に険しくさせた視線で男を睨み出した。

しかし・・・やはり男の態度は何ら変わる様子を見せなかった。

 

「ああ、君らも知ってると思うけど今は政府があんまり当てにならなくなってるからな。

でも共同生活にはやっぱり規則が必要だからこうして自分たちで決めた規則があるのさ。

・・・まあそういうのも今時珍しくはないだろ?」

 

何時の時代でも多種多様の人々が同じ場所で暮らすためには一定の規範が必要となる。

それはこの時代においても・・・いや、政府が大半の国民を事実上見捨てているに等しい

この現実の中では、集団を持って生き延びている人々にはそれは更に必要ことだった。

 

そう、男の言うことは確かにこの時代においても正しく、そして必要なことだった。

 

が・・・

 

「・・・で、俺らに対する罰ってのはどんなだい?」

「うん、最初は罰金も考えたけど君らみたいなのの懐じゃ結構難しいだろうからね・・・

だから君らが傷つけた人の傷が癒えるまでその人が行っていた労働を一人にやって貰って、

それから残った人には同じぐらいの労働をやって貰おうかと思ってるんだ。」

 

男はそう審判を告げた。

内容はある種<公正>と呼んでも差し支えないものだった。

だが、内容以前に恐らくはその性根から来るのであろう、明らかに目下の者に対する様な

物言いそのものが目の前の少年達にある感情を誘発させる言葉であった。

 

故に・・・

 

「・・・ふーん、ボクはまたここで蜂の巣にされるって思ってたのになあ・・・」

 

態とらしい口調だった。

邪悪な笑みと鋭い視線と共に少年が放った言葉だった。

 

「・・・どういう意味だ?」

「ボクは別に構わないよ。だって悪いことしたんだもんね。遠慮なくボクを撃ったら?」

「・・・」

「あ、そーかー、今朝聞いたとおりここの人たちは銃も買えない程貧乏だったねー。」

 

その言葉に少年の仲間達も続くように鋭い感情を出し始めた。

そして・・・それはこの場に連れてこられて<宣告>を受けた全員に広がっていた。

 

「・・・それが・・・どうかしたか?」

 

男は全員を前にしてそう言った。

それは先程とは打って変わったような重い口調だった。

そして・・・それは少年らの次動を誘発するに充分な響きを持っていた態度だった。

 

「どうって?・・・ンなモン、クソ食らえだってことさ!」

 

その言葉を放つと同時!

少年は羽織っていたセミロングのコートをはだけ即座に腰に手を伸ばす!

そしてそこにあった銃毎腕を戻すとその銃口を真っ直ぐに向ける!

 

 

 

だが!

 

 

 

・・・その光景を先程の50代の男性はその視界に納めていた。

その目の前で起こったことは確かに一部始終が脳裏に焼き付いていた。

だが、それは全てが終わった後の残像としてやっと認識できる程の現実だった。

 

邪悪な笑みと共に少年は引き金に力を入れかけていた。

だが、それが絞られるよりも速い速度でその延ばした腕に煌めきが走った。

 

そう、それは恐るべき俊敏さで近づくと同時にあの青年が放った煌めき・・・

あの腰に下げ、一閃と共にその手首を虚空へと斬り飛ばした一振りの剣の軌跡だった!

 

「ぐがぁぁぁぁ!」

 

その早さ故一拍子遅れた苦悶の声を少年は響かせていた。

そして続いた・・・垂直に放たれた再煌その声は永遠の沈黙となって夜色に融けていった。

 

しかし・・・そこまででもあった。

技量的にとても抗えないが、それでも男の傍らに立っていたあの青年が己の剣を振るって

少年を惨殺した現実は脳裏に残る残像を追うことでかろうじて認識は出来たが、その後に

起こった全ては脳裏に残る記憶全てを引きずり出してもその男性には理解不能だった。

 

何故なら男性の脳裏に残っていることは、何の前触れもなく少年の仲間を含む前の数人が

その頭部から生臭を伴った脳漿をぶち撒けた光景、そしてそれに目を背けた視界に写った

後ろの数人が喉から血飛沫を夜に放っていたこと・・・ただそれだけだったからである。

 

「・・・」

 

それはその男性にとって、現在病床に伏せっている年の離れた息子が好んで口にしていた、

「昔と違って闇に潜んでいた魔物が表に現れている。」から始まるこの時代故の<怪談>

例えば、『金色の目を持つ狂戮の魔少女』等の<馬鹿げた道化話>を一瞬連想させる程の

常軌を逸した現実である以外の認識を生み出し得ない出来事でしかなかった。

 

 

 

「・・・お解りいただけたかな?」

 

あの男の言葉が響いた。

常軌を逸した出来事に硬直する男性に向けられた言葉だった。

既に罪を犯した上に更なる暴力にて罰から逃れようとした者に同意を求める言葉だった。

 

 

「・・・」

 

言葉は出なかった。

人を殺めることはおろか、息子が病でなければ、あるいは所持金の大半を盗まれなければ

この場に立つことは多分無かった筈の、基本的に悪徳を容認する人物ではなかった男性は

この惨状にまるでバネ仕掛けの人形のように何度も首を縦に振るだけだった。

 

「・・・」

 

その姿に男は満面に笑みを浮かべながら男性に軽く会釈をした。

そして再びゆっくりと顔を上げたとき、その歪んだ表情のまま腕を伸ばして親指を立て、

それで軽く自らの首筋をすっと撫でて見せた。

 

恐怖のあまり反射的に銃口を向けた、不幸なだけの男性に対して。

 

 

 

・・・やがて、更け過ぎる夜に・・・一閃の煌めきが瞬いた・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっもぉにぃんぐぅ〜」

 

その声が朝の室内に響いた。

それは屋外で新鮮な光を放つ、昇ったばかりの太陽のような明るい口調だった。

 

「・・・」

 

だがその返答はベッド上からの、毛布で包んだその身体を僅かに捩る音だけだった。

それは未だ重い木扉が窓の向こうの朝を遮った、薄暗いその部屋に相応しい音だった。

 

「・・・」

「・・・」

「はぁい。」

「・・・何・・・よ・・・」

 

やがてそれでも誰かの気配を感じたのか、<毛布の中身>はくぐもった声を漏らした。

その柔らかい布越しの言葉は未だ眠りの世界の住人でいることに固執し、

それを邪魔するモノに明らかな敵意を向けるかのような・・・不機嫌な口調そのままで。

 

「・・・ひゃっ!」

 

だがその直後、声は叫びと変わって屋内に響いた。

それは<毛布の中身>・・・あの娘に声をかけた張本人がその娘の態度に動ずるどころか、

ベッド脇にある窓を解放し、そして一気に屋内を朝で満たしたからであった。

 

「あははー、良い夢見られたかしらぁ〜」

「取りあえず今は最悪よ・・・」

「そぉなのぉ〜、それじゃ今晩に御期待ねぇ〜」

「・・・」

 

会話が少し途切れた。

自分の機嫌に逆らうかのようなその態度に娘は睨んだ視線を強めた。

だが、その視線の向こうに映るのは、その腰まで伸びた黒髪を朝風に遊ばせながら立ち、

相変わらずの笑顔を向けた張本人・・・サキの姿だけだった。

 

「・・・私・・・昨日遅かったってご存じかしら?」

「そぉいやそぉだったわねぇ〜」

「だから・・・今凄く機嫌が悪いって御理解いただけるかしら?」

 

そう言い放つとまるで逃げるように娘は再び毛布を被ろうとした。

だが娘が被ることが出来たのは夢の残香が残る毛布ではなく新鮮な空気だけだった。

 

「でもぉ〜、そろそろ朝御飯のお時間じゃないのかしらぁ〜」

 

平然とした言葉が流れた。

それは先程と変わらぬ柔らかな表情から発した言葉だった。

しかしその両腕に未だ温もりの残る・・・端を掴もうとした娘よりその手を速く動かし、

そして抜き取った毛布を絡めて発した言葉だった。

 

「・・・あのねサキ、余所じゃどうか知らないけどウチはもっと遅いのよ。」

「それは食べる時間のことじゃないかと思うんだけどぉ〜」

「・・・タダで泊まってるのに一寸図々しいんじゃない!?泊めたのはお母さんでしょ?

だったらお母さんに・・・って、考えたら大体あんたもその程度は出来るんじゃないの?

それなら一々人を起こさないで自分でどうにかしなさいよ!」

 

まるで今までの鬱憤を吐き出すようにそう捲し立てるように言うと、娘は今度はシーツの

端をしっかりと持ってそのまま巻き付けるようにしながら再び横になった。

 

「確かにそれもアリだけどぉ・・・でもそれでホントに良いのかしらぁ〜?」

「・・・何よ・・・何か文句あんの?」

「あらぁ〜、今日は私を追い出すんじゃ無かったのかしらぁ〜」

「・・・確かにね・・・でも、それ返してくれたらもう少し後にして上げるわ。」

 

そういうと娘は気怠く身体をサキに向けるとその手を軽く伸ばした。

その未だぼんやりとした視線を先程まで自身を包んでいた毛布に向けていた。

 

「・・・」

「・・・」

「あははー、賭は私の勝ちねえ。」

 

その言葉と共にだった。

訪れた一瞬の帳が娘にまるで世界を閉ざすような印象を持つ黒を与えた。

それはその態度に答えるようにサキの両腕が広げた一枚の毛布がもたらしたものであった。

 

「・・・!?」

 

一瞬の間の後、再び娘は飛び起きた。

その言葉と態度に何かを感じたか、皺一つ無く被らされた毛布を引き剥がしながらだった。

 

「な、何よそれ?どういうこと?・・・ち、ちゃんと答えてから行きなさいよ!」

 

何処か慌てた口調が部屋に響いた。

その時、言われたままに<朝食の支度のため>に出口へと向かっていたサキはその言葉に

軽やかに振り向くと相変わらずの笑顔のまま口を開いた。

 

「あなたがこの家の主らしくしたなら私はあなたの言うとぉりにしたってことよぉ〜」

「・・・えっ!?」

「お忘れかしらぁ〜・・・私はお母さんに許可を貰って泊まっているってぇ〜」

 

サキはそういうと戯けたような仕草のまま悪戯っぽい瞳をそのまま娘に向けた。

 

「・・・つまりそれ、この家のことを決められるのはこの家の主のお母さんだけだから

私がお母さんみたいに家のことをしない限り言うことなんか聞く気も無いってこと?」

「・・・」

 

答はなかった。

ただ相変わらずの瞳が向けられているだけだった。

 

「・・・あのね・・・あんたは知らないかもしれないけどさ・・・」

 

そしてその態度に更に苛立ちを覚えた娘はその言葉に続けて昨日の遅かった理由・・・

事実上政府から放逐状態にあるこの集落の自衛の任の為の戦闘を中心とした訓練の内容や、

その役目を正式に担うことで今よりも多くの配給を受けられるようになる筈であること。

そしてそれが、傷害を持った母親を少しでも楽にさせることであると説明しようとした。

 

「あらぁ〜、外で働いてるから家のことはしないなんて昔の男の人みたいねぇ〜」

 

だが、その言葉より前にサキはそう口にした。

娘とは対照的に一欠片の強さもないのんびりとした口調だった。

ただそれは娘がたった今口にしようとした<説明>を<唯の言い訳>にしてしまうような、

何処かそんな有無を言わせない響きを持っていた言葉だった。

 

「・・・」

 

・・・確かに家庭の事情に部外者が口出しすることは本来筋違いではある。

ましてや福祉などと言う言葉が過去の戯言と化したこの時代において、傷害を抱えている

事実はそれだけで致命的なハンディとなる為、当人や支える側の労力は並大抵ではない。

 

だが、そのことだけをもって支える側が当人の意を軽視し、上位者の如く振る舞うことは

果たして正しいことなのだろうか?

ある点が劣っている相手の支えとなることは確かにそれだけで誇っても良い行為であるが、

だからといってその相手より何時でも自分が正しいと思い込んだ挙げ句、その<思い>を

無視するかの如き振る舞いは・・・

 

 

 

...Who are arrogent?

 

 

 

 

 

 

「・・・解ったわよ・・・やれば良いんでしょ。」

「それなら今のは<待った>にしておくわねぇ〜」

 

そういうとサキは部屋の一角に置かれていた、太陽が昇ると同時に近所で入手し、そして

この部屋に持ち込んだ食料が詰まったバスケットを持って再び娘の元へと戻ってきた。

 

「・・・なに・・・これ?」

「あははー、私はタダで泊まるなんて言ってないわよぉ〜」

 

そしていつもの笑顔を向けながらベッドに座ったままの娘にそのバスケットを渡した後、

先程と同様に再び背を向けて部屋の出口へゆっくりと歩を進めだした。

 

「・・・」

 

 

後には一人の娘が残っていた。

食料の詰まったバスケットを抱えながらベッドに座っていた。

その視線は腰まで伸びた黒髪を僅かに揺らしつつ、ドアへ向かう一人の女性に向いていた。

 

・・・これが置きっぱなしだったってことは・・・最初から・・・

 

やがてその手がゆっくりとバスケットの中へ進み、そして・・・

 

「じゃ!こんなのはどう!」

 

瞬間!

それは正にその言葉と共に放った一瞬の感情の具象化!

進む!

瞬発的に動かしたその腕から放った一直線が背を向けたままのサキに向かって突き進む!

 

だが!

 

「!」

 

その結果に驚愕の表情を娘は一瞬にして作った。

 

「そぉねぇ〜、それじゃ私は固茹で("Hard-Boiled")でお願い出来るかしらぁ〜」

 

やはり相変わらずの何処かのんびりとした・・・何気なさそうな言葉だけだった。

 

「・・・う・・・うそ・・・」

 

確かにゆっくりとした手つきだった。

余りにも対照的な程の仕草で後頭部へと持っていっただけにしか見えなかった。

だが・・・だがそれは娘の眼を完全に覚まさせるには充分過ぎる結果をもたらしていた。

 

 

 

「あはは、まあこんなこともあるわよ。」

 

 

 

そう言い残すとサキは唖然とする娘を後目に改めて部屋を後にした。

 

そう、先程娘が反射的に投げつけ、そしてその手に収めた・・・

針先程のヒビもない<生卵>を<割れないように>そっと棚に置きながら・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、それから幾日かが経過した頃のことだった。

 

 

 

「・・・で、それからどうしたんだい?」

 

夜と呼ぶに相応しい時刻のことだった。

集落を覆う光は天より恵まれる星々、そして鋭さを増すように欠けた一片の月のみという、

この時代において地表の大部分がそうであるのと同様の刻限であった。

 

「・・・はい、まあ・・・どうということはないんですけど・・・」

 

そこは幾分の差違を見せていた場所だった。

集落外れに立っていた一軒の建築物内に設けられた一室だった。

そして、その建築物の<屋敷>と読んでも過言でない程の豪奢に相応しい自己システムを

有している故か、或いはその住人に相応しい<力>により供給を優先的に廻しているのか、

窓から覗く外界に満ちる闇を押し返すように<電力>による灯火を満たした一室だった。

 

「だろうね。今聞いた限りじゃ、私がここで教えている他の女の子達みたいに家のことを

やっているだけだからね。」

 

声が通っていた。

存在するだけならば20人程度を悠々内包出来る程の空間を有するその一室に通っていた。

ただ、何処かその一室に満ちる造灯の如き波長を感じさせるような声だった。

 

「・・・勿論君の家の事情は知っているさ。確かにあの子らと違ってハンデのある家族を

抱えてこの時代を生きるのはその分だけ大変だろうってのは解るよ。」

 

一人の男性だった。

察する年齢で言えば20代とも30代近くと言えなくもない風貌だった。

ただ、それを眼にした大半の女性、いや、時によれば寄れば男性でも年齢以前にある種の

<別の感情>を抱いてしまうような<美丈夫>と呼ぶに相応しい程の風貌の持ち主・・・

 

そう、それはあの青年だった。

 

 

 

「・・・」

 

沈黙だった。

壁にもたれ、考えを巡らしているように俯き加減で口を閉ざしていた。

それはその一室に残った二人の内の一人・・・恐らく何かの運動を終えた直後なだろう、

幾分サイズは合わないものの、その機能的に設えられた衣装から<女性>であるラインを

自らの汗により朧気に表し続けていることと、そういったことにそれほど気をやる様子も

見せない所からその10代後半らしい肢体に比べて幾分精神的な幼さを感じさせる・・・

 

そう、それはあの娘だった。

 

 

 

「だが、君がここで毎日練習を行い続けているのは何の為だった?」

 

短い静寂の中にそんな言葉が響いた。

それはその娘が生み出した静寂に割って入るかの如く発せられながら、それが至極当然の

ように成年の口から発せられた言葉だった。

 

「その皆の中に君のお母さんが入っていて、そのお母さんが毎日安心して暮らせるように

力を使っているだけって考えは・・・はは、少し詭弁かな?」

 

諭すような口調だった。

向けた相手に対して友人のような、或いは家族のような親密さを含めた様な口調だった。

 

「まあ、何でもその余所から来た女性のペースというの良い気分じゃ無いかもしれないが、

別に悪いことをしている訳じゃないってことで我慢した方が良いと私は思うな。」

 

滑らかと呼ぶに相応しい口調でもあった。

まるで良質の役者のそれの如く、聞く者の内面に響くような慣れた口調だった。

 

「まあそうは言っても一応余所の人だからその内誰か様子を見には行かせるさ。」

「・・・すみません・・・愚痴を聞かせてしまって・・・」

「はは、まあいいさ。なにせ普段と変わったことがあったら報告するのがここの規則だし、

大体私が教えている人間が細々したことを気にしてその腕前を鈍らせないようにするのも

私の仕事だからね・・・それが一番才能のある人間なら尚更さ。」

 

そしてその言葉が終わると青年はその表情を和らげながら娘に向けた。

 

「は、はい・・・あ、ありがとうございます!」

 

そしてそれは先程まで行われていた練習・・・いわゆる戦闘技術を中心とした技能訓練に

よってもたらされ、先程まで娘の表情を覆っていたそれとは一線を化す様な上気と高揚を

確かにその表情にもたらす結果となっていた。

 

そう、まるで予め用意された台本を読んでいるかの如く滑らかに発せられた言葉と・・・

未だ娘も見たことがない・・・<あの夜>とは似ても似つかぬ表情によって・・・

 

 

 

そして・・・

 

 

 

「今日はありがとうございました。では失礼します。」

 

ほんの少しの時間・・・10分程の時が経過した頃だった。

その溌剌と言う言葉が相応しいほどの言葉を残し、別室にて普段着に着替え終わった娘は

既に立ち去った他の娘達と同様に夜下の中、そのまま帰路へと着いていった。

 

勿論、この時代のみならず以前のままだったとしても若い娘が夜道で一人歩くというのは

不注意を通り越して愚かとしか言えない行為ではある。

だがそれもこの時代故なのではあるが、鎖国的な程に共同生活体制を取っている集落では

そのような行為に及ぶ可能性のある者を含めて全員が生き残ることに支障を及ぼす要因を

有する者達は何らかの手段により既に住民達の手によって<排除>されていることに加え、

余所から来た人間に対しても<見えない監視の目>は既に行き届いており、その様な類の

犯罪発生率は一般的にイメージするようもずっと少ないのが事実であった。

 

勿論、娘については自己能力に対する自負も要因としては大きいのだが・・・

 

 

 

ただ・・・

 

 

 

「・・・領主様・・・御処理はお済みですか?」

 

娘の去った屋敷内の別の一室でその声が響いた。

それはあの青年の、先程娘に向けたのとは雲泥の突き放すような口調だった。

 

「な、なんだ。」

 

慌てたような口調だった。

それはあの夜、皆に裁きの言葉を与えていたあの男だった。

椅子に座った姿勢を捻り、上半身だけを開いたドアに向けたまま口にした言葉だった。

 

「私の教え子の着替え姿を見て自らを慰められるのは何の損失もないことですから一向に

構いませんが、くれぐれも前みたいなことはなさらないで頂きたいのですが。」

 

淡々とした物言いだった。

その言葉を口にした表情もそれに準ずるものに見え無くはなかった。

 

「・・・わ、解っている。」

 

だがその表情にはっきりと含まれた鋭利な刃物のような険しさは、それを向けられた当の

男を含め、目にする者の大半に恐怖を与えるに足るものであった。

 

「心身に重度の障害のある者ならば、その処理については集団生活の益に繋がりますから

ある意味結構なことなのですが、心身が健康で若い娘をそうしなくてはならなくなるのは

正直仕事が増えるだけですので前の時だけで勘弁していただきたいのですがね。」

 

青年はそう言うとその視線に殺意にも似た不遜の色を強く込めた。

そしてその視界に焦りの色を濃くし、逃げるように顔を背けた男の姿が映っていた。

 

「・・・一応念のためもう一度申し上げますと、貴方は亡き父上と違って根本的に人徳と

人格に欠けているんですから、ここで<領主>と呼ばれて悦に入る生活を続けたいのなら

・・・それが誰のお陰で、そして誰に従うべきかを正確に認識する必要がありますよ。」

 

その言葉を向けられた男は背中でその言葉を受けていた。

それは怒りと屈辱と、そして恐怖で小刻みな震えをはっきりと示していた背中だった。

だが、当の青年はそれに気をやらないどころか、更に表情とその視線を強めるだけだった。

 

「解っていますか・・・では御返事をお聞かせください。」

「・・・わ、解った・・・」

 

そして背中越しにその返事を男は口にした。

その背中と同様に震える表情から絞り出すように発した言葉だった。

だがその言葉を耳にした青年は背中越しでも感じるが如き殺意を露にして言葉を発した。

 

「御返事は!」

 

鋭い一言だった。

生まれかけた惰性を刺し壊すような力の籠もった一言が部屋に一瞬響いた。

 

そして・・・

 

 

 

「・・・わ・・・解り・・・ました・・・」

 

その一言に男はそう口にした。

それは恐怖すら通り越した感情が生んだ一言であった。

 

「はは、結構・・・では良い夢を。」

 

そして青年はその言葉に表情を先程のように戻すとようやく部屋から立ち去った。

 

後に残った、恐怖から解放された故か半ば放心状態となった男と、そして・・・

<ある種の危うさ>を感じさせるあの娘に全く気をやる様子も見せないままに・・・

 

 

 

 

 

 

そして・・・

 

 

 

 

 

 

「はは、ほんと面白いねえ。」

「全く、そんな話を聞いてるとあたしもどっか行きたくなるよ。」

 

幾日めかの朝が満ちていた。

幾種もの声々がその場に満ちていた。

そこは朝日に照らされた水場・・・この集落に幾つも設けられた共同の洗場の一つだった。

 

「そうそう、特に亭主なんかほったらかしにしてさ。」

「言えてる言えてる。」

 

各年代層に属する女性達がその場に詰め、時折声を高めていた。

それは何処の場所でも見られるような、いわゆる<井戸端会議>の光景だった。

ただ、その場に詰めた女性達の今日の話題の中心は他とは少しばかり違っていた。

 

「あらぁ〜、家庭ほぉかいの原因を作っちゃったかしらぁ〜」

 

その<中心>はそう言っていつものように皆に笑いかけていた。

それは皆に混じって三人分の洗濯物を手際よく洗い続ける、相変わらずのサキだった。

 

「・・・アタシゃ余所者ってのはもう少しピリピリしてるもんだど思ってたんだよ。」

「あははー、期待はずれでごめんなさぁい。」

 

勿論ここでも、この時代では特に強くなった「余所者」に対する警戒心を皆も持っていた。

故にサキがここに現れる直前に集落の主の筋から「その人間の様子を見るように」言われ、

そして、向こうから来たことを幸いとして<和の中>にとりあえず招き入れたとしても、

そういった訓練でも受けていなければ、何処か態度というか雰囲気には必ずそれが現れ、

結果的にその場は何処かぎこちない雰囲気が出来上がるのが大方の場合ではあった。

 

 

 

「・・・正直言うとさ、アンタがここに来る前にここの偉い人の使いがウチに来てさあ、

それで余所者のアンタがどんなヤツか見てくれって言われてるんだよ。」

 

一人の年輩の女性がふとそう口にした。

何処か躊躇いを感じさせるような口調だった。

それはまるで知り合いに隠し事をしていたのを詫びるような感じの響きを持っていた。

 

「はらぁ〜、そぉだったのぉ〜・・・で、私はどんな奴なのかしらぁ?」

 

呑気そのものの返事だった。

いつもの調子で口にしたサキの返事だった。

そしてそれはまるで安堵そのものを伝えるような、明るく柔らかな響きを持っていた。

 

「・・・」

「・・・どぉかしたかしらぁ?」

「そうね、アンタが私の娘なら・・・も少し他人に気を付けろって叱りたいヤツだね。」

 

年輩の婦人が何処か呆れ混じりにそう口にした。

そして・・・その場に一段と甲高い笑い声が満ちていった。

いつの間にかその場に満ちていた筈の緊張感と警戒心は馬鹿馬鹿しい程に消えていた。

代わりに呑気で賑やかな、そして活気に満ちた朝の光景が展開されていた。

 

 

 

 

ただ・・・残念ながらその朝には・・・そうでない光景も存在していた。

 

 

 

 

 

 

「何しに来たのよ!」

 

強い口調が玄関先に響いていた。

朝食の片付けから始まる一連の家事を今日も行っている、あの娘の声だった。

そして、その作業を中断させた<招かざる客>への明らかな拒絶の意志を含む言葉だった。

 

「いやなに、そろそろここを立つんで挨拶にちょいと寄っただけなんだけどな。」

 

小馬鹿にしたような口調だった。

明らかにこの辺の人間ではない薄汚い姿をした40代程の男の言葉だった。

それは底意地の悪さを無理矢理笑顔に作り替えたような表情から発せられた言葉だった。

 

「ならもう充分でしょ!とっととここから出てってよ!」

「はは、朝からそういきり立つなよお嬢ちゃん。そんなんじゃ男は寄り付かねえぜ。」

 

男は馴れ馴れしそうな言葉を続けた。

だが、娘の知人とかそういう間柄では無い。

それどころか男はほんの数日前にこの集落に立ち寄っただけの<余所者>であり、それ故、

本来ならばお互いそれ以外の何者でも無い筈だった。

ただ、そんな男がこの様な態度を取ることや、娘自身の対応そのものにもサキのそれとは

雲泥の差があることには無論理由もあった。

 

 

 

「・・・ところで、俺がどうしてここに来られたか聞きたくないか?」

 

男の言葉に何処か得意げが混じった。

同時に娘の脳裏に先日の出来事を浮かばせるのに充分な響きを持つ言葉だった。

 

ある夜の光景だった。

サキがここに来るほんの少し前の夜のことだった。

いつものように最後まで訓練を受け、そしていつものように帰路に付いていた時に見た、

いつもとは違い過ぎる光景だった。

 

その時、裸身が晒されていた。

娘よりやや年下の、同じく訓練を受けている10代前半の一人の少女だった。

先に帰路に付き、そして本来ならばとっくに家人に迎え入れられていたであろう筈だった。

だがその時、その少女は娘の目前で僅かな布切れのみを身に纏った幼い肢体を月光に晒し、

そして口部を押さえる別の手により恐怖と哀願の溢れる瞳を残る上半分から覗かせていた。

 

暴力だった。

ただ欲望のままに力ある者が弱い者に対して理不尽に行う行為だった。

そう、その目前で展開されていたのは・・・女性にとって最も忌むべき行為の一つだった。

 

だから・・・

 

だが・・・

 

咄嗟に飛び込んだ娘のお陰で行為そのものは<未遂>の段階で留めることは出来た。

そして男も逃げることもなく、娘が騒いだことが幸いとなり近隣の人間が駆けつけた結果、

周囲の人間達や駆けつけたその任に付いている者達によって捉えられた結果、当然の如く

「裁き」の場へと赴かされることになり、その出来事は終わりを告げた・・・筈だった。

 

 

 

「証拠不十分ってヤツさ。はは、もっともそこまで公平たぁ意外だったがな。」

 

男はあっさりとそう言った。

 

「ま、こんな狭い世界だ。変に噂になった挙げ句、よぼよぼになっても一人で喰って行く

なんてのは友達もしたくなかったってことだな・・・はは、お嬢ちゃんの邪魔がなけりゃ

ガキぐれぇ仕込んでやったけどな。」

 

先程と同様の得意げな口調でそう言い続けた。

 

「・・・なによ・・・それ・・・」

 

まるで沸き上がる感情の泡をそのまま口にしたような言葉だった。

 

娘は「裁き」そのものの実態は未だ直接見たことはなかった。

それは、ここで暮らす人々の為に公正かつ絶対なものであると確信していた。

 

そして、その脳裏には別の光景も浮かんでいた。

先日見舞いに尋ねた時に見た、以前の溌剌とした姿が嘘のようにベッドの中で恐怖で震え、

自分を見たときに泣き叫びながらしがみついて来たあの少女の哀れとしか言えない・・・

 

「・・・」

 

暗い感情が生まれた。

その感情は練習に使うために置いてあった一振りの剣へ視線をやらせた。

そしてあの夜と同じく、現実に目前の<理不尽>そのものへ向けるための手を伸ばさせた。

 

「今すぐ消えろ・・・でないと・・・」

 

呟くようにそう言った。

沸き上がる殺意のまま、抜き放った光沢を洩れる朝日に震わせながらそう言った。

 

「・・・どうするってんだい?」

 

だが、その様子を前にしても男の態度は殆ど変わらなかった。

娘の動きに合わせたように向けた右腕以外に変わる所は無かった。

 

「くっ・・・」

 

娘は動きを一時的に止めた。

その視端には男が向けるリボルバー(回転弾倉式)拳銃の口径が一直線に曝されていた。

 

「なあ、俺はここに来て喋っただけでお前にゃ指一本触れてねえよな?」

「・・・」

「だったら・・・証拠不十分がアリなら正当防衛もアリだと思わねえか?」

「・・・!?」

 

そういうと男は撃鉄をゆっくりと起こした。

乾いた金属音が膠着という名の沈黙の間に小さく鳴った・・・その時。

 

「やめてください!」

 

それは正に一喝だった。

 

「お母さん!?」

 

はっとした表情のまま振り返った娘の視界に母親の姿が写っていた。

 

「娘は正しいことをしただけです。それに事実はどうであれ、貴方はここの裁きを受けて

そこにいるのなら、わざわざ罪を生むなんて馬鹿なことをする必要は無いでしょう。」

 

それはか細く、そして不自由な体から発した言葉だった。

だが同時に人の威厳そのものの凛とした態度のままはっきりと放った言葉だった。

 

 

 

「・・・」

 

 

 

再び沈黙が流れた。

先程とは幾分色彩の違う沈黙の時であった。

 

 

 

「・・・嬢ちゃん・・・一つ聞いても良いか?」

 

やがて・・・男は呟くようにそう口にした。

 

「・・・何よ?」

 

娘は呟くようにそう返した。

だが、返ってきた言葉は正直耳を疑うようなものだった。

 

「・・・この銃・・・お嬢ちゃんをぶち抜いても後ろのお母様に届くって思わねえか?」

「!!??」

 

男は平然とそう言った。

先程以上に下卑た色を露わにした言葉だった。

 

「へへへ、安心しな、別に朝から殺しはする気はねえ・・・ただなあ・・・」

 

そしてその言葉のまま目線を娘の剣へと持っていった。

娘にもその動きは解った。そしてそれが意味することにも。

 

「・・・」

 

そして・・・床隅に金属音が一つ響いた。

屈辱の表情から放たれた一振りの剣がそこに空しく転がっていた。

 

「はは、そんなモンに頼ってる癖に頭は堅くねえな・・・じゃ、次にどうすると思う?」

「・・・お金なら・・・ないわよ。」

「ふん、手前らみてえな貧乏人から物を恵んで貰おうたぁ思ってねえ・・・がな・・・」

 

嘲るように口にした言葉だった。

そして、まるで舐め回すような下卑た視線を娘の姿態にやりながら放った言葉だった。

 

「・・・や!止めて下さい!娘は未だ子供なんです!」

「煩え!娘共々撃ち殺されたくなけりゃギャアギャア騒ぐな!」

「む、娘の代わりなら・・・わ、私が・・・」

「手無しの年増はすっ込んでろ!」

 

その視線の意味に気付いた母親の言葉を押さえ込むように男は罵倒を続けた。

 

「・・・お母さん・・・いいから黙ってて・・・」

 

呟くような一言だった。

その意味に気付き、そして先程以上の屈辱の表情で放った言葉だった。

 

そして、その言葉を最後に更なる屈辱が訪れた・・・

 

 

 

 

 

 

・・・かに思われたのだが。

 

 

 

「あらぁ〜、まだ洗うものがあったのかしらぁ〜」

 

 

 

呑気な声だった。

その場の雰囲気を台無しにするとしか言えないような明るい口調だった。

 

「・・・サキ!?」

「後は干すだけだと思ってたんだけどぉ〜・・・そぉねぇ〜・・・」

 

そう言いながらサキは床に洗い終えたばかりの洗濯物の入った籠を何気なく置くと共に、

娘がたった今脱ぎ捨てたばかりの上着を無造作に拾った。

 

「洗い場も混んで来てるからぁ〜・・・とりあえず着といて貰えるかしらぁ〜」

 

そしてその言葉と共に、まるで何事も起きていないかの如く平然と娘の傍らに近づくと、

呆気に取られた様な表情から続くその下着姿の上半身に上着をそっと羽織らせた。

 

「・・・なんだ・・・手前は?」

「私ぃ?ここの居候だけどぉ〜・・・そちらこそどちら様かしらぁ〜」

「どちら様って程じゃ無えが・・・折角だから姉さんも仲間に入るかい?」

 

幾分気を取り直した男はそう言うと好色な視線と銃口を今度はサキに向けた。

だが向けられた等の本人は恐怖どころか、その表情に一片の変貌さえ見せなかった。

 

「あははー、のぉさんきゅうって言っても許してくれそうにないみたいねぇ〜」

「・・・まあな。」

「そぉねぇ〜・・・それじゃこれでお引き取り願えるかしらぁ〜」

 

そう言うとサキはポケットから一枚の、この時代で一番安価なコインを一枚取り出すと、

悪戯っぽい瞳を男に向けながらいつもの笑顔の側で翳すように片手で摘んだ。

 

「・・・姉さん、そりゃ何の冗談だ?」

「あらぁ〜、私は本気なんだけどぉ〜」

「へえ・・・本気ねえ・・・ははは、なら・・・」

 

男の視線が一点に絞られた。

まるで自分の価値がそのコイン一枚分の価値でしかないと言っているかの如きその態度に

矮小な自我が沸き上がらせた激怒全てをサキの額へと向かわせた。

 

「俺も本気の所を見せてやるぜ!」

 

その言葉を発した直後、男が指に力を入れる!

純機械的な動作が込められた弾丸に向かって撃鉄を加速させる!

だが!

 

「・・・!?」

 

銃声は無かった。

代わりにその場に響いたのは小さな金属音だけだった。

 

「・・・なっ!?」

 

その一瞬目を逸らし、そして再び眼を向けた娘の視界にその光景が鮮明に写っていた。

そう、銃口を前にしても相変わらずの笑顔のままのサキと・・・

一枚のコインが撃鉄に挟まった自分の銃に驚愕の表情を向ける男の姿とを!

 

「く、くそっ!」

 

その言葉と共に男は再び撃鉄を起こす。

床に落ちたコインが小さな金属音を響かせる!

だが!その引き金が引かれる瞬間、今度は寸手の所で男の指が止まった。

 

静止。

そして男は目の前のサキを無視するように銃口を上に向けると、

滑稽とも言えるほどの仕草で恐る恐る覗き込むようにそこへ目をやった。

 

「・・・!?」

 

男の目には確かにそれが写っていた。

その銃口から漏れる白は、過程はどうあれ確かな現実だった。

そう、銃口から弾倉へ届く程ねじ込まれた・・・紙縒の如く捩られたその布切れは!

 

「・・・そ、そんな・・・そんな馬鹿な・・・」

 

そう口にするしか無かった。

何が起きたか、そしてどうやって行ったか解らなかった。

目を逸らした娘は元よりそれを目の前で行われた筈の男ですら解らなかった。

 

・・・銃口に何かを詰めれば暴発するというのは弾丸の威力を考えれば迷信に近い。

多分サキが行った行為をもってしても或いは弾丸は止められなかったかも知れない。

 

だが、男には確実に解ったこともあった。

それはとてつもないリスクを覚悟しなければ引き金を引けなくなったこと、そして・・・

 

「中身は無理みたいだからそれで勘弁していただけるかしらぁ〜」

 

更なる驚愕の表情のままの男に向かってサキはそう言った。

それはやはり、目の前に現れた時と変わらぬ笑顔のままで口にした言葉だった。

そう、男にとってそれは正しく、驚愕の瞬技による警告を放った当人の言葉だったこと!

 

 

 

「・・・」

 

 

 

やがて・・・幾ばくかの沈黙の後、金属音が一つ床を打った。

男の足下に、その手から取りこぼした一丁の銃が空しく転がった時の音だった。

続いて・・・忙しない足音が床から玄関へと伸び、そして消えていった。

驚愕と恐れを無理矢理平然に造り替えたような表情のまま男が足早に立ち去る音だった。

 

 

 

やがて・・・

 

 

 

「・・・ふう。」

 

小さな溜息が漏れた。

それは解けた緊張から思わず床に座り込んだ母親が漏らした吐息だった。

先程の毅然とした態度とは裏腹に呆然とした、何処か普段に近い表情をしていた。

 

その身体には暖かい感触を感じていた。

それは介抱の為近づき、そして柔らかく抱いたサキの体躯から伝わるものだった。

 

そしてその瞳には安堵の色が浮かび始めていた。

一連の騒動の挙げ句に逃げ出した男に対し、気を取り直した娘が上着を着直すのも程々に

追いかけて出ていった何処か滑稽で幼いその姿を見送った瞳だった。

 

 

 

ただ・・・

 

 

 

それはほんの10分程度のことだった。

再び戻ってきた娘の姿を視界に入れるまでのことだった。

そう、霞む意識に同調する様に暗雲の陰りを濃くしていったその視界に写った・・・

その、血塗られた剣を力無く下げ、そして血色の失せた娘の表情を目にするまでの・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして・・・時が流れた。

 

 

 

 

 

 

 

そこには夜が満ちていた。

集落に設けられた、広場というには些か窮屈なあの場所だった。

万実に等しく流れる時が、朝の喧噪から出来事を深淵の天蓋が覆う地へと変えていた。

 

数人がいた。

既にこの集落にて営む者が出歩く時間は過ぎていた頃だった。

 

まず10代後半の・・・あの娘だった。

たった今告げられたその言葉に、暗澹たる表情を作っていた。

そしてそれは流れ往く刻に合わせ、まるで夜が浸食するかの如く強まりを見せ続けていた。

 

それから50代程の・・・あの男だった。

その言葉を告げた当人だった。

それは先日の夜と同様・・・いや、例えここで歴を営む、そして見知った人間である筈の

その娘に対しても例外は認めないということを告げる言葉だった。

だが、先日と違って幾分の同情的な響きを含めたその言葉は、当人に対してというよりも

それを告げた本人・・・男自身に対する贖罪の意味が強く感じられるような言葉だった。

 

そして・・・30代後半程のあの青年だった。

その様子をやはり無言のまま視界に納めていた。

ただ、その美丈夫と呼ぶに相応しい外見を象徴する整った表情には前述の二人に見られる

<翳り>といった類を含めた感情というものが殆ど感じられない薄い笑顔しか無かった。

それはまるで、今視界に写る光景は正に<唯の光景>以外の何の意味も持たないかの如く

目にする者に感じさせるものだった。

 

その三人だけだった。

何処か他の人間を寄せ付けないような閉じた世界だった。

その場に満ちる辺りを覆う夜よりも重い陰鬱な雰囲気がそうさせていたのかも知れない。

 

 

 

いや・・・もう一人いた。

 

 

 

20代半ばの女性だった。

降り注ぐ月光のように柔らかな黒瞳を持つ東洋人風の人物だった。

そして身に纏う夜風に腰まで伸びた黒髪を揺らしながら飄々と・・・だが、目にする者に

迷いというものを感じさせないかの如き足取りでその場に現れた人物だった。

 

「・・・サキ。」

「はぁい、お話進んでいるかしらぁ〜」

「・・・どうして?」

「あははー、来たかったからぁ〜」

 

勢いとはいえ人を殺してしまったことに対し自ら処罰を受ける・・・その様に言い残して

朝の光景から姿を消し、そして今、僅かな言葉と共に陰鬱と恐れの混じる瞳を向ける娘に

サキはいつもの口調でそう答えた。

 

 

 

「・・・あなたは誰かな?」

 

何処か不機嫌そうに男はそう口にした。

まるでその場に生まれかけた暖かげな雰囲気に対する後ろめたさを隠すようだった。

 

「私ぃ?そぉねぇ〜・・・とりあえずその子の親権者の代理ってとこかしらぁ〜」

「・・・成る程、あなたがこの子の言っていた・・・ところで何のご用ですか?」

「あらぁ〜、裁判には目撃者が必要だと思うけどぉ〜」

 

幾ばくかの沈黙が流れた。

男は怪訝そうな表情を作っていた。

ただそれは何処かその、のほほんとした態度に却って気圧されたかのようにも見えた。

 

「・・・つまりあなたはこの子を無罪放免にして欲しいというわけかな?」

「あははー、そぉ〜」

「・・・確かに挑発した方も悪いが・・・人が一人死んだ事実は確かなのだが。」

「それってぇ〜、その子が全面的に悪くないってことをご存じってことねぇ〜」

「・・・うっ。」

「・・・よろしければどんな成り行きになってるかお聞かせ願いたいんだけどぉ〜」

「・・・」

 

それきり男は口を噤んだ。

辺りに先程とは別種の質量のある静寂が再び訪れた。

だが、その重苦しさを一番感じているのは・・・その沈黙を招いた当の男・・・

 

 

 

「お嬢さん、申し訳ないですが既に言うべきことは言い終わったんです。」

 

その様子を見かねたように傍らの青年がそう声を発した。

 

「あらぁ〜、そぉだったのぉ〜」

「ええ・・・ですがご安心ください。勿論、御領主が今、口にされたとおり一人が死んで

いるんですからここで暮らす人達の手前、このまま何も無しってわけには行きませんが、

元々訴えさえきちんと届いていればとっくに処罰されていた上に、それを逆恨みして酷い

挑発を行ったんですから・・・はは、貴方やこの子のお母さんが心配している様なことは

こんなことじゃ行いませんよ。」

 

青年は流暢な口調でそう言った。

よく通る、聞く者の大半に好意と快活さを感じさせるような口調だった。

ただ、その説明的な言葉は・・・一部の者に取っては・・・

 

「そぉ言っていただけるとこちらとしても助かるわねぇ〜」

「はい。だからその罰の内容もそれほど大したことじゃありませんからね。」

「どんな内容なのかしらぁ〜」

「ええ、本当に大したことじゃありませんよ・・・」

 

そう言うと青年は戯けた仕草で小首を傾げながらサキに改めて眼を向けた。

そして先程以上の簡単な口調でその一言を口にした。

 

 

 

「・・・貴方に死んで貰うだけですから。」

 

 

 

その瞬間、場を覆う雰囲気の重さに鋭利さが加わった。

そして娘は・・・腰に差した剣を抜きながら、射抜くような視線をサキに向けた。

 

「・・・どぉいうことかしらぁ?」

 

だが向けられた当人はやはり相変わらずの口調だった。

自らへの<処刑宣告>を耳にしても気にする様子も見せないかのような口調だった。

ただ、星影を映すその黒瞳は現れたときよりも強みを増していた。

 

「この子の罪は殺したからじゃなくて・・・はは、殺さなかったことなんですよ。」

 

青年は言葉を続けた。

心なしか先程よりも饒舌の様子を見せていた。

その瞳に気付く様子も、あるいは取るに足らないものであるかの如き得意げな言葉だった。

 

「まあ余所でもあるような話ですが、こんな時代じゃ人を殺すことは私達みたいな役目の

人間にはある種必要な経験でしょう?」

 

説明的な口調が平然と続いた。

同意と理解を求める様でいて、反論を許すことはあり得ない口調が。

 

「ですから指導する立場としては折角ですから<理想的>な余所者を用意したのですが、

この子、いざ目の前にチャンスがやって来ても何も出来なくて、見ていた私がつい・・・

はは、それでとりあえず代わりということであなたにお願いすることにしたんです。」

 

その言葉を耳にし続けていた娘の脳裏にその時の光景が浮かんでいた。

路地裏に追いつめ白羽を喉元直前にまで押し当てたこと。

自分を見る男の目が既に先程の威勢は無く、恐怖と哀願しかなかったこと。

その様子にどうしてもそれ以上腕に力を入れることが出来なかったこと。

だが、その時後ろから自分の腕を掴むと同時に体躯ごとそこへ押しやった力が・・・

 

 

 

そして・・・

 

 

 

「・・・そういうことよ・・・この偽善者。」

 

娘は吐き捨てるようにそう言った。

それは明らかな殺意を込めた射抜く視線を更に強めて口にした言葉だった。

 

「人を助けるっていい気分よね?でももっと正直になったらどう?いつもどおりにさ?」

「いつもどぉりってぇ?」

「何企んでんだか知らないけどさ、丁度困っているお母さんに取り入るような真似をして、

それにここのことなんか知りもしないのに私に上っ面の言葉を吐いた上、漫画のヒーロー

みたいにカッコつけてこんなとこに一人でやって来るなんて端から見たら馬鹿そのものよ。

そんなの・・・そんなのあんたみたいな無責任な余所者には似合わないって思ったから、

最後ぐらいいつもどおりにって言ってあげたのよ。」

「はらぁ〜、そぉだったのぉ〜」

「・・・もっとも偽善者て言うよりは・・・ただの気違いかも知れないけどね。」

 

明らかな嘲りの口調だった。

その口調と共に先程の殺意に加えて蔑視をも含めた視線がサキに向けられた。

しかし、その視界に写るサキの表情には欠片ほどの憎しみも向ける様子が見られなかった。

 

「あははー、あなたがそぉ言うならあなたに取って私はそんなのかも知れないわねぇ〜」

「・・・ホントにイカレてんの?こ、こんなに言ってんのにどうして怒んないのよ!」

「どぉしてぇ〜、誰かが誰かをどう見るかなんてその人の自由でしかないものぉ〜」

「・・・えっ?」

「だぁってぇ〜、偽善者って言葉を簡単に使えるぐらい善を知ってる人の評価ならぁ〜、

多分正しいんじゃないかって気もするしねぇ〜」

 

そう言うとサキはその瞳の片方を戯けた風に瞑った。

ただその瞳は先程男や青年に向けたのとは別種の強さを娘に感じさせる様でもあった。

例えるなら・・・そう、自信と愛情を持って幼子を諭す年長者の様な・・・

 

「・・・」

 

全員が沈黙を作った。

だが一つの沈黙ではなかった。

 

先程の言葉を発した後、何処か優雅ささえ感じるような笑顔をこちらに向けたまま佇む、

<自分がこれから殺そうとしている相手>を目前にして娘は次の言葉を出せなかった。

そんな娘に対し、その拠り所であった筈の残る二人の人間も何も語らなかった。

ただ、迷いの表情を向けたときに見た二人の目は「即」そのものと感じさせるものだった。

 

 

 

・・・故に!

 

 

 

「う・・・うわぁぁぁぁぁ!!!」

 

衝動!

その言葉、いやその沈黙を破るような叫びと共に娘が剣を抜き放つ!

駆ける!

まるで葛藤を振り払うように白刃の煌めきを撒き散らしながら駆け出す!

そして迫る!

数メートルの距離を一気に踏み込んだかの如き速度と勢いがサキに向かって一気に迫る!

直後!

なんと三尖!

間合いに入ると同時に額から喉、そして胸部に渡ってほぼ同時の突きを放つ!

更に一閃!

間合いから出る直前に腹部へ薙ぎを放つ!

 

その技量、正しく手練れ!

如何なる修練を積んだ故か、或いはどれ程の才能を有している故かは今測る余裕はないが、

並の者では歯が立たない技量の持ち主であることはその一瞬が明らかにしていた。

 

But!

 

 

「・・・ば!馬鹿な!」

 

その様子を目に入れた男は驚き以外の何物でもない表情を作っていた。

 

「・・・ほう・・・」

 

あの青年でさえ傍目にも表情に変化を見せるほどであった。

 

それは・・・

 

「お探しものはこれかしらぁ〜」

 

瞬間的に振り返った娘の視界にその姿が写っていた。

それはもはや見慣れた、悪戯っぽい瞳をこちらに向けて立つ・・・

そう、おそらく最微少限界であろう動きであの瞬間を薄紙一枚で避け切ったのみならず、

その上更に、すれ違い様にその腰から抜き去った鞘を持て遊ぶ無傷のサキの姿だった!

 

「・・・そ、そんなのな・・・何よそれ・・・た、ただのまぐれじゃない・・・」

 

驚愕そのものの表情だった。

内容はそうではないが、誰が聞いても狼狽そのものの言葉を吐き続けていた。

 

「そ、そうよ・・・た、たまたま運が良かっただけよ!わ、私が本気になったら・・・」

 

その時の娘を支配していたのは恐怖そのものだった。

ただそれは目の前のサキによって与えられたものでは決してない。

あれ程罵声を浴びせ、本気で殺そうとしたのにあの技量をもって逆襲に転じるどころか、

向けてくるのはその優しげな瞳だけのサキからは不思議と安心感しか伝わらなかった。

 

「・・・」

 

無言がのし掛かっていた。

サキに言葉を放ちながらちらちらと向けた視界に写る二人の上位者・・・

そう、それはその二人が送り続ける先程以上のプレッシャー故の恐怖だった。

 

「あ・・・あ・・・あ・・・」

 

<命令>と<そうでないもの>が安心と恐怖に続いて混乱と葛藤を娘に与えた。

そして静寂が再び始まるかに思えた・・・だが!

 

「ああああああああああ!!」

 

再進!

それは未熟な精神が安直に選んだ方向!

再走!

内心に渦巻く「制止」の声を振り切らんが如き勢いで殺戮者への道を突っ走る!

そして再襲!

正しく渾身の一刀と呼ぶべき一突をサキ目掛けて一直線に放つ!

 

瞬間!

その迫り来る一直線にサキは寸分違わず両腕で鞘を打ち向ける!

白刃が寸分違わず鞘の中に煌めきが埋没する!

直後!

サキがその両腕を捻ると共に衝撃が娘の手首を襲う!

発生した「てこの原理」と呼ばれし単純な物理法則が娘の剣を宙へと捻り飛ばす!

 

そして・・・

 

衝撃が手首の痛みへ代わった時、娘の耳に小さな金属音が響いた。

それはまるで手品のステッキのように鞘を扱ってサキが奏でた音・・・

そう・・・落下してきた剣を一振りで事も無げに鞘に納めた時の音だった・・・

 

 

 

「・・・」

 

 

 

それから幾ばくかの時が流れた。

その時娘は呆然とそれからの光景を視界に入れていた。

痛む手を押さえながら、もはや殺意はおろか敵意すら消えた瞳で見ていた。

 

それは娘にとって何処か不可思議さの残る光景として記憶に残ったものだった。

自分の二度に渡る強襲にも殆どその位置を動かなかったサキがいきなり自分に駆け寄り、

そして抱きしめるのとは少し違うような感じでその両手で包み始め・・・

 

 

 

衝撃!

 

 

 

・・・彼女の記憶は・・・そこで途切れた・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・随分逸らされてしまいました・・・肋骨が数本といった所ですか。」

 

何処か感心したような口調だった。

約10メートルの距離から放たれた言葉だった。

あの一瞬、常人を凌駕する速度で駆け寄ると同時にその背中に向かって殺意の一閃を放ち、

そして僅か数秒の後に再び現在の位置まで体躯を戻した技量の持ち主の言葉だった。

 

「・・・しばらく私がお家のことをしなきゃいけなさそぉねぇ〜」

 

普段と変わらないような口調だった。

その華奢そのものの全身で守るように娘を抱きながらの言葉だった。

だが迫り来る殺意に気付いた直後、咄嗟に娘に走り寄りながらその両腕を庇うように廻し、

そして寸分違わない位置へ動かした鞘で防ぐという一瞬を披露した人間の言葉だった。

 

「それは申し訳ありませんでした・・・と、本当なら言ってあげたいところですね。」

「本当ならこのままでは済まさないってところかしらぁ〜」

「いえ、私達が用事があるのはもう・・・その子と、その子の母親だけですよ。」

 

青年は事も無げにそう言った。

それは一見普段と変わらない、大半の異性から好意をもたれる様な表情からだった。

 

「・・・どぉいうことかしらぁ〜」

 

やはり普段と変わらぬ様な口調だった。

ただ、聞く者によっては普段とは違った感情を込めたようにも聞こえなくも無かった。

勿論・・・それは青年が慣れ親しんだ「好意」で無いことは言うまでもないが。

 

「まあ・・・私に見る目がなかったという責任も残らなくは無いですけどね。」

 

そう言うと青年はそんなサキを気にする様子も無く男の方へと視線を移した。

それは数ヶ月前、その男の強い推薦により娘の指導を行うことになった時と同様だった。

そしてその時と同様、その視線の先には怯え震える男の姿を目にしていた。

 

「・・・あなたに他にどんな目があるのかしらぁ〜」

 

呟くような言葉だった。

まるで労るように抱く娘の肩口に顔を伏せていたサキが口にした言葉だった。

そして込められた、いつもとは違う感情を先程以上に色濃く響かせた言葉でもあった。

 

「・・・いずれにせよ貴方にはもう関係の無い話となりました。ですが・・・」

「・・・この子はここへ置いて行けってことねぇ〜」

 

続いて口にした言葉に青年は軽い会釈を行っただけだった。

やがて幾ばくかの静寂の後、サキは自分の言葉に従うように気を失ったままの娘の体躯を

出来るだけ痛みが無いようにそっと地面に降ろすと、再びゆっくりとその場に立った。

 

「・・・」

 

やはり返事は無かった。

青年は得意げな表情でその様子を視界に入れていただけであった。

 

その視界の中のサキは普段と変わらない・・・と、言うよりは鞘の下方を軽く持ちつつ、

剣全体を肩に乗せながら立つという何処か戯けた感じすら与える姿であった。

 

だが、それは青年の発する重圧に臆するどころか挑戦的な瞳を向け立つ姿でもあった。

 

「・・・」

 

それでも・・・笑みを作っていた。

それは多分本性から来るであろう冷酷と蔑みが作る笑顔だった。

そしてその笑みのまま青年は殺意と蔑視を込めた視線を今度はサキの持つ剣に向けた。

 

・・・別にサキの技量を恐れている訳でも何でもない。

先程の娘との闘いによりどの程度の相手かどうかは自身では熟知していた。

あの一瞬サキが披露した、娘が繰り出す剣をその足裁きから始めた無駄の無い動きによる

一連の回避行動等は確かに見るべきものはあったとは考えていた。

 

ただ・・・それだけだった。

 

10メートルの距離を数秒で往き行き来するという、言い換えればその距離分の間合いを

造作なく駆使出来る青年にとってはその程度は<取るに足らない>部類でしかなかった。

 

・・・そう、青年はただ「備品」の返還要求をしているだけのことだった。

 

二つ目の・・・

 

 

 

「・・・」

 

その時、風が吹いた。

空間に籠もる陰鬱さを吹き付けるような夜風が一陣吹き抜けた。

 

風を纏った。

無言で立つサキの姿態を吹き通った風がまるで纏うように流れていた。

そして、その黒髪が夜輝を撒くように風に棚引いた時、サキは顔を上げそして口を開いた。

 

 

 

「それじゃ・・・謹んでお返しするわぁ!」

 

 

 

瞬間!

サキがその腕を一気に振る!

握られていた鞘が瞬発的なモーメントを中身に与える!

瞬発!

その中に納められた娘の剣が寸分違わず青年の顔面へ向かって一気に舞い進む!

 

同時!

青年が幾分腰を落とす。

まるで全てを把握しているかの如き平然とした様相のまま己の剣に手をかける!

 

・・・普通ならそれだけで不意を付くことが出来る。

時により幾ばくかの時を稼ぎ、運が良ければ相手を倒すことも不可能ではない。

そして確かに直接投げつけるよりは威力がある。

同原理の器具による狩猟を行う民族が現実に存在した程、武器としても有益ではある。

だが、青年の有する動体視力と反射能力の前には、やはり「その程度」の行為故に!

 

直後!

娘の技量を遙かに凌ぐ速度で駆け出すと共に剣煌を夜に放つ!

目前の愚かな行為を排除する為、そして次に取るに足らない愚か者を始末するために!

正に一連。隙無し!

舞飛ぶ剣と青年の放つ剣煌がまるで計ったように一点に集約されようとする!

 

だがごく僅か!

青年がその剣に意識を集中させたその僅かの間!

 

銃声!

 

それはサキの瞬技が響かせた咆吼!

そして闇を切り裂く怒りの結晶を解き放った証!

 

「!」

 

来る!

帳が来る!

青年の視界がその時初めて驚愕に拡散する!

その青年の技量を超えた速度で迫り来る金属の帳に!

青年の視界を遮断したまま青年に向かって一直線に迫る、あの放たれた剣の鍔部分に!

 

そして・・・

 

・・・何が起こったのかその時の青年には理解出来なかった。

いや、たとえ教える者がいたとしても信じようとはしなかっただろう。

 

あの一瞬、宙を舞う剣へと意識をやったほんの一瞬、たったそれだけの間に目前の相手が

先程見せた以上の速度で銃を抜き、そして撃ち放った弾丸を寸分違わず剣に当てることで

その剣に更なる加速と勢いを与えたなどと・・・

 

そう、そんな非常識極まりない出来事はたとえ事実でも青年は認めないだろう。

そして・・・己の技量が全く及ばなかった結果も決して認めようとはしなかっただろう。

 

だがその体躯・・・サキに到達することもなく虚しく地面に転がせたその体躯・・・

それとその顔・・・後頭部まで貫いた剣の唾で隠された両眼を有するその表情・・・

 

そう、それらが意志とは裏腹に、誰の目にも明らかな現実を証明していたとしても!

 

 

 

この間、僅か・・・0.2秒・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・」

 

言葉は無かった。

男はその光景を視界に入れていただけだった。

文字通り「絶句」そのものの表情をしながら目を見開いていただけだった。

 

「・・・」

 

言葉は無かった。

サキはその視界の中で男に背を向けながらかがみ込んえでいただけだった。

まるで「労り」を醸し出すような佇まいのままに横たわる娘の方を向いていた。

 

「うっ・・・」

 

声とは呼べない音だった。

その場を包み込む沈黙に耐えきれなかった男が声を発しようして出した音だった。

明らかな狼狽を周囲に示す、唾を飲み込んだときに発した喉音だけが惨めに響いた。

 

「ぅぅ・・・」

 

小さな溜息だった。

それは地面に横たわったまま気を失っている娘が漏らした吐息だった。

そしてその背中に柔らかく置かれたサキの手から伝わったような安堵そのもの響きだった。

 

 

 

「・・・よ、良く・・・やってくれた・・・」

 

ようやく声が出た。

背中を向け続けるサキにそれでも威厳を示そうと出した声だった。

だがそれは男が現実に在している階級に相応しいとはとても言い難い響きだった。

 

「そ、そいつは昔僕の父が哀れに思って受け入れたヤツなんだが・・・あ、ある日本性を

現して父を・・・それに僕をお、脅して自分は黒幕として・・・」

 

先程よりは明瞭な言葉だった。

少なくとも自分は悪くないことを説明しようとしている程度は解る言葉だった。

 

「・・・も、勿論僕もただ言いなりに・・・だ、だがそいつはつ、強すぎて・・・」

 

言葉を続けていた。

聞く気もないように背を向けたままの相手に聞かれもしない言葉を続けていた。

 

「だ、だから解るだろう・・・だ、誰が悪いのか・・・」

 

問い掛けの言葉だった。

幾分懇願に近い物になりながも続く沈黙を変えようして発した声だった。

 

「・・・」

 

言葉は無かった。

ただその代わりにサキは背を向けながら娘の背に置いていた手をすっと横に延ばした。

 

「・・・?」

 

その意味が解らない男は不思議そうな顔をしながらその動きを目に入れるだけだった。

そして、娘の温もりを宿したままの手がある方向を指さした時もそれは変わらなかった。

だが・・・

 

「・・・!」

 

闇に慣れた男の目が地面に僅かに光を放つそれを見つけた。

青年の屍の少し向こうにサキが指し示されたそれに気付くまでのことだった。

そう、その屍を貫いた剣が押し出した・・・血色に輝く小さな金属部品に!

 

 

 

この時代、人災の最たる「戦争」には一つの特徴があった。

と言っても漫画やアニメの様な巨大人型兵器が投入されたとかそういうことではない。

単純に言えば、それはある意味偽善的なものが廃された「正しい姿」と言えなくも無い、

人道的配慮に基づく戦争のルールである「ベルサイユ条約」が徹底的に無視されたことに

より、今までその非人道さ故ほとんど表に出ることの無かった兵器が平然と使われる様に

なったということと、戦争終了後もその処理を行う者が殆どいなかったということである。

 

そして数は少ないものの流出した中に、神経組織を光ファイバーに置き換えることによる

驚異的な反射速度と頭部に埋め込まれた外的記憶素子から得られるほぼ完璧な戦闘技術、

そしてマインドコントロールによって<所有者に絶対服従>の「バイオ・ソルジャー」と

呼ばれる・・・人間を原材料にした<兵器>も存在していた。

 

 

 

「・・・」

 

やはりサキは無言のままだった。

ただ、その様子を感じたように手を下げながらゆっくりと立ち上がっただけであった。

 

 

 

「・・・な、何が望みだ?・・・い、言ってくれ。何でも良いから言ってくれ。」

 

先程を増幅したような「狼狽」そのものの言葉を男は発した。

それは集落の人間を統括することはおろか、そのために利用した筈の<自分の玩具>すら

満足に使えなかった愚か者の言葉だった。

 

 

 

「・・・ひとぉつ・・・お伺いしてよろしいかしらぁ?」

 

背中越しに言葉が響いた。

それは普段と変わらぬような口調ではあった。

だがその言葉は向けられた当人に何処か言い知れぬ重圧を感じさせる響きがあった。

 

「・・・な、なんだ?」

「・・・この子が何を言っているか・・・お解りかしらぁ?」

「?・・・その子って・・・気絶しているんだろ?だ、だったら・・・」

 

その意味も解らないままに男は返事を口にした。

しかしその時、男は片腕をゆっくりと上げ始めていた。

 

何も持っていない手であった。

それは一見、何の脈絡もない行動であった。

だが、それは男がこの場に満ちつつある物に気付いて取りだした行動・・・

そして、あの夜の光景を知っている人間ならば充分に意味の通る行動でもあった。

 

「・・・それじゃあ・・・謹んでお伝えさせて頂くわぁ・・・」

 

手が動き続ける。

サキの背中を見ながら男が本性と共に動かし続ける。

男の本能が己自身に勧告した「排除」を決行する為の手が垂直へと向かう・・・その時!

 

「!」

 

男が意志を示す直前にサキが振り向く!

そして怒りを満たした瞳を男に向けながら一気に言葉を放つ!

 

「...I am weary of your foolish fase!!!」

「なっ!?」

 

瞬間!

構える!

まるで瞬きの合間の出来事!

男の知覚を超える程の驚速で腰溜めに銃を構えたサキが銃声と閃光を辺りに満たす!

 

落音!

礫を放つ<機械弓>を所持し、木上に潜んでいた別の「男の玩具」が地面に屍を晒す!

 

更に二連!

他の箇所からも同様の落下音が間髪入れず続く!

そして同様に正確に額を撃ち抜かれた屍と機械弓が地面に空しく転がる!

 

直後!

正面の木の陰から1つ!

両側面の草を割って2つ!

そして後方の廃屋より現れた殺意がサキに向かって驚異的な速度で向かい出す!

 

収縮!

その直径10メートル足らず!

サキを取り囲む死のサークルが一気に収縮へと向かう!

 

だが正面!

間髪入れず放ったサキの銃弾が正面の相手を4メートル手前で屍へ変える!

次に真後ろ!

なんと跳ね上がった銃の反動を押さえるどころかそのまま手首ごと肩口、後方へ瞬間的に

向けることの出来た銃口がそのまま真後ろの相手を3メートル手前で屍へと変えさせる!

更に真横!

肩口に置く前に手首を捻ることによって再び上部へ生じさた反動と同時に今度は上半身を

捻ることで真横へと銃口を転じさせた瞬間3人目を2メートル手前で撃ち抜く!

そして・・・

 

静止。

距離僅か数十センチ・・・間合いに入ったサキの正面で相手は静止していた。

青年に匹敵する技量で迫り、使うだけ死を与えた<無閃小刀>を構えたまま静止していた。

 

サキも静止していた。

上半身を転じた勢いのまま腕を延ばしながら静止していた。

そう、相手の額直近に・・・未だ熱い硝煙の籠もる銃口を向けながら・・・

 

 

 

銃声。

 

 

 

そして、吹き抜けた一陣の風が・・・新たに生じた硝煙を巻いた・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・あ・・・あ・・・あ・・・」

 

驚愕。

もはやそうとしか表現出来無い表情のまま男はそう呟いた。

 

「・・・他に何かご用事はおありかしらぁ〜」

 

平静。

いつもの横顔を月光に照らしながらサキは囁くようにそう話した。

 

「・・・」

 

言葉は無かった。

男にはもはや沈黙しか作る術は無かった。

 

「・・・それじゃ晩ごはんのお時間だからぁ、私達は失礼させていただくわぁ〜」

 

やがて短い沈黙の後、サキはそう言うと男を気にする様子もなく娘を抱き上げた。

その姿は男の目にはその華奢な体躯には身に余る、幾分頼りない姿ではあった。

だがよろけつつもこの場を去り出したサキに対し、男は何もしようとしなかった。

 

何故ならその時、男の心中を満たしていたのは敵意や殺意といったある種当然のモノなど

ではなく、ただ単に助かったことの安堵と開放感、そして喜びしか無かったのである。

 

だが・・・それ故、いや、その程度故、男は時の流れを失念していた。

 

そう、<指揮型>である青年と、そして<純戦闘型>である自分の「玩具」の力によって

この集落の住人達を押さえつける為の恐怖を生み出し続けていた・・・

 

今日もこの場所で行われる筈の「裁き」の時が迫っていたことを。

 

 

 

 

 

 

やがて・・・時の訪れと共に今日も「裁き」が開始された。

 

 

 

 

 

 

一人の人間に対して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから・・・一週間後という時が流れた。

 

「それじゃお世話になりましたぁ〜」

 

そこは集落から出た、この辺り唯一の交通手段である鉄道駅を抱く場所だった。

 

「・・・お世話にって・・・それを言うなら・・・」

「お母さん、それは言わない約束だったわよ。」

「あははー、覚えていてくれて助かるわぁ〜」

 

その中に三人の人間がいた。

丁度路線が集中するこの日らしく、駅を取り巻く雑踏のほんの一画にいた三人だった。

そしてそれは一組の母娘と・・・一人の旅姿の女性だった。

 

「ふん、その程度のこと私が忘れるわけないでしょ。それよりサキこそ忘れないでよ。」

「あらぁ〜、何をかしらぁ〜」

「・・・こ、ここにもさ・・・あ、あんたの家があるってことをさ・・・」

 

その言葉に何時しか娘は自分で顔を赤らめていた。

そして返ってきた・・・包み込むような柔らかい笑顔に更にその色・・・

誰に付けられたのでもない、娘が本来持っていたその色は更に濃くなっていた。

 

「あなたのお許しならぁ〜・・・あははー、忘れちゃ勿体ないわねぇ〜」

 

その時、その日の穏やかな午後の日差しに相応しい暖かい風が周囲を吹き抜けた。

その風は定刻通りに駅へと向かってくる、物資不足のこの時代故に再び現役を命じられた

蒸気機関車が上げる汽笛と煤煙を空へと放っていた。

 

その光景はこの時代においても、それでも人々の営みが続いている証の一つであった。

そして同時に・・・迫り来た別離の時をお互いに告げる合図でもあった。

 

「サキさん。」

「はぁい。」

「お体に気を付けてね。それと・・・私も娘と同意見よ。」

「あははー、ありがとぉ〜」

 

あれから何かがどう変わったと具体的に言えることはほとんどない。

あの夜から今日も人々は以前と同様の貧しく、そして苦しいと言える暮らしを続けていた。

それは、誰かがいなくなるだけで何もかもが解決するということが現実に起きにくい以上、

ある種当然のことであると共に、治安の維持という、歪んでいたなりに担っていた役割を

カヴァーする為の役割分担をせざるを得なくなった分、却ってそれは増したかも知れない。

 

ただ、時を経てここを再び訪れた人間がいたならば不思議に思うかも知れないこともある。

 

それは・・・

 

たった今別れを告げた<得体の知れない余所者>の姿が幻影のように雑踏に消されるまで

母娘が向けていたのと同じ様な・・・<笑顔>を見る機会が多くなっていることに・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・えっ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何気ない光景だった。

それはここに行き来する他の旅人と同様、ありふれた姿だった。

だがその何気ない素振りのまま二人の前に立った時、娘は言い様のない感覚を感じた。

そしてその者が頭から被ったフードをマント毎脱ぎ去った時、それは驚愕へと変わった!

 

「・・・!?」

 

そこにあったのは生傷だらけの憔悴しきった表情だった。

正気の欠片も感じられない定まらない視線を前方にだけ向けていた。

涎を垂らした口から呪詛としか言い様のない意味不明の呟きを発し続けていた。

 

ただ、それは二人にとって、いや集落に住む全員が見覚えのある人間であった。

そう、それは・・・あの夜以来姿を消した筈の・・・だが今この瞬間狂気の表情のままに

持っていた重機関砲を雑踏へと向けるあの男であった!

 

「!」

 

その時!

それでもお互いを庇おうと二人が動こうとしたその瞬間汽笛が響く!

瞬間!

まるで疾風の如き衝撃が母親と娘の間を通り抜ける!

直後!

二人がその衝撃に行動を止めた直後!

その視界に写る狂気の表情が一瞬にして凍り付く!

その額を寸分違わず穿った弾丸がもたらす点が見る見る紅を広げ出す!

そして・・・そして正に木偶人形の如く屍となってその場に崩れ落ちた・・・

 

「・・・!」

 

一瞬の結末、そしてはっとした表情のまま二人は後ろを振り返る。

だがそこに写る風景は100メートル以上の距離を埋める相変わらずの人混みと・・・

その向こうに去りゆく一連の列車のみだった。

 

 

 

・・・結局二人はその<恩人>が誰だったかは知ることは無かった。

いや、正確に言えばその姿を見つけることが出来なかっただけである。

たとえそれがあの汽笛が響いた瞬間に直線距離約数百メートル、しかも標的以外の誰にも

傷一つ負わせることなく拳銃弾を放つという<常識ではあり得ない>ことを行っていたと

いうことになったとしても、二人にはそれが誰だったかということを充分に理解していた。

 

そして・・・そう、それで充分だった。

 

 

 

その後、娘は母親を助けながらもこの集落にて自分の人生を真っ直ぐに歩んで行く途中で

妻として、そして母親としての立場を知ることとなった。

またそのことは同時に母親にとっても家族に囲まれた晩年を送ったということでもある。

それは、やはり苦労の連続とも言えないこともない日々の連続ではあったが、その代償を

支払っても上回ることの多い日々の連続でもあった。

 

 

 

 

 

 

またそのことは・・・旅を続ける一人の女性にとっても・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    G.S.M.Epsode03:" Chipping Calix "...THE END

 

 

 

 

 

 

G.S.M.Epsode04:" Disabled Destiny "...COMING SOON!

 

 

 

 

 

 

...Tomorrow will take care of itself.

 

 

 

 

 

 

ご意見、ご感想等、何かございましたら掲示板まで。