その少女は、小高い丘から村を見下ろしていた。

 

 紅玉のような両の瞳、血の通う者とは思えぬほど白く、極めの細かい肌。

 蒼み掛かった銀髪、その彩りは、他の生命あるどの女性にも似ていない。

 そして、その全てに人離れした半神的な美があった。

 

 歩を進める度に白い長衣(マント)の脇より、時折のぞく短衣(チュニック)の腰には、

呪術的な意味を持つ紋様が刺繍された飾り帯が巻かれ、複雑な造形の短杖(ワンド)が

挟まれている。

 見る者が見れば、それは魔術師(マグス)の位階に達した者だけが携帯を許される品だと

判るものである。

 

  やがて、少女は無言で丘を下りはじめた。

  少女の名はレイ……魔物狩り(デアボリカ=スレイヤー)を生業としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蒼い焔(ほむら) 妖剣士レイ

 

 

 

〜 DEABOLICA SLAYERS ROMANCE SIDE STORY 〜

 

 

 

BY:平 山 俊 哉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 貧しい村であった。

 旅に必要になる水や食料を調達出来ればと、足を運んだものの、どうやら徒労に

終わりそうである。

 

「ねぇ、お姉ちゃん・・・魔法使い?」

 

 不意に、舌っ足らずの可愛い声が聞こえてきた。

 レイは表情も変えず、声をしたほうに顔を向けた。

 

 姿を見せたのは、愛らしい顔立ちの1人の少女だった。

 厳しい生活を強いられ、薄汚れ、栄養状態は良くないようだが、それでも、

子供特有の溌剌とした生気と愛嬌が、見るものの心を和ませるような明るさを

振りまいている。

 

「ねえねえ、魔法使いなんでしょ?」

 

 少女の視線は、レイの腰の短杖に注がれている。

大抵のものは、見過ごすそれに対する知識を一体どこで得たものか。

しかし、レイはそれ以上の関心を失ったかのように立ち去ろうとする。

 

「お願い、この村をヴァンパイアから守って!!」

 

 不意にレイが足を止めた…ヴァンパイア、闇の種族の中でも最も危険な存在。

 それでも、他の地から流れて来た「はぐれ」程度なら、飛ぶ事も、変身する事も

出来ず、危険度では、狼憑き(ウェアウルフ)や、死人憑き(ゾンビー)とさして

代わりはない。

 そして、辺境には彼らを狩り出すハンターも数多い。

 

 だが、吸血貴種(ヴァンパイア=ロード)と呼ばれる生来の妖人は格が違う。

彼らは一夜にして人の領域を、闇の版図に塗り変えるほど危険な力を持っている。

 このクラスになると、無論、並みのハンターでは物の役には立たない。

彼らを倒せるものは、ダンピールと呼ばれる極めて希れ且つ特異な存在か、

高度な魔術を駆使する者に限られていた。

 

「ヴァンパイア・・・何処にいるの?」

 

「わあ、お願い聞いてくれるの!?」

 

 もし、この少女の言う者が、ヴァンパイア=ロードであったなら、彼女の所属する

魔法ギルドは、何を置いても殲滅の指令を与えるだろう。

 なにしろ彼らは、人の生存圏そのものを脅かす不倶戴天の存在なのだから。

 

 だが、もしレイを知るものが、この場に居合わせたら、仰天して目を剥いたかもしれない。

 彼女が、自分から他人に関わることなど、それまで皆無に等しかった・・・

 

・・・レイにはギルドの方針以外に、ヴァンパイアに関わる深い理由があった。 

 

「”空の尖塔”から与えられた役目が終わったら・・・」

 

「”空の尖塔”ですって?……すごい、すごおい、やっぱりすごい魔法使いなのね!!」

 

 ”空の尖塔”(アカシック=オベリスク)、高名な世界有数の魔術師ギルドである。

 満面の笑みを浮かべる少女、だが、せっかくの尊敬や感謝のまなざしも、レイにはさして

感銘を与えた様子は無いようだった。

 

「あたし、エナ・・・エナ=ハークネスよ」

 

「レイ・・・ただのレイよ」

 

 何の感情も篭らぬ表情で、名を告げる銀髪の少女。

 

「おいおい、そこの別嬪の魔術師さんよお、いきなり来て仕事の横取りはねえだろう!!」

 

 いきなり割り込んだ野卑な声に、二人の少女の会話は遮られた。

 どやどやと、武器や具足のかき鳴らす音が響き、屈強そうな男たちが近づいてくる。

風体や装備からして、流れの戦士団であろう。

 

「へへへ、こぉんな綺麗な顔をして、魔術師(マグス)なんて因果な商売とはねえ。

”都”の色街にでも立ったほうが、よほど実入りがいいだろうによお……」

 

白昼から、濃い酒気を帯びた先頭の男が、品性の欠片も無い声と言葉をレイに投げかけた。

 

「……………」

 

レイは一言も返さず、また何の関心も覚えた様子も無く、ただ平然と立っている。

 

「どうだ、ヴァンパイアを倒せば、ハンターギルドからも、この近隣の自治区からも

けっこうな賞金が入ってくる。俺たちと一緒に来ねえか?・・・いい思いさせてやるぜ」

 

 男は、ニヤニヤ笑いながら手を伸ばし、レイの頤を、無造作に掴んだ。

 レイの反応を楽しもうとしているのが明らかに判る。

 だが、予想に反して、レイの端整な顔にはなんの感情らしきものも浮ばなかった。

 

「その手、どけてくれる?」

 

 まるで、路傍の石に向けるような醒めた視線と、何の感情も篭らぬ冷淡な声。

 レイの年頃の娘らしい相応の反応を期待して、呆気なく裏切られた男の顔に、

一瞬呆けたような表情が浮ぶ。

 

「な、なんでぇ、お高くとまりやがって!!」

 

 だが、次の瞬間、男は、自分の行いを棚上げし、まるで人間としての価値を、

頭から否定されたかのように激怒する。

 

「ば、馬鹿、いいかげんによせ!!」

 

「相手は魔術師(マグス)だぞ!!…呪いでも掛けられたらどうする!?」

 

 慌てて、止めに入る仲間たち…。

 このような迂闊者の巻き添えを食うのは彼等とて御免である。 

 

「あなたたちの邪魔立てはしないわ…。好きにするといい…」

 

 レイは、醒めた視線で、ただ、それだけを告げると、優美と言える足取りで立ち去った。

 

「ううーっ、おねえちゃん・・・・」

 

 エナは、せっかく自分の取り付けた契約が、無駄になるのを怖れた。

 このような、粗暴なだけの男達とは、明らかに「格」が違う…、目に見えない強い力を、

直感的に、彼女はレイから感じとっていたのである。

 

 エナは、レイの跡を追いかけた。

 しかし、さして、早足とも思えなかった足取りにも関わらず、彼女はとうとうレイに

追いつけなかった。

 

 

ゅうううううううう・・・・

 

 

 

村落に続く渓谷を渡る強風が、異様に鳴り響く。

そろそろ正午だというのに、曇った空は厚いヴェールとなって

太陽光を遮っている。

 

「ちっ・・・何て、シケた陽の光だ」

 

悪態をつくのは、昨晩レイに絡んだハンターの一団である。

 

言うまでもないが、吸血鬼(ヴァンパイア)ら、夜族(ミディアン)の

類を殺すには、陽光が溢れる白昼に戦闘を持ちこむのが好ましい。

命のやり取りに不利な要素なぞ、極力排除するに越したことはない。

 

しかし、万一後手に回って想定外の被害が出た場合、ギルドの報酬は

著しく減額される・・・下手すれば、ここに来る前に”都”で買い求めた

ハンティングの切札の代金で足が出てしまう可能性さえある。

 

この際、多少のリスクには目を瞑るしかなかった。

 

 

「なぁに・・・コイツならそうそう遅れを取ることはないって、

それに、たかが”はぐれ”程度、この人数なら・・・」

 

「んんー?・・・・おい、あれ?」

 

 

・・・・たたたたた

 

男たちの眼前に何か白いものが駆け寄ってくる。

近付くに連れ、それが一人の少女であることが見てとれる。

 

 

はあ・・・はあ・・・

 

 

荒い呼気・・・、おそらくは何者かに襲われたのか、質素な着衣が

所々破け、白くなだらかな左肩が剥き出しになってしまっている。

 

子供のようなおさげ髪、まだあどけなさの残る顔には薄っすらと

そばかすの痕が見える・・・まだ肉付きも薄く、伸びやかな四肢の、

初々しい感じのする少女である。

 

 

「・・・た、たすけ・・・て」

 

 

少女は息も絶え絶えでそう告げるのがやっとという有様だった。

 

余所者の彼らでは判らないが、こんなところまで足を運ぶところを見ると、

おそらく、あの村落の薬草摘みでも生業にしている娘だろう。

 

「ああ?、おい、ヴァンパイアか!!・・・答えねえか、このアマ!!」

 

「ふっ、へへへ・・・、お、おいでなすったなあああ!!」

 

「おう、その娘はその辺にでも除けとけ!!

・・・そうさな、あとでうんと礼を弾んでもらおうじゃねえか」

 

余裕を誇示するためか、芝居じみた口調で笑おうとして、男は失敗した。

 

 

ぐおおおおおお・・・ん

 

 

風鳴りの音がいつのまにか変わっている・・・何か、得も言われぬ

剣呑な気配が、じわりじわりと自分たちのほうに近づいている!?

 

 

「な・・・!?」

 

いつの間にそこに現れたのか・・・まるで地面から涌き出たような、

ひとつの小さな人影が男たちの前に立っている。

 

 

「・・・その娘、こっちに渡してもらおうかしらぁ?」

 

 

高圧的な言葉の内容を、思わず忘れてしまうような澄んだ高い声。

この荒涼とした風景にあまりにも不似合いな・・・。

 

その形容し難いほどの壮麗さ・・・、真紅の短衣(ケープ)からのぞく、

まだ幼ささえ残るしなやかな肢体は、まぎれもない少女のものだというのに・・・

 

風に舞う赤みがかった金髪のその一筋一筋までもが異様なまでに

艶やかさを湛えている。

 

 

・・・まるで生命持つ炎の花のごとく。

 

 

そして、その圧倒的な存在感・・・全身から噴き出る波動のようなものが、

あたかも強引に人間の可視域に割り込んでくるかのように・・・

 

 

・・・・ごく

 

 

いつしか、男たちの輪の中から、あさましく咽喉を鳴らす音が漏れ出た。

 

 

 

 

 

 

「お、おい・・・あらぁ・・・」

 

「あ、ああ・・・、”はぐれ”なんかじゃねえ・・・」

 

”はぐれ”も、元を正せば吸血鬼の被害者であり、かって有していた

はずの知性も失い、夜族の不死性も変身能力も有しない・・・

プロのハンターなら、比較的組し易い相手である。

 

 

だが・・・眼前の、美しい少女にしか見えないこれは・・・?

 

 

波打つような金色の長い髪。

ケープからのぞく若々しい雌鹿のように均整の取れた美しい肢体。

 

量感に溢れた魅惑的な胸は、滑らかな光沢を放つ黒皮のビスチェに

納まりきれず、瑞々しいラインを描いている。

 

 

・・・そして、瞳の碧色が放つ、爛々と湧き立つような邪気。

 

 

こんなものが生ける死者に等しい下等夜族のものであるはずがない。

おそらくは、生来の魔性(デアボリカ)である”エルダー”か?

 

 

 

「・・・お、落ちつけ・・・、まだ勝てない相手じゃねえ」

 

「あ・・・、ああ、巧くいきゃあ、報酬の額の桁が2つは確実に上がる」

 

 

無知な男たちにも、本能的に相手の剣呑さが感じられる。

とは言え、相手が美しい少女の姿をしている故か、愚かにも、

なお金銭欲と生命を測りに架けるほどに相手を軽んじている。

 

 

 

・・・今が、まさに生と死の分かれ目だというのに!!

 

 

 

「はっ、都落ちのハンター崩れか・・・、アタシを倒して名を挙げよう

なぁんて馬鹿がまだこの世にいたなんて驚きだわ」

 

「う、うるせええっ、この・・・化け物!!」

 

「ばけものおぉ?・・・下賎な人間風情に言ってもらいたくないわね!」

 

「あんだとおおおおおおお!!」

 

「バカ野郎、止めねえか!!?」

 

仲間の制止を振り切り、激昂して手にした雑な拵えの長刀(ブロード=ソード)で

切りかかる若い男。

 

・・・あのレイに絡んだ血の気の多い男である。

 

 

 

す・・・・

 

 

「げっ!?」

 

 

真紅の吸血姫は煩わしげに、刃を二本の指のみで摘み取り静止させた。

渾身の力を込めたはずの刃をいともた易く・・・男の濁った目が驚愕で見開かれる。

 

 

「ほんの少しの間だけど、そのふやけた頭に覚えられる限り覚えておくことね」

 

にこりと唇の端が笑みを象る。・・・それは、あまりにも凄惨な美だった。

 

「吸血貴種(ヴァンパイア=ロード)、このアスカ=ラングレーの姿をね!!」

 

 

「な・・・何ぃ!?」

 

人類の脅威とされる魔性の者の中でも、最強、そして最悪と謳われるヴァンパイアロード。

 

・・・男達の中に戦慄が駆け抜ける!!

 

 

「・・・ま、まさか、こんな小娘が!?」

 

 

きぃぃ・い・い・・・・ん!!

 

 

さして指先に力を篭めた様子も無い・・・が、次の瞬間、

長刀(ブロードソード)が、脆い陶器細工のように砕け散る!

 

 

「お、おわああああ!!」

 

 

本能的な恐怖に囚われ、後ずさりする男。

アスカと名乗った少女の魔性は、優美にその腕を薙ぐ!!

 

 

しゅううううううっ!!

 

 

瞬間、数メートルの距離を置いて、男の身体に縦方向に数本の亀裂が

浮き上がったと見るや、たちまち噴水のように血が吹き上がる!!

 

 

「もげ・・・・ぇ!!?」

 

 

「erst(エーアスト)・・・(一匹目)」

 

 

何が起こったか知覚できる暇があったのか・・・もんどりうって倒れこむ

男の傍らに歩み寄ったアスカは、流れるような動作で、ケープを脱ぐと悠然と

その美しい半裸の姿態を晒し、噴出する生暖かい血液をまるでシャワーのように浴び始めた。

 

 

驚くべきことに、少女の肢体を染めた血潮は、さして間を置かず、色褪せ、

黒ずみ・・・やがて完全に消え失せてしまう。

 

 

「き・・・ひぃいいいいい!!」

 

「ば、ばけものがああ・・・」

 

 

血のかかった柔肌は何の痕跡も残さず・・・、それどころか、

より一層艶やかさを増して、まるで真珠のように幻想的にきらめく。

 

全身で血を吸収しているのである!!・・・まるで砂地が水を吸うように。

この華麗で高慢な吸血貴種は、下賎な血なぞ口にする気にもならないらしい。

 

 

「おわああああーーーっ!!」

 

 

「ろ、ロードだぁ!?・・・ギルドのバカ共が、聞いてねえぞ!!」

 

 

彼らが戦闘エリアに、この渓谷を想定したのは獲物の動きを限定するためで、

仮に獲物が手負いになって、血迷い突出して来ても高い確率で前進は阻める。

(最悪、逃げ出されても、優先事項である村の安全は確保出来ることとなり、

ハンターギルドに伝えれば、滞在費等の名目で少なからぬ一時金をせしめる

ことが出来るのである)

 

 

・・・しかし、いずれも、こちらが戦力的に優位であればこそ。

 

 

算を乱し、逃げ惑う男たちの前にアスカが魔風のように移動する。

 

 

「た、助けて・・・助けてくれええ!!」

 

 

無様にへたりこむリーダーらしき男。

だが・・・その伏せた瞳の奥では、まだぎらついた光が宿っていた!!

 

無造作に近寄るアスカの様子を窺ったまま、ベルトの背部に挟んだ

銃身(バレル)を切り詰めた散弾銃に手が伸びる!!

 

 

だっ・・・!!

 

「げっ!?」

 

銃を構えたその瞬間、あのそばかすの少女が飛び込んできて、男の腕に

 

絡みついた!・・・年端もいかぬ娘のものとも思えぬ驚くべき膂力である。

 

 

「くそおおおっ、てめぇもグルかああっ!?」

 

 

男が大喝し、少女を渾身の力で跳ね飛ばす。

簡抜を入れず、散弾銃が咆哮する!!

 

 

ウウウウウーーーーッツ!!

 

 

思わぬ妨害はあったものの・・・よほどの強運が味方しているのか、

弾丸はアスカに命中していた!!

 

しゅっ!

 

凄まじい衝撃音・・・そして、水を詰めた皮袋が弾けとぶような音と

共にアスカの左半身が破裂する!!

 

 

放たれた弾丸は散弾ではない・・・が、弾体そのものの威力というわけ

でもない。大口径のスラグ弾の中に収められたものは、古来より魔物退治に

効果を発揮すると言われる、魔力を篭めた特製の”水銀”の弾である。

 

 

「は・・・、はははあ、こ、これが・・・人間サマの智恵ってもんだせ!!

化けモノが!!」

 

 

元来、狡猾なハンターの彼らである・・・・自分らの生命線である切札に

関しては懸命に重圧に耐え、かろうじて相手に気取られないようにしていた。

 

大仰に怯えて見せたのも、知性のある相手の油断を誘うため

・・・のはずだったが、その実、たいして演技なぞ必要としなかった

 

 

・・・そう、威圧感に押し潰されないためには、ことさら大声で喚かずには

いられなかったのだ。

 

 

 

「こおおのっ!!」

 

スパイクのついた防護盾や、鎖付きの分銅を振り回した生残りの男たちに、

無残に打ち据えられるおさげ髪の少女。

 

 

「ぜぇ・・・ぜえ、こいつも”はぐれ”じゃねえ・・・後催眠操作か。

それともヤツらが気まぐれに作る”従者(サーバント)”ってやつだな」

 

「殺しておくか・・・こうなった以上、許可は出るからなあ」

 

 

「お待ち!!」

 

 

「「「何!!?」」」

 

突然、背後から聞こえる凛然とした声に、驚愕する一同。

 

 

「・・・ま、まさか?」

 

 

そのまさかである・・・半身の吹き飛んだアスカの身体より、まるで紅い

霧のようなものが噴出し、纏わりつく・・・それは見る見る密度と粒子の

大きさを増し、再び元の形状を復元していく。

 

 

ふふふふ・・・くくくく・・・・

 

 

いつしか、アスカの含み笑いが聞こえてくる。

 

 

「あーっははは、そーんな聖別もされてない・・・それどころか魔力だって

ろくに乗ってない水銀弾(メルクリウス)を、いったい幾らで掴まされたのかしらぁ?」

 

 

「な・・・なんだと!?」

 

「コイツ・・・まるで効いてねえのか!?」

 

 

やがて、紅い靄が凝集し・・・男たちの眼前に、完全に復元したアスカが再臨していた。

 

千切れた黒皮のビスチェはそのままに、・・・吹き飛ばされたはずの左半身の

皮膚は、まるで生まれたての赤子のように艶やかである。

 

皮の拘束を解かれ、少女のものとも思えぬ乳白色の豊かな胸が顕わになる。

それは、周囲に満ちていく邪気さえ忘れさせるような、息を呑む美しさである。

 

 

「・・・さあ、アタシのヒカリをいたぶってくれた礼をしてあげるわ!」

 

 

桜色の花のような唇の端が、ふたたび凄絶な笑みを象る。

 

 

「・・・げ、ぎゃあああああーーーーーーっ!!!」

 

 

魂消るような絶叫が恐慌の始まりとなった!!

 

もはや、男たちの命運は定まっていた・・・・

水浴中の月神アルテミスの裸身を盗み見た・・・哀れな男たちのごとく。

 

紅い影が化鳥(けちょう)のように、渓谷を縦横に舞う!!

 

 

「ひ・・・ひぃいい!!」

 

また、一人のハンターを眼前に捉え、アスカの小さな手がついと突き出される。

さして力を篭めた風でもない掌底が、屈強そうな男の胸板を軽く貫く!!

 

「ばぁ・・・、にぃらあああああああーーーーーっ!!」

 

まるで高速度撮影で捉えられたかのように男の巨体が見る見る萎んでいく。

大量の体液とともに、生命磁気(イド)を吸い取られているのである。

 

 

 

「・・・・ひゃああああああ!!」

 

 

最後にたった一人・・・生き残ったリーダー格の男の前に回りこむアスカ。

その掌に、紅い蜘蛛の巣を連想させる多角形の力場(フィールド)が展開される!!

 

 

「さあ、大地母神リリスへの・・・あの淫売の元締めへのお祈りは終わったかしらぁ?」

 

 

ぃん・・・

 

 

軽く指で弾くように、アスカから凝縮された力場が放たれ、男の体内に

吸い込まれる・・・半瞬遅れ、それは傘が開くように一気に展張する!!

 

 

「が、あぼらあああああああーーーーっ!!」

 

 

身体の内部から男の身体がばらばらに寸断される。

しかし・・・真の恐怖は未だに訪れていなかった!!

 

 

「ぁ・・・あああ」

 

「・・・ひぃいい」

 

「たすけ・・・・たすけてぇ・・・」

 

 

おぞましいことに・・・、ハンターたちは、肉体を完全に破壊されながらも、

なお生きていた・・・まるで等括地獄のように!!

 

ヴァンパイアロード=アスカの魔力は、自ら殺した者に対し、かりそめの

生命を与えて、アンデッドと化すことが出来る・・・。

 

 

・・・・たとえ、それが細切れの肉片であろうとも!!

 

 

自分を激怒させた犠牲者(ヴィクテム)たちに、安らかな死を与えるほど

この小さな吸血貴種は、寛容でも、慈悲深くもなかった。

 

 

虐殺の宴は終わった・・・傷付き、地に伏したヒカリと呼ばれた

先刻の少女の傍らに、そっと立つアスカ。

 

 

「ごめん・・・ごめんね、痛かった?・・・ヒカリ」

 

 

気遣わしげに、ヒカリを見遣るアスカ、

今や、先刻の恐ろしい形相は影を潜め・・・、吸血姫アスカの表情は、

完全に外見相応の少女のものとなっている。

 

鋭い刃のような紅い爪を滑らせ・・・破れたヒカリの着衣を切り開き、

花のつぼみのような上半身と縦横に走る傷口を顕わにするアスカ。

 

 

「・・・いま、治してあげる・・・アタシが」

 

 

アスカの唇が、ヒカリの瑕にそっと触れ、やがて緩々と這い始める。

吸血姫の唇が触れる度・・・少女の身体の傷口に、鮮やかなピンク色が

広がり・・・先刻アスカが再生したときと同様、見る見る塞がっていく。

 

 

「ふ・・・・くぅ」

 

 

そして、その都度、ヒカリの全身に熱を伴った甘やかな疼きが走る。

 

ある日、生まれ育った村を壊滅させたアスカに魅入られ・・・、

 

その身に彼女を受け入れ、従者(サーバント)となった日から

このような事は、幾度と無く在った。

 

 

・・・こうして、アスカに瑕を癒してもらう度に、

・・・もとの自分の血肉とは違うものに造り替えられていく。

 

・・・こうされて、熱を感じない部分は・・・

・・・もう・・・ヒトじゃなくなっている。

 

 

「・・・アスカ、おねがい・・・・こんなことは・・・もう」

 

 

「・・・お黙りなさい、ヒカリ!!」

 

 

苛立たしげな応えと共に、ヒカリを強引に組み敷くアスカ。

既に、目に付く範囲での傷は消え失せている。

 

 

「アンタは、黙ってあたしの言うままにしてればいいの・・・・」

 

「あ・・・アスカ」

 

ヒカリの膨らみかけた小さな胸の頂の、淡い蕾がアスカの真紅の唇に

摘み取られる。

 

 

「だめ・・・、アスカ・・・」

 

 

癒しを受けた直後で、敏感になっているままである。

切なげに首を左右に振り、許しを乞おうとするヒカリ。

 

 

「だめ・・・・、許さない、あなたはアタシの、アタシだけのものなの」

 

(あなたが、あの海から戻って来るのを・・・アタシ、ずっと・・・ずっと

待ってたのよ!!)

 

 

「アスカ・・・あすかぁ・・・」

 

 

平凡な農夫の娘だったヒカリには、アスカという驚異的な存在が、いったい、

いつこの世に現れ、いつから現在の力を身に付けたのか想像もつかない。

 

ただ、時折見せる・・・まるで何かを求めているような寂しげな表情。

まるで小さな子供のような・・・あれはいったい何なのだろう?

 

何者も及ばぬ、あれほどの恐ろしい力を持っているというのに・・・

 

何もかも判らない・・・が。

人の心を知るに聡いヒカリは、ただひとつだけ気付いたことがあった。

 

 

(そんな風に・・・なんでも力で圧し伏せて、壊しても・・・

あなたの心は、決して充たされはしないのよ・・・アスカ・・・)

 

 

愛撫に果て、裸の胸を晒したまま横たわるヒカリの傍を離れるアスカ。

 

 

 

「チッ・・・あの女の匂いがする・・・・いったいどこまで、アタシの

邪魔をすれば気が済むってえのよ!!」

 

(アンタなんか何人来ても・・・みんな殺してやるわ、ファースト!!

 

 

不意に天空を見上げるアスカ・・・その碧の瞳には、曇天にも関わらず

残月と、それに架かる大地母神リリスの血潮と呼ばれる紅い星の河がはっきりと

映っている。

 

 

「見てらっしゃい、シンジ・・・アンタの惰弱な精神の作りあげたこんな世界

・・・アタシが、何ひとつ残さず壊してやる!!

 

 

 

 

 

 

 一方、レイは空の尖塔(オベリスク=オブ=アカシック)から与えられた

本来の任務を果たすべく、あの村落から、幾分離れた位置にある草原に

向かっていた。

 

 その近隣で、最近薬草採りの娘たちが、行方不明になるというのである。

 

ョオオオオ・・・・

 

 

 風が強い・・・空をヴェールのように覆った雲も、互いに速さを競うかの

ように流れていく。

 

じゃり・・・じゃり

 

 足場の悪い傾斜を、まるで浮遊しているかのように悠然と歩を進めるレイ。

 

(・・・”気”が濁ってきてる・・・近い)

 

 さらにレイは、幾つものの斜面を滑るように越えていく。

 

 唐突に視界が広がる・・・おそらくは、ここが目的の場所であろう。

 荒涼とした風景・・・溢れる瘴気で緑は枯れ失せ、いまや全くの荒れ野と

言ってよい・・・その中心に、旧いねじくれた巨木がただ一本立っている。

 

 それは、まるで・・・祭礼の時、華美に飾られる大地母神リリスの宿り木の

醜悪な模倣であるかのように、無数の娘たちのものらしい人骨や干からびた骸が

・・・あるものは蔦に張り付けられ、また、あるものは枝から首吊りのように

ぶら下がっている。

 

 

ゃーっははははははああ!!!

 

 

 音律の狂った異様な笑い声が、レイの耳朶を打つ・・・

 その陰鬱な笑いに和するかのように、怪木を取り巻く蔦がざわざわと大蛇の

ようにうねる。

 

 

 唐突に中空に幻影のように・・・裸体の美少女のイメージが浮かび上がる。

・・・だが、その表情は狂気に歪み、瞳にはぎらついた欲望が宿っていた。

 

 

(・・・・やはり)

 

 

 ”空の尖塔”の導師(メンター)や、レイ自身の立てた予想は的中していた。

巨木に宿る、狂った樹木の精霊(ドライアド)が、無数に生い茂る吸血蔦を、

使役しているのである。

 

 新たに瘴気が噴出し、見る見るレイの周囲に充満していく・・・。

 

 

「・・・そう、狂わされているのね」

 

 

まるで魂さえも穢れてしまうような、凄まじい瘴気が満ちる中・・・

レイは、まるで意に介さぬかのようにぽつりとひとりごちる。

 

 特に、相手の反応を期待したものでもない・・・

 彼女は誰に対しても、そのような素振りを見せるのである。

 

 

(うふふ・・・アナタ、ニンゲンノ術使イね?・・・きれいナ魂・・・強い魂・・・オイシソウ)

 

 

その言葉と共に、鮮紅色をした蔦がレイのほうにじわじわ這い寄ってくる。

 

(死ぬ前二、可愛ガッテあげル・・・ウント可愛ガッテあげる・・・

ちょっと魂ヲくすぐるト、ニンゲンノ娘、ミンナミンナ、キモチイイッテ

言ッテクレル・・・モットタクサン欲しいト哀願シテクル・・・

 

・・・勿論、その願いは叶えてアゲルの・・・

 

だって、そのほうが魂が美味シクなるのだもの・・・

吸血蔦(ヴァンパイアーヴァイン)も、タクサン増エルし・・・

私も・・・トテモウレシイ・・・うフフフ・・・・)

 

 一方的に流れる独白に、やがて音律が宿り、呪力が篭った”歌”に変化した時、

レイが整った眉目をぴくりとそびやかした。

 

 

 (・・・これは!?)

 

 

 この狂精霊の歌う”スピリチュアルソング”は、捕食の際に人間の感覚を

縛る特性を持っている!!

 

 

ずる・・・ずる・・・

 

 

 タイミングを計ったように、蔦がまるで気味の悪い生き物のように這い上がり、

僅かに半瞬、対応を逸したレイの足先に絡まる。

 

ぷつ・・・

 

「ん・・・!!」

 

 蔦には鋭い針のような刺が疎らに生えており、それらがレイの新雪のような

真白い皮膚の下に潜り込んでいく。

 

「くっ・・・う・・・」

 

 あえかな喘ぎを唇から漏らすレイ・・・鈍い痛みが、すぐさま疼くような感触に変り、

全身の神経が少しずつ浸されていく。おぞましいことに、その疼痛は徐々に痺れるような

甘美なものとなり、華奢なレイの身体にじわじわと蓄積されていく。

 

 

(これは・・・、毒?)

 

 

 ぷっくりと蚯蚓腫れのように盛り上がった皮膚の感覚が異様に過敏になっている。

身を捩る度・・・、いや行き過ぎる風の感触でさえ燃えるように反応してしまう。

 

 

・・・まるで、秘めやかな泉への蕩けるような愛撫のように・・・

 

 

「ふ・・・くううっ・・・」

 

 

 染みひとつない白磁のような肌に、珠のような汗がふき上がる・・・

 

 全身を駆け巡る快楽・・・、まるで無垢な肢体を、そのまま淫蕩な肉の器に

造り替えられてしまったような・・・

 

 未だに情交の経験も、その悦びも知らぬレイは、ただ身を戦慄かせながら、

静かに濡れていくしなやかな両脚を擦り合わせて、懸命に耐えようとする。

 

 

「ん・・・くっ、水(アーパス)」

 

 

 レイが携えた短杖(ワンド)を振ると、中空に水の球体(スフィア)が浮かび上がる。

 ”水霊術(アーパスマジック)”・・・・、レイが、”空の尖塔”に見出されてから、

 習得した秘儀術のひとつ。

 

 

 運動エネルギーの対象や変質により、その威を様々な形で発揮する”火”や”風”。

 それに対し、それらの媒体となることで内包された効力を発揮する”水”や”土”。

 

 

 それらの属性、そして”秩序(コスモス)”や”混沌(ケイオス)”といった

ベクトルとの調和により得られたエナジーで、魔術師(マグス)は、この世の森羅万象に、

干渉出来る”力”を得るのである。

 (因みに、より混沌に傾斜したものは、”邪術(ダークアート)”と呼ばれる)

 

 術師の道場として高名な、”空の尖塔”(オベリスク=オブ=アカシック)、

その名の由来となった、”空”(アカシャ)は、その理(ことわり)を示したものと

言われている。

 (独自の精神修養により、”空”の存在を体感することが、魔術師(マグス)の

第一歩であり、この世界の魔術は、そうして得られた実践技術の一つなのである)

 

 

 レイの淡い桜色の唇から呪句が漏れる・・・如何なる毒気をも掃う”浄化”の秘儀。

 しかし、効力が鈍い・・・精神がまるで集中出来ていない。 

 

 

「んんっ、あ・・くっ」

 

 

 いままで感じたことのない鮮烈な感触に、レイは堪らずその場にうずくまった。

 

 

(ほら、キモチいいでショ・・・これから、アナタも食べてアゲル・・・)

 

 

 「くっ・・!!」

 

 

 懐に忍ばせた短刀(ダガー)を抜き出し、何の躊躇いも無く自分の二の腕に

滑らせるレイ・・・痛みでなんとか意識を保とうとするが、いかなる感覚器官に

拠るのか、吸血蔦が薄汚い毒蛭(ひる)のように、レイの腕に巻きつき鮮血を貪る。

 

 

(・・・あーははは、美味しイイイ・・・ゴチソウ、ご馳走・・・)

 

 

 感覚を共有しているらしい狂精霊が、愉悦に満ちた声を上げる。 

 

 

りりり・・・・

 

 

 そのまま、レイの小さな胸の膨らみの上下を絞りあげる吸血蔦・・・、

 肺の中の全ての空気が搾り出されそうな圧力・・・初手の手際の良さといい、

この狂精霊は、明らかに術使いに対する責め方を心得ている・・・。

 

 

 絶息しかけるレイの表情に、苦悶の色が濃くなる!!

 一重二重と巻きつく吸血蔦は、ずるずると彼女を宿主の元に手繰り寄せていく。

 

 

 レイは、意を決した表情で何かを小声でささやく!

 

 

 「・・・・・・・・」

 

 

(ン・・・、ナニか変・・・ナニをしたの?)

 

 

 狂精霊の様子が変化する・・・吸血蔦の動きがいつのまにか鈍くなっている。

 

 

 レイの唇の端から漏れ出でているのは、もはや無意味な苦悶では無い。

 ”水霊術”のものとは違う・・・何やら別種の呪句のようなものである。

 

 

「やーれやれぇ・・・久しぶりに封印を解く気になったかと思えば・・・まーた

こんな役廻りなのぉ?」

 

 

 その声は、奇妙なことにレイとほとんど同じものだった・・・が、口調は数段

軽薄な雰囲気を漂わせていた・・・いつのまにか、レイの右腕より白い蛇のような

ものが生え出て、巻きついている・・・が、よく目を凝らしてみると、その乳白色の

先端は、3対の純白の翼が生えた、まるで小妖精(ピクシー)のような姿をしている

 

・・・それも、レイの姿にそっくりな。

 

 その小さな両腕には、肉色の棘の束が、しっかりと抱えられえていた。

 

 

「ねーね、どーお?・・・・あたしって役に立つでしょ?・・・えへん!」

 

 

 愛らしい口調と仕種で、自慢する小さなレイの姿をしたもの。

 

 

 ・・・名を「子宮天使」アルミサエル。

 

 

 とある事件が切っ掛けとなり、とある目的で「レイ」に寄生した謎の生命体である。

 

(人語を解するが、さして知恵や知識があるわけではないらしい・・・自ら「使徒」と

 名乗りはしたが、それが如何なる存在なのか・・・当の彼女自身、説明出来ずにいた)

 

 

「それからー、へんな毒液(ヴェノム)は中和しといてあげたよー、ね、ね、

あたしえらいー?」

 

 

 宿主の正面に身を運んだアルミサエルは自慢したくてしょうがないらしい。が・・・

 レイは抱き人形のように、右手でアルミサエルの身体を抱え、左手の人差し指を、

小さな桜貝のような唇に重ね、それ以上のおしゃべりを封じた。

 

 

(う・・うそぉ・・・”天使”憑きナノ?・・・)

 

 

 驚愕を隠し切れない狂精霊・・・どうやら道を外した存在とて、それが如何なる者か、

理解できるらしい。

 

 

「・・・あなたには・・・罰が必要」

 

 

 レイが指をぱちりと鳴らすと、何も無い空間が陽炎のように歪んで見え始める。

 あたかも地獄の釜のように変じたその中に、蒼白い炎が滾り噴出している。

 

 

「其は邪陰を祓う腕(かいな)より出ずる蒼・・・其は秘王の紅炎より貴きもの」

 

 

 ごく短い呪句が結ばれ、魔の蒼炎がレイの掌中に注がれていく。

 

 

(テ、火(テジャス)っ!?・・・う、ウソ、アナタハ水(アーパス)ノ術使イノハズ!!)

 

 

「・・・それは、わたしが修行をして身に付けた属性にすぎない・・・

最初から、持っていたものとは違うもの・・・」

 

 

 かって、天使は炎より生を受けたと言われるが・・・、まさか、この少女は?

 

 

(嘘ヨォッ、ソンなのこの世にいるわけないモノ!!・・・ま、マサカ、あなた?)

 

 

「狂精霊よ・・・汝の歪められし属性、今、相克せん」

 

 

 淡々と、秩序(コスモス)を重んじる、”空の尖塔”の術者に義務付けられた

誓言をささやくレイ・・・その表情には、相変わらず何の変化も見受けられない。

 

 

(イ、イヤっ、消えるのは嫌あああーーーっ!!!)

 

 

「・・・そう?・・・でも、だめ」

 

 

レイのしなやかな腕が翻ると、蒼い炎が一面に広がっていく!!

 

 

 

(怖い、コワいいいいいっ、タスケテ、助ケテェ、アスカあああああっ!!

 

 

 

(!!・・・アスカ!?)

 

 

 蒼き炎は、哀れな少女たちの骸ともども、樹木の怪を現世から消し去った。

飛散した残り火は、そのまま、野辺送りのものと変わっていく。

 

 

「く・・・」

 

 

 足がふらつく・・・、さすがにあのおぞましいダメージは、そうすぐには復調しない。

沐浴し、水霊術(アーパスマジック)で、毒気を完全に拭っておきたかったが・・・、

今や、そのような余裕なぞない。

 

 

 昨夜逢ったあの幼い少女、エナ=ハークネスが言ったヴァンパイア。

生来、聖なる存在である樹精霊を狂わせ、多くの生命を刈り取った恐るべき魔性。

 

 

・・・まさか、それが!!

 

 

(アスカ・・・・・、弐号機パイロットが、傍まで来ている!?)

 

 

 重い足を引きずるようにして、レイがようやくあの村落に戻った時・・・

 

「!!」

 

 巨大なミキサーにかけられたように粉々に破砕された住居の構造材がいたる

ところに散乱している・・・すさまじい破壊の痕跡である。

 

 いったい、いかなる災厄がこの村落を襲ったのか・・・

 

 この村落の少女、エナの言葉にあったヴァンパイア・・・ 

そして、あの邪精霊(イーヴィルスピリット)が、最期に呼んだ名・・・

 

 無残に抉れた大地を目にしたとき、レイの想像は確信へと変った。

 

「これは、・・・風(ヴァーユ)の力を、破壊に用いたもの、やはり」

 

 ここまでに、破壊的な魔力を奮うものは限られている・・・

無論、下等な妖魅の類などではありえない。

 

空(アカシャ)の理を知り、”空の尖塔(オベリスク=オブ=アカシック)”の

魔術師(マグス)に匹敵する叡智を有するものか、レイが倒した邪精霊のように、

存在の成立ち自体に、強い魔力が関与したもの・・・。

 

 

 

(・・・あるいは、その両方の)

 

 

 

「あーっはははは、おそかったじゃない、ファースト!!」

 

驕慢な高笑いを耳にしたレイが視線を向けた先・・・。

生ける真紅の炎のように、具現化した災厄(カラミティ)が存在していた。

 

吸血貴種(ヴァンパイアロード)、・・・その名はアスカ=ラングレー。

 

先刻の戦いで受けた水銀弾(メルクリウス)で、半ば千切れた皮のビスチェはそのままに、

薄手の飾り帯を胸に巻き付けただけの姿である。

 

細い両肩や、薄地に透けて見える淡い乳首、そして、形の美しい胸の上半分や谷間までも

惜しげもなく曝した婀娜(あだ)な姿は、少女のものとは思えぬほどの媚香を放っている。

 

 

 

「・・・やはり、あなただったのね」

 

「そうよ、アタシの操る魔風(ヴァーユ)に混じって、忌々しいアンタの匂いがしたからね

・・・お先にここで待たせてもらったわ」

 

「・・・どうして、こんなことをするの?」

 

「はっ、知れたことじゃない・・・シンジの創った、この甘ったるくて反吐が出そうな

世界なんか、みんなぶち壊してやるのよ!!」

 

「・・・なぜ、碇くんが悲しむようなことをするの?・・・この世界は、碇くんが、

深い悲しみの果てに、かすかな安らぎを見出して、ようやく出来たもの・・・それなのに」

 

「うるさいわね、この人形女!!・・・聞いた風な口をきくんじゃないわよ!!」

 

 

 

この世界の造物主は、憂いを帯びた少年神とされている。

だが・・・奇妙なことに、その名やその姿を正確に知るものはない。

 

夜空に掛かる、”リリスの血潮”と呼ばれる赤い星の大河・・・。

その彼方に去った母神エヴァを慕い、ずっとその帰還を待ちわびていると

言われるが、定かではない。

 

彼に付き従うものたち・・・、各地で、双面神タブリスとともに崇拝される

大地母神リリスは、その妻と伝えられているが、これもまた定かではない

 

姿形のあるもの、そして、具体的な恩恵を授けてくれる存在こそが、

人々にとって何より重要なのであろう・・・

 

彼らの信奉は、むしろ、このふたりの従属神に向けられている。

この世界に在り続けることは、決して、小さな吸血貴種が罵るように

平穏と安息のみではないのだから・・・。

 

ごく限られた存在を除き、あえて少年神の姿を知り、語り、奉じようとするものはない。

 

・・・だが、それは、彼自身、密かにそう望んだかのように思える節があった。

 

 

「2号機パイロット・・・、あなたは碇くんを愛していたのではなかったの?」

 

「うるさい、うるさい!!・・・なんだって、アタシがこんな風になって

闇の中に潜んでると思ってるのよ!!・・・これもみんなシンジの所為よ!!」

 

 

・・・かって、歪んだ繁栄と狂気のうちに滅びたと云われる旧世界。

 

その最後の戦いにおいて、ただひとり、修羅のように狂おしく戦い・・・

そして、心虚しく死んでいった少女がいた。

 

彼女は、この世界を創った少年に最も近しい者であり、恋人であったとも言う。

 

その後、世界が再生された時。・・・生命の海より、最初に帰還した少女は、少年を

 

・・・そして、この世界を拒んだ。

 

 

ただ独り、凄惨な戦いの末に果てた痛みと苦しみの記憶。

・・・そして、何よりも、信じていた少年の裏切り。

(それは、彼女がそう頑なに信じたが故なのかもしれない)

 

 それが覆されぬ限り・・・それが少女にとっての真実であり続ける限り、

少女は、悪鬼となって永劫に地に彷徨うであろう。

 

果たして事実がいかなるものであったのか・・・、いまや余人には知る由もない。

(いや、あまりの過酷さゆえ、当の彼女でさえ忘却してしまったのかもしれない)

 

 

アスカの細い指先が宙を薙ぐ・・・と同時に、引き起こされるすさまじい大気の流動。

巻き起こる不気味な鳴動とすさまじい風圧

・・・それは、まさに魔風と呼ぶにふさわしいものである。

 

自ら巻き起こした風に託すかのように、何処より取り出したものか、アスカが一振りの

優美な造形の短剣(ダガー)を手放す。

 

短剣は、空中で矢羽のように変形し、軽々と宙を舞い、自在に飛行する!!

 

 

・・・しゅ!!

 

 

「あうっ!!」

 

一瞬のうちに、外套(マント)を貫かれ、短衣(チュニック)の左肩まで切り裂かれるレイ。

 

噴き上がる自分の血飛沫が、何も無い空間に吸い込まれるように消えていくのを・・・

レイは確かに目撃した・・・端整な白い顔に、苦味を含んだような苦痛の色が浮かぶ。

 

 

「・・・今のは、喪われたはずの風の器?・・・どうしてあなたが?」

 

 

「あーははは、無様ねー、ファースト・・・そうよ、お察しのとおり、

風のエレメントを纏う器であるこの短剣に斬れないものはないわ!!」

 

 

邪悪に象られたアスカの唇が、濡れたように深紅に染まっている・・・

その端から、小さな舌がこぼれ、唇を濡らす血を舐めとっていく。

 

・・・それは、まさしくレイの流したものだった。

 

風魔法(ヴァーユアーツ)の真髄は、距離の隔たりを瞬時に越えることにある。

 

レイの血潮で彩られた口元に浮かぶアスカの凄絶な笑みは、その行使する魔力の前に

単純な正邪の区別なぞ、何の意味もないことを雄弁に物語っていた。

 

 

「ふふっ・・・、一人目や二人目みたいに、たっぷり切り刻んであげる。

それから・・・くすくすくす」

 

 

「べーだ、このあたしがついてるもん、かわいいレイにそんなことさせないよー!!」

 

突然、レイの右の二の腕から、ぴょこりと生え出たアルミサエルが、まるで子供の

喧嘩のような口調でアスカに悪態をついた。

 

上半身は小妖精(ピクシー)を思わせるが、下半身はまるで白蛇のような姿で

レイの腕に寄生している奇妙な存在、自称”使徒”である。

 

 

「・・・なっ、何よぉ、それぇえ!?」

 

驚くアスカを後目に、いそいそと短衣の肩の部分を切り開き、裂傷の上にぺたぺたと小さな掌を

添えるアルミサエル・・・じわりと軽い熱を帯びながら、たちまちレイの傷が塞がっていく。

 

あっけにとられたアスカの表情から、ごく僅かの間だが邪悪さが抜け落ちる。

闇の眷属とは思えぬ、少女のごく素直なあどけない表情・・・、

 

・・・もし、かっての彼女を知るものが見たら、懐かしささえ感じるほどの。

 

 

「う、・・・くっ」

 

その時、不意に何者かの苦しげな声を耳にし、アスカが問いを中断させた。

 

「ヒカリっ!?・・・まだ血が足りないの?」

 

「・・・・あ、アスカ・・・あすかぁ・・・」

 

「待ってて!!」

 

今までの不敵さをかなぐり捨てたようなアスカの言葉に応え、背後からよろよろと

歩み寄ってくる小さな人影があった。

 

「!!」

 

その姿を見たレイの紅い瞳が、ただ一瞬、大きく見開かれる。

ヴァンパイア退治を、レイに依頼したあの幼い少女、エナ=ハークネス。

 

胸元まで裂かれた粗末なコットンドレスと、首筋の2つの赤い傷痕がエナの運命を、

克明にレイに告げている。

 

アスカが、艶かしく滑る唇を開き、エナのか細い首筋を添っていくごとに、既に大量に

血を吸われたと思われる・・・蒼白になった幼女の顔から完全に生気が抜け落ちていく。

 

 

アスカは、そのまま口移しのように、抱きかかえたヒカリの唇に、幼女の鮮血を注ぎこむ。

 

 

「ファースト・・・、アンタには、しばらく別の相手と遊んでもらうわ」

 

 

・・・・

 

異様な声を上げる少女、・・・完全に血の気の失せた顔は、生持つ者のものではない。

吸血貴種の犠牲者(ヴィクテム)は、もはや彼らの操り玩具でしかないのである。

 

 

「くすくすくす・・・、調和と秩序を尊ぶ、空の尖塔の魔術師(マグス)さまぁ。

いったい、この哀れな娘をどうなさるつもりかしら?・・・あーははは!!」

 

 

この面白い見世物に、残酷な笑みを浮かべるアスカ。

 

おおお・・・・

 

またも呻き声をあげながら、緩々とレイに向かっておぼつかない足取りで、歩を進めるエナ。

 

 

・・・その無残な様は、いまや動く屍(リビングデッド)と呼ぶしかなかった。

 

 

・・・う・・・おねぇちゃあああぁああん・・・」

 

零れる言葉の断片と、頬を伝う涙の跡が、かすかにエナが人として生きた痕跡を残している

 

・・・それは溢れる無念と悔恨の想いの欠片たちだった。

 

 

「み・・・んな・・・を・・・まもって・・・って、お、ねが・・・い・・・

・・・お・ねが・・い・・・したかった・・・の・・・に」

 

 

このまま放置しておけば、やがて人間だったときの名残りも消え失せて、完全な”はぐれ”と

なってしまうであろう。

 

もはや人とは認められず、かっての同胞であるハンターたちから狩り出されるしかない

哀れな存在に成り果ててしまったエナを、厳しい眼差しで見据えながら、レイは無言で

腰の飾り紐から短杖(ワンド)を引き抜いた。

 

 

それは、他ならぬエナが魔術師(マグス)の証と見抜いたものである。

 

 

・・・だが、レイの持つ短杖は単にそれだけの意味を持つものでは無かった!!

 

 

両手で短杖を掴み、瞑目しながら頭上に掲げるレイ・・・。

 

複雑な形状をした先端が開き、そこからあの邪精霊を屠った時のものと同じ、

蒼い炎が吹き上がり、まるで剣のような形状を取っていく。

 

短杖(ワンド)は、いまや、焔の刃身を持つ両手剣(グレートソード)の柄と変じていた。

 

レイは、先刻、これを以って水魔術(アーパスアーツ)を操っていたが、それは単なる

魔力の媒体としての機能しか果たしていなかった。

 

この形状こそが、・・・レイの持つ短杖の、本来の魔術武器としての姿なのである!!

 

 

 

「ほ、焔の器!?・・・一人目も二人目もそんなもの持ってなかったのに!!」

 

 

呆然とするアスカ・・・、吸血貴種の彼女ですら驚愕を隠せない。火魔術(テジャスアーツ)の

頂点である蒼い焔(ほむら)、それが容(かたち)となった剣。

 

・・・それは、正に、いかなる魔物をも討ち果たし、浄化する武器に変貌する!!

 

レイが、蒼焔の剣を顔の正面に据え、半身を引き、隙なく身構える。

その所作は、彼女の本質が魔術師(マグス)などではなく、剣を手に取って戦う者で

あることを明確に表わしている!!

 

 

ざっ・・・!!!

 

 

わずか一挙動の間・・・、レイは、無言で蒼い焔をエナの胸に突き立てる!!

 

 

あああああおおお・・・・・・

 

 

エナの小さな身体に、蒼い焔が燃え移っていくと同時に、焔の刀身が一際大きく膨れ上がる。

手にした剣に哀れな少女を、瞬時に燃やし尽くした焔が交じり合う様を、静かに見つめるレイ。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

鎮魂の儀式めいた流れるような剣舞の後、レイが焔が凝結したような刀身に自分の唇を添える。

まるでエナの魂と化した蒼い焔を、己が身中に取り入れるかのように・・・

 

滑るような動作でレイが剣を動かし終えると、・・・もはや、蒼い焔は完全に消え失せていた。

 

 

 

「・・・あぅうう、ここどこ?・・・なにもみえない・・・なにもかんじないよう」

 

彼女が目覚めた場所・・・そこは、何も無い、上下の区別すらつかない白い空間だった。

喩え様の無い、果てしない孤独に苛まれ、思わず泣き声が漏れそうになってしまう。

 

「やあ・・・、ここに来れる子がまだいたんだね・・・」

 

それはいままで聞いたことのない、・・・優しげな少年の声だった。

 

「だれ・・・おにいちゃん、・・・・あたし、こわい」

 

「だいじょうぶ・・・ここには、怖いことも、悲しいこともなにもないんだから・・・」

 

「だって、だってぇええ、・・・あたし、どこにいるの?・・・あたしのからだ、

どこにあるの?・・・・いやだよぉおお、どうしたらいいのか、わかんないよおお!!」

 

 

とうとう堪らなくなったのか、泣きじゃくってしまう少女。

 

 

「ああ、そうだったね・・・じゃ、少しだけ・・・をあげる」

 

目の前が、ぼんやりと明るくなる・・・そこは、雲の中とも水の中ともつかない

奇妙な空間だった。

 

「まだ、からだが浮いてるかんじ・・・わぁああん、こわいよ、こわいよおお!!」

 

 

「・・・まだ、身体の感覚だけは残ってるんだね、不自由さに囚われていた時の・・・」

 

 

また視界が変わっていく・・・自分の存在が、まるで瞳のみになったような奇妙な感覚。

今度は蒼い・・・・まるで、水底のような空間である。

 

 

うふふふふふふふふ・・・

 

くすくすくすくす・・・

 

笑いさざめきながら行き交うたくさんの白い鳥、いや、魚たち?

 

・・・いや、よく瞳を凝らしてみると違う。

 

確かに、それらの姿を確かにかって見たことがある・・・

 

目に見えるものの真似をしようとすると、全身に流れを受ける感覚が甦っていく。

やがて、水を掻く存在・・・足を認識することができるようになる。

 

ちょこちょことそれをばたつかせ、なんとか前に進んでみようと試みる。

 

 

ああっ!!

 

 

何かを突っ切ったような感覚とともに、身の回りの圧迫感が無くなっていく。

再び瞳を凝らしてみると、目の前に何か白いものがぽつりと佇んでいる。

 

「ああ、知ってる・・・覚えてる・・・、覚えてるよおお」

 

・・・胸の中に、暖かさと歓喜が甦っていく。

 

それは華奢な身に何も纏わぬ・・・透けるような白い肌と、緩やかな曲線を描く

銀髪の美しい乙女だった・・・紅い瞳に、心が洗われるような優しい笑みが宿る。

 

 

「おねえちゃん・・・おねえちゃんなのね!!」

 

「そう、よく来たわ・・・さあ、ゆっくり眠って・・・そして、遊んでおいきなさい。

・・・何もかも、忘れて」

 

「・・・うん!!」

 

「そして、また時が巡り・・・、そのちいさな魂がこの星に還ろうと欲する時まで・・・

・・・わたしの中で・・・お休みなさい」

 

「・・・うふ、・・・あったかぁい」

 

銀の髪の乙女の膝に頭を預け・・・紅い瞳の優しい眼差しを一身に受けながら

(乙女の立ち姿を見たとき、ようやく、少女は己の姿を完全に認識することが出来た)

水面に横たわった少女、エナの心が、少しずつ安らいでいく。

 

 

「・・・ありがと、おねえちゃん、・・・おねえちゃんって・・・まるで・・・」

 

 

 

荒涼とした風景が甦る・・・吹き荒ぶ風の中、再度対峙するアスカとレイ。

 

「躊躇無し・・・か。・・・ふ、さすが冷血な人形女だけのことはあるわね!!」

 

「・・・あなたには、ほんとうのことは何も見えない・・・見ようとしないもの!!」

 

レイのごく僅かな、・・・だが彼女らしくない熱い感情を潜ませた応えが返る。

 

 

ァーーーーストォオオオオオオッ!!

 

 

それを聞いたアスカが激昂し、地獄の鬼をも怯ませるような恐ろしい形相となる!!

果たして、意識して放ったものか・・・レイの言葉は、アスカの心の奥底に潜んだものを

揺さぶるに充分だった!!

 

 

うぁあああああーーーーーーーーーーーーっ!!!!

 

完全に吸血鬼としての本性を顕わにした凄まじい表情、そして咆哮!!

アスカの肩甲骨のあたりの皮膚が一気に裂け、そこから、あたかも血が噴出し、

凝固したかのような、深紅の・・・巨大な蝙蝠の翼が展張していく!!

 

 

だが、翼に軽い圧力を感じた瞬間、アスカの凄まじい鬼相が忽ち揺らいだ。

従者(サーバント)のヒカリが、弱弱しくアスカにしがみついていたのである。

 

 

「うぅ・・・いた・・・い、・・・アスカ・・・」

 

「ヒカリ!!・・・くうううううっ」

 

なんと、アスカは、レイとの過去からの並々ならぬ確執よりも、ヒカリの身を優先させた。

 

「仕方ないわ、ファースト!!・・・・アンタを切り刻むのは、後回しにしてあげる!!」

 

この魔性の少女は、果たしていかなる価値をこの無力な従者の少女に見出しているのだろう?

 

「待ってて・・・、すぐ大きな街に連れていってあげる」

 

アスカの言葉は、無論、そこでヒカリの傷が完全に癒えるまで、虐殺を繰り返すことを

意味するものである。

 

アスカたちの足元を烈風が取り巻く・・・卓越した風魔術(ヴァーユアーツ)の使い手が、

その力を以って撤収に専念すれば、何者も追いつくことは適わない。

 

 

「待って、・・・風の器を元の場所に返して!!」

 

 

「はあ?・・・何ですって?」

 

 

・・・レイの言葉に、一瞬、訝しげな表情を浮かべるアスカ。

 

 

「はっ、さすがね・・・顔色ひとつ変えずに子供ひとり殺しといて・・・

アタシに尋ねることはそんなこと?・・・さっすが、秩序の守護者サマだけのことはあるわね。

・・・でもね、ファースト、アンタなんか勘違いしてるわ!!」

 

 

アスカの応えの驕慢な響きには、様々な感情が織り込められているのが、

現在のレイには理解できる。

 

「これはねぇ、アタシがこの忌々しい世界に顕われた時からずっと持ってたものよ!!」

 

「・・・えっ!?」

 

「3人目のファースト、・・・しばらくその命預けといてあげるわ!!」

 

逆巻く烈風が一気に解け、アスカたちを瞬時に彼方へと運び去っていく。

ひとり、とり残され、もの思いにふけるレイ・・・彼女は、アスカがあの剣を、

風を奉じるものから略奪したものとばかり思っていた・・・だが。

 

 

(・・・・碇くん・・・まだ、あのひとのことを気に掛けてる・・・

・・・あのひとがいつか還ってくることを・・・・・心の底で願ってるの?)

 

 

魔風に乗ったアスカの胸に抱かれながら、さまざまな想いを巡らせるヒカリ。

 

(あの銀の髪の女の子・・・どこかで見たような気がする・・・)

 

それは、錯覚ではないとヒカリには判る・・・

 

いかに欲するがままに破壊を繰り返そうが、アスカの心中には虚無しか存在しないことが、

今の彼女には肌で感じることができる。

 

・・・だが、あの少女と対峙したときのアスカは、明らかにいつもと違っていた。

 

 

(怒り、・・・憎しみ?・・・ううん、それだけじゃない、何か、別の大きなものが)

 

 

もしかしたら、この邂逅は、何らかの変化を齎すものかもしれない・・・

いつか、凍てついたアスカの心が満たされる機会が来るのかもしれない・・・

 

 

生まれ故郷の村を破壊され、略奪され、将来を誓った相手・・・鍛冶屋のトウジの眼前で

陵辱された末、従者(サーバント)として忠誠を誓わされた吸血貴種の少女アスカ・・・。

 

 

だが、ヒカリは、いつしかアスカのことを真剣に気遣うようになっていた。

それは、何ゆえのことか・・・彼女は、自分の中で、まだ明解な答えを出せずにいた。

 

 

 

とある辺境の街の片隅・・・そこに、大地母神リリスを奉った神殿が厳かに佇んでいる。

 

まるで、旧世界の伝説の世界樹(ユグドラシル)を思わせるような巨大な6対の羽根の・・・、

”黒き月”と生命の水を孕んだ女神像が中心に据えられた、清らかな泉が中央に位置している。

 

水利工事がよほど行き届いているのであろう・・・、豊富で清潔な水が絶えることなく流れる中、

二人の少女が、寄り添うようにして身を清めている、大地母神リリスに仕える巫女たちである。

 

年上のほうの少女は、レイやヒカリとほぼ同じであろうか・・・流れるような長い黒髪が美しい。

年齢にしては豊かな胸と、引き締まった腰部から臀部に渡って描かかれる曲線が、清楚で優しげな

顔立ちに相反する艶かしさを醸し出している・・・少々目が不自由なのであろうか、年下のほうの、

・・・こちらは、黒髪を少年のように短くした、おとなしそうな少女に手を引かれている。

 

「では、あなたも、奉仕のお勤めをする年齢になったのですね?」

 

「・・・はい、マユミおねえさま」

 

「・・・リリスの巫女のお勤めは、各地を巡って、病み衰えた人たちに身を以って接し、

助けてあげることです・・・、いろいろ、女の子の身には辛いこともあるんですよ?」

 

マユミと呼ばれた年上の巫女が言うように、・・・彼女らの勤めの最たるものは、

病んだものと素肌を重ね、女神リリスに授けられた癒しの力を捧げることである。

 

彼女らを待つ者の中には、業病に苦しむものもいれば、心が荒み、浅ましい、邪まで好色な

心根を抱くものも少なからず存在する・・・が、喩え、そのような相手でもリリスの巫女は

拒むことを許されない。

 

分かち、支え合う・・・それが、リリスの教えの根源に流れるものだからである。

年端もゆかぬ乙女たちにとって、その行為は並々ならぬ覚悟が必要であろう。

 

・・・まさに、それは献身の極みと言えよう。

 

かって、世界の滅びを促した人間の精神のネガティブな面は、この世界では一様に否定される

傾向にある(・・・・・・無論、それを完全に消し去ることなぞ出来はしないのだが)

 

もちろん、ある程度の富める者らからは、相応の寄進を受け取り、教団の施設や人的資源の

維持に充てられる・・・社会的に地位が認められ、浅からぬ敬意を捧げられもする・・・が、

 

その反面、世の女性たちが、彼女らに抱く蔑視や敵意もまた並々ならぬものがある。

アスカがリリスを淫売の元締めと揶揄したのも、そういった理由に拠るものである。

 

「はい・・・ぼく、マユミおねえさまにずっとついていきます」

 

「・・・ああ、シンリちゃん」

 

マユミは、年下の少女・・・、シンリをひしと抱きしめた。

 

「だいじょうぶ・・・たとえ、なにがあっても・・・あたしは、あなたを守ります・・・

守ってみせますから・・・」

 

(そう、何があっても・・・ようやくシンジくんの魂が、この世界に転生してくれたのだもの)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蒼い焔(ほむら)妖剣士レイ第一部了