ある日のこと。
それは何時もとそんなに変わらない日のこと・・・
「・・・ってレイ!アンタ一体何考えてんのよ!」
「あれれー、どーしたの顔真っ赤にして?・・・今更そんなに恥ずかしがらなくてもさー。」
それはお昼休みの終わり頃。
窓から入ってきた陽光と天井の人工灯が造った光が一室に満ちていた頃。
「アンタバカぁ!怒ってんが見て解んないの!」
「えー?どーせ長ーい仲なんでしょ?だったら深ーい仲になっても変わんないじゃん。」
二人分のそんな声が満ちていた頃。
楽しげで快活で何処にでもある声が満ちていた頃。
「変わるわよ!何でアタシがあのバカシンジの寝込みを襲わなきゃなんないのよ!」
「えー、だってその方が面白・・・じゃなくて2人の絆がより一層・・・」
「深すぎるわよ!」
「きゃは、アスカ、ナイスなツッコミよ。」
「・・・アタシもバカね・・・名案があるって聞いてアンタにつき合ったんだから。」
小さな溜息。
小さな沈黙。
そしてその溜息に合わせるような言葉が続く。
「全く・・・溺れる者は藁をも掴むってこのことね。」
「自分で言うなぁ!」
それは怒った声。
でも本気じゃない声。
そして笑い声。
親しげが少し混じった楽しげな声。
「・・・」
そんな声が過ぎた後、もう一度女子洗面所と書かれた一室に小さな沈黙が満ちる。
「・・・でもさアスカ、ま、ちょっと今ぎくしゃくしてるみたいだけどさ、
シンちゃんもアスカのこと嫌いじゃないし、いつもどおりしてたらいいと思うよ。」
目の前の鏡に写る顔がそう話す。
「そう・・・かな・・・」
隣の鏡に映る顔もその顔に向いている。
「ま、ホントにヤバそうならマジでフォローしたげっからさ・・・元気出しなよ。」
「・・・うん。」
再びの沈黙。
でも、さっきより何処か優しげで心地よい時間。
何処かここに相応しいような、そんな気持ちになる時間。
「・・・あっ、そろそろお昼終わりよ。」
「次は・・・げっ、やっばー、次、赤木センセの授業じゃん。」
その言葉と、そして合わせるように続いたチャイムが午後を告げる。
そうしてその二人は教室へと向かいだした。
後に残っていたのは誰もいない空間だけ。
その代わりに廊下には二人の姿。
その紅髪を揺らしながら走る女の子と、その友人の蒼髪の・・・
「私」の姿・・・
「仮説雑貨商」6,000ヒット記念
NIGHT of CLOWN
BY:K−U
「じゃね、二人とも。また明日ー!・・・っとシンちゃーん。」
「な、何だい?」
「えへへー、今晩いーことあるかもよー」
「へっ?」
「な、なに言い出すのよレイ!」
「?・・・どうしたのアスカ?・・・今日、何かあったっけ?」
「ないないないないない絶対絶対何にもなーい!」
そう言って私は二人・・・「アスカ」と「碇君」の二人と別れて歩き出す。
いつもみたいに話してる二人の声が背中から遠ざかるのを感じる。
私は振り返ろうとした。
けど「私」は振り返らない。
私は不安。
けど「私」は満足。
確かに今朝、言い争いをしてた二人を見たときよりは安心だけど・・・
そして夕暮れが迫る中、いつものように帰路に付く。
いつもの定期バスに乗り、いつものバス停で降りて商店街を通り過ぎる。
もうすぐ首都になるというこの街は毎日通り過ぎる度に人が増えているような気がする。
ここは沢山の人が生きている世界。
私の知ってる人や知らない人達が平穏に暮らしている世界。
あの世界とは違う・・・私の知らない世界。
そう・・・
ここはあの時・・・
そう、碇君が望んだ世界・・・
どうしてこうなったのかは解らない。
私がここで世界で目覚めてからずっとこう。
最初は意識が残っているだけかと思っていた。
でもそうじゃ無かった。
・・・一体どう言えばいいのだろう?
普段暮らしていると感じる感覚・・・たとえば食事の食感や味は感覚として伝わるけど、
それを含めた普段の出来事に一喜一憂する「私」の感情は解らない。
お互いの魂がこの肉体を共有している訳ではない。
どちらかがどちらかを飲み込んでいるのでもない。
EVAに乗ったときの感じにも似ているけど何処か違う。
前に本で読んだ「多重人格」の話を思い出したけどそれとも違う。
解らない。
本当に解らない。
解っているのは・・・こんな感覚のまま日々を過ごしているというだけ・・・
そして・・・
「・・・」
今日も一日が終わり、私を知らない「私」がいつものようにベッドに付く。
灯火が消え、あの世界とは随分違う清潔で生活感を感じさせる部屋に闇が満ちる。
何時しか静寂と「私」の寝息だけが微かに満ちる空間へと変貌する。
「私」が眠る。
そして私が起きる。
私は寝間着姿のままベッドから降りる。
そして短い闇をすり抜けベランダへと歩を進める。
全て私の意志のとおりに「私」の身体が動いて行く。
そう、「私」の意識がないときだけ私は私として活動できる。
しかも活動できるだけではない。
「私」の眼が窓に向く。
空に浮かぶ月の辺りを照らす淡い光を感じる。
「私」は窓を開ける。
「私」はベランダに立つ。
「私」はそうして、まるで月の光を取り込むように少し息を吸い込む。
「・・・」
浮遊感。
ベランダからゆっくりと私の両足が離れる。
月の光を足掛かりにするようにゆっくりと全身が昇って行く。
それはあの「力」
「私」には感覚すらない私の力
そう、この世界ではあり得ない筈の、私が人に在らざる証のあの<力>
月が私を照らす。
夜が私を包む。
飛翔感。
それはこの世界に恐らく唯1人・・・私だけの感覚。
この世界にあらざる、そして人にあらざる証の感覚。
虚無感。
そう・・・これは何の意味もない行為。
こんな無意味なことでしか自分を確信できない私を思い知るだけの行為。
哀しい・・・行為・・・
ちゃんとそのことは知っている。
最初にこの世界でもこの力が使えたときから知っている。
解っている。
解っている。
解っているの。
でも・・・
私は今日もこの力を使った。
怖いの。
私じゃなく「私」がいるこの世界が。
碇君が望んだ世界の「私」が私じゃないから。
こうしなければ私は消えてしまいそうだから。
そうでなければ私は私であることを忘れてしまいそうだから。
だから私は今日も空に飛翔する。
夜の黒が私を抱き、月の帳が私を包むこの時だけ。
いつでも頬を伝う・・・自分の為に流す涙を隠すこの時だけ。
この世界に唯1人の・・・誰も知らない私を隠すこの時だけ。
そう・・・その筈だった・・・
「へえー、飛ぶってこんなカンジなんだぁ・・・想像してたのとはちょい違うなあ。」
「・・・!!!???」
突然だった。
余りの唐突さに私は危うく力の制御を失うところだった。
「えへへー、驚いたー?ごめんねぇ。」
「誰!?」
私は思わずそう口にした。
何処からでもない、私の内側から聞こえてきたその声に。
「こーら。人をこんなとこに連れてきた本人が誰だもないでしょーが。」
それは聞き覚えのある声。
この世界に来てから何時も聞いていた声。
「私よ私。綾波レイよ。」
そう・・・「私」だった。
でも・・・
「あー、どうしてかって思ってるでしょー?、私にもさっぱ解んないんだー。」
「・・・」
「ま、話せないより話せた方が良いってことで・・・取り敢えずどっか座ろうよ。」
「えっ?」
「折角話せるんだからお互い色々色々話をしようよ。」
「え、ええ。」
私はその声に従うようにマンションの給水塔の上に座った。
そして・・・
「そっかー・・・そんなことがあったんだ・・・」
「私」がそう答えていた。
せがまれるままに私が話した色々なことにそう答えていた。
「・・・信じてくれるの?」
「確かにこんな風に聞かなきゃ、モロ電波な話にしか聞こえない話だと思うけどさ・・・
あ、気に障ったらゴメンね。そんなつもりで言ったんじゃないよ。」
「・・・解ってる。」
そう、私は話した。
ここに来る前の私がどんな世界にいたかということを。
そして私がどんな存在で・・・一体何を行っていたかということを・・・
話すべきでは無いとも思った。
でも隠すべきでは無いとも思った。
この世界では誰も知らない、いないはずの私に声を掛けてくれた唯1人の人だったから。
「私」は聞いてくれた。
時には笑いながら、そして時には恐怖しながら「私」は私の話を聞いてくれた。
この世界では常軌を逸しているとしか言えない私の話をちゃんと聞いてくれた。
そして・・・
「・・・」
「私」も話してくれた。
自分のこと、今はこの世にいない家族のこと。
今まで何度も転校を繰り返してきた学校でのこと。
私がこの世界で目覚める前の「私」のことを「私」は話してくれた。
それは知ろうと思えば出来たかも知れないこと。
同じ肉体を共有してるという意識のある私なら<記録>も共有出来るかも知れない・・・
でも、ここでの「私」の記憶に意味を感じなかった私はそれを試そうとも思わなかった。
・・・良かった。
そんなことを試さなくて本当に良かった。
だって、「私」が私に話してくれる言葉は「私」の言葉だったから。
嬉しかったり楽しかったり、辛かったり悲しかったり・・・
脳内に残る記録じゃ無くて、そういったものを感じられる言葉で知ったから。
肉体から直接伝わるんじゃなくて、言葉を聞くことによって感じられたから。
だから・・・
「・・・ありがとう。」
感謝の言葉・・・それをいつの間にか私は口にしていた。
「へっ?なーにお礼なんて言ってんのよ。」
「・・・ごめんなさい・・・こういう時どう言えばいいのかよく解らなくて。」
「あー、そうじゃないそうじゃない、自分同士でンな遠慮してどうすんのってのと・・・
お礼を言いたかったのはこっちだってことよ。」
「・・・?」
私は「私」の言葉の意味が解らなかった。
この世界では私は<あってはならないもの>、「私」に不利益しかならないもの・・・
だから忌み嫌われ、拒絶されてもそれは当然だと思っていた。
でも・・・
「・・・多分気付いてると思うけどさ・・・私、ホントはシンちゃん好きなんだ。」
「私」はそう言葉を続けた。
ゆっくりとした、そしてどことなく私じゃなく「私」自身へ向けるような言葉だった。
「でも転校してきたときアスカいたし・・・それにヤッぱあの二人って仲いいでしょ?
・・・だから・・・やっと出来た大事な友達だからさ・・・」
「・・・」
「それに学校なんかの人前なんかじゃあんまりだけどさ・・・一人の部屋に帰ってきたら、
寂しくて寂しくて自分はどうして一人なんだろうって、誰でもいいから側にいて欲しくて、
毎日凄く怖くて、だから、だからさ・・・」
「私」はそう言葉を発し続けていた。
意味が通りにくく、聞いた私も上手く説明出来ない、でも・・・
「・・・それに・・・それにさ・・・シンちゃんがこの世界を選んだってことだったら、
ここにあんたがいても全然不自然じゃないからね。」
「・・・どういうこと?」
「つまりさ・・・ここはそんな世界、そっ、シンちゃんやアスカ、そのついでに皆がいて、
そして・・・私達がいる世界ってことだからさ・・・」
「私達が・・・いる世界。」
「そっ、だから・・・だからいなきゃいけないってことになるからさ・・・」
それは「私」の言葉。
根拠も何もない、そして何ら解決にもならない筈の・・・でも・・・
「こっちこそありがとう・・・たとえあんたが夢でもいてくれて凄く嬉しいよ。」
その言葉に私は答えなかった。
いや、答えるに相応しい言葉が出てこなかった。
ただ・・・その瞬間、頬を伝うものの感触をその時感じた。
それは涙。
私のでも「私」のでもない・・・そう、それは多分・・・
とても奇異で、でもとても強い「絆」を感じたであろう<私たち>の・・・
そうして・・・
「・・・なんて夢を昨日見たの・・・凄いでしょ?」
そして朝。
いつもと変わらない朝。
「別世界にいた別の自分の魂と会話ねえ・・・アンタちょっと熱でもあるんじゃない?」
「ええ、これだけ想像力が豊かなら将来流行作家間違い無しね。アスカ、今ならサインの
一つぐらい友達のよしみでやってもいいわよ。」
「・・・つける薬は無いってこう言うことをいうのね。」
「・・・?私病気じゃないから薬なんかいらないわ・・・大丈夫アスカ?」
「アンタに言われたくなぁぁぁい!」
いつもの会話。
いつもと変わらない受け答え・・・
でも・・・
「あ、おはよう二人とも。」
「おっそーい!バカシンジ!オトコの癖にどーしてアンタそんなに着替えが遅いのよ!」
「何だよ朝っぱらから!いきなり起こされてこれでも急いだんだよ!」
「二人とも・・・ふーふゲンカは犬もくわねど高楊枝っていうわ。」
「あ、綾波・・・」
「・・・なんでアタシの周りはこんなバカばっかなのよ。」
「アスカも大変ねえ。」
「だからアンタが言うんじゃぁぁぁい!」
でも・・・
「ね、そろそろ時間だから行った方がいいんじゃない?」
「あ、ホントだ!」
「とっとと急ぎましょアスカ、それに・・・碇君。」
でもさあ・・・私ってホントにそんな風に見えてんの!?
確かに面白そうだからいっぺん交代してみよって言ったのは私だけどさあ・・・
トホホ、お願いよ私・・・その辺もちっとどうにかしてよぉぉぉ!
END