BITTERSWEET SAMBA
ぼくがどうやって生きて来たのか。
もうそんな事を話すべきトシになってしまったのかもしれない。
時々、そんな事を思いはするが、実行した試しはない。
言うべき相手がいないのだ。
ぼくは、あれからずっと独りだ。
みんなが、ぼくを除いて全員結婚しても。
みんなそれを気遣ってか、ぼくに子供たちを見せてくれる。
だけど、ぼくがその子たちに出来るのは、甘やかす事だけだ。
本気で怒ってまで、間違いを正すべき存在……ぼくの血を受けた子供はいないし、作る気もない。
ぼくは、家庭を持ってはいけない人間だとわかっているから。
「大丈夫だから……本当に、大丈夫だから……」
そんな言葉、嘘に決まってるのに。
ぼくはそんな簡単な事すら気付けなかった。
男として、いや、人間として自分のこころのありようが欠陥品である事に……あの時、あの光景を見てようやく気付いたんだ。
天井からぶら下がる、血の詰まった肉の塊。
遅かった。
何もかもが……遅すぎたんだ。
でも、ぼくは、まだこっちに居る。
それが、ぼくへの罰なのだと信じているから。
死によって耐え難い苦痛から逃れる事は、ぼくには許されない。
それが一番楽な方法だとわかっていても。
何もしてはいけない。
何も産んではいけない。
何も遺してはいけない。
ぼくは、『生き』ない。
ただ、『在る』だけだ。
自然に生命が尽きるまで。
みんなと別れて独りになって、車に乗り込んだ。
いつも通り、今晩は家に帰っても眠れないだろう。
みんなの笑顔が、脳裏に焼き付いて。
『在る』のではなく『生きる』人の姿が、目に焼き付いて。
そして、ぼくは狂ったように峠で車を振り回す。
体力が尽きれば、嫌でも眠くなると知っているから。
気が付くと、もう深夜になっていた。
もう走る気力も体力も尽きたぼくは、誰もいない緊急待避所に車を寄せ、何の気なしにラジオを付けた。
その瞬間、もう何度となく繰り返し聴いた、耳慣れた曲が聞こえて来た。
中学時代、意味も無く深夜まで頑張って起きて聞いていた番組のテーマソングだ。
そう。ちょうど時間は午前1時。あの番組が始まる時間だ。
そう言えば、みんなで一度『最後まで聴いてみよう』って集まった時もあったなあ。土曜の夜に、食べ物を持ち寄って、ラジオをみんなで囲んで。
みんな力尽きて眠った後……5時になって夜明けが来るのと一緒に終わるこの番組の最後にもこの曲が鳴ったんだっけ。
あの時は彼女とぼくだけが、最後まで起きていて、そして。
始まったんだ。
終わりの始まりが。
……駄目だ。
やっぱり、眠れない。
ぼくは、仕方なく番組に耳を傾けた。
下品な関西弁のパーソナリティが、中学生のワイ談レベルの下品な話を繰り返す。かと思うと、真っ直ぐで真剣な、だけどいつも脆くて、苦い、だけど本当にほんの少しだけ甘い……子供たちの恋の話が来る。
そのうち、将来への不安が書き綴られた手紙が読まれ……。
生きる事に苦しむ子のこころの叫びが、そしてともだちの悩みをどうしてあげればいいのか、という質問が読まれる。
それに、下品な声で冗談めかして、でも心根は本当に真剣に、誠実に、パーソナリティが答える。
みんな、一生懸命生きている。
己の価値と、場所と、友を守りたくて。
そうか。
だから、あの頃、ぼくはこの番組を聴いていたんだな。
でも、駄目だった。
意味に気付くのが遅すぎた。
ぼくに出来るのは、ラジオの前でこうつぶやく事だけだ。
「ぼくの過ちを繰り返しては、いけないよ」
気が付いたら、ぼくは最後まで番組を聴き続けていた。
朝の5時まで、あと数分。
あの曲がまた流れて来た。
そして……日が昇る。
あの時と同じだ。
でも、彼女はここにいない。
ぼくに許されるのは、ただあの時を思い出して涙するだけだ。
過去にすがる事だけが……ぼくに許される唯一の娯楽になってしまったのだと、その瞬間悟った。
過去にすがって、それを抱えている限り……。
ぼくは、何もしないで、何も産まないで、何も遺さないで済む。
何もかもが……変わってしまった。あの頃とは。
変わらないのは、ラジオから流れるあの曲だけだ。
(注)BITTERSWEET SAMBA
俗称、「オールナイトニッポンのテーマ」。
アルバム "WHIPPED CREAM&OTHER DELIGHTS" (HERB ALPERT'S TIJUANA
BRASS)収録。