カン、カン、カン、カン

 

夜半の煙るような霧雨のなか、今日の最終電車が行き過ぎていく。

 

「・・・ふう、なんか夜の踏切って、薄気味悪いのよねえ」

 

半期毎の決算で帰りが遅くなった、ひとりのOLがぽつりと呟く。

さして長い時間でもないが、こんな天気に傘も無く足止めを食うのは、

あまり良い気分ではない

 

「こんな霧雨って、気付いてみれば、大抵びしょ濡れになってるのよねー」

 

こういうときは、部屋で熱いシャワーでも浴びて、さっさと寝るに限る。

そう思いつつ踏切を渡ろうとするが、向こう側の視界が急に利かなくなる。

 

雨や濃霧といった感じではない・・・何も無い濃紺の闇である。

まるで、空間そのものが遮蔽されてしまったような

 

「な・・・何よ、これえっ!!」

 

自分でも、一瞬、たじろぐような大声でOLが叫ぶ。

そうすれば、この奇妙な現象から解放されるかのように・・・

その時、大声を聞きつけたかのように、ぬるりとしたものが彼女の足首を捉える。

 

「ひっ!!?」

 

OLが戦慄の声をあげる。・・・それは、女のような細い手首だった。

何故、”のような”かといえば、元来、あるはずの肉体がどこにも存在しない!!

 

「いやあああああーーーーーっ!!」

 

叫んで懸命に逃れようとするOL・・・だが、まるで、万力で固定されている

かのように、彼女は身体を少しも移動させることができない。

 

キン、キン、キン、キン・・・・

 

終電が通ったはずの踏切に、またも警報が鳴り響く。

その音色はいつもよりも妙にカン高く、神経を逆撫でし危機感を煽りたてる。

 

「う・・・・うそよ、こんなの」

 

線路を伝って、列車特有の振動が接近の危機を告げる。

 

 

パアアアアーーーーーーーンッ!!

 

 

やがて列車自体の・・・あの独特の威圧的な警笛が周囲一面に反響する。

 

 

「うそよおおおおおーーーーーーっ!!」

 

 

ダーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!

 

 

まるで液体の詰まった袋を壁に叩き付けたような音・・・そして、静寂(しじま)。

 

 

「んーーーー、良い晩だねえ、今宵もまた良い首が狩れたし」

 

道化たような楽しげな声、まるで、サーカスのピエロのようなシルエットが

なにかボールのようなものを、へたくそなジャグリングのように弄んでいた。

 

「いや、ほんとうに良い晩だ・・・」

 

 

否、それは、影の言うように、ボールではなく・・・・

 

 


 

 

仮説雑貨商 6000HIT記念

 

暗 夜 無 拍 子

 

 

 


第四夜 


 

 

BY 平 山 俊 哉

 


 

 

「それでね、それでね・・・、首だけがどうしても見つからないんですって」

 

「おいおい、朝っぱらから嫌な話を聞かせんじゃないって・・・」

 

登校中に、隣町に起こった列車事故の話で盛り上がるさゆきに、しおりが

柿か茶の渋みでもこらえたような表情で答える。

 

この年頃の多感な少女にはありがちというか、怖い話が大好きなさゆきに比べて、

現実的な感覚の持ち主のしおりは、あまりそういった話が好きではない。

 

何しろ隣町と言えば、彼女の行動範囲に入っているし、件(くだん)の踏切に

ついても良く見知っている・・・

 

聞いていて、とても気分の良いものではないが・・・たしかに奇妙な話ではある。

 

周囲一面に、大量の血痕と肉片がばらまかれてるというのに、鉄道会社からは

事故があったという連絡はない・・・死亡推定時刻に走っていた列車に関しては、

乗客の証言からも、そのような事実が無かったことが確認されている。

 

 

これは、ちょっとしたミステリーと言っていいだろう・・・。

この手の小説を読むのが大好きな、さゆきが興味を示すのも当然と言える。

 

 

(ふう・・・、みなほがいれば、話題を変えられるんだけどなあ)

 

 

二人の親友である護霊部みなほは、今日はまだ姿がみえなかった。

 

それ自体は、さして珍しいことでもない・・・重度の寒冷アレルギー体質で、

喘息が持病のみなほは、現在のような不安定な気候の時期には特に弱い。

 

だが、それだけではないらしい・・・最近は何やら平凡な想像の及ばない

世界に関わっている節がある。

 

強面で屈強な黒服の男達の一団に取り巻かれて、あの病弱で繊細な少女は、

時折、何処かに去っていく。

 

それに関して尋ねても、どこか寂しそうな笑みを浮かべたまま、みなほは、

なにも答えてくれなかった・・・。

 

だが、この時、しおりは不意にある事に思い当たった。

それは、ほとんど根拠の無い直感に近いものだったが・・・

 

 

(みなほ、・・・もしかしたら、あの子?)

 

 

「けほっ、けほっ・・・」

 

「あーらあら、まだ発作収まんないかしら。・・・あたしの教えた呼吸法、

ちゃんとやってる?」

 

咳込むみなほに言葉を掛けたのは、顔の造作がまるで彫刻のように整った

艶やかな長い黒髪が印象的な人物である。

 

「・・・ご、ごめんなさい、お師さま」

 

呼吸の苦しさを堪え、みなほが半べそをかいたような表情で懸命に謝る。

べつに、この素直な少女が言付けを怠ったわけではない。

 

新世紀を迎え、ますます環境の劣悪化したこの国は、ほんの気まぐれの

ように苛烈なまでの温度差を齎すことがある。

 

・・・今回は折り悪く、みなほの努力を凌駕してしまったようである。

 

「ふ・・・、ま、いいわ、元気になったらまたびしびし鍛えますからねぇ」

 

みなほの相手をしている人物・・・名は九文字かほる、神代からの実践剣技と

言われる”明神流闘剣術”の伝承者にして、古来より国家の霊的守護を担う、

護霊部家の若き武術師範である。

 

家宝の霊剣、”骨噛丸(ほねかみまる)”、”魂伏丸(たまふせまる)”を

継いだみなほが師と仰ぎ、封魔の絶技”無拍子”の際に彼女が振るう剣技は、

この人物より指導を受けたものである。

 

 

「そろそろ護剣の力に頼らず、自分の力のみで相手を抑えられるように

ならなきゃねぇ・・・それが護霊部の”名代”の実力ってものよ」

 

「・・・お、お師さまぁ、・・・けほっ、けほっ、そんなこと、あたし・・・

ほんとに、出・来・・・・けほっ、けほっ!!」

 

「ああもう、この娘は・・・、無理しなさんな、そんな苦しい時に、

生真面目に答えてんじゃないわよ」

 

にこりと魅惑的な笑みを浮かべ、みなほの小さい背中を寝間着越しに緩々と

摩るかほる・・・傍目からは、まるで仲の良い姉妹のように見える。

 

(あーこん畜生が、馴れ馴れしくみなほにべたべた触りやがって!!)

 

背後からその光景をじっと見ていた者がいる・・・いや、正確には”者”ではない。

護霊部一族の血統に、古来より盟約を結んだ無形にして無敵の神霊イサハヤである。

 

彼は、虚弱な体質のくせに、過酷な役目に忠実で、常に真摯でひたぶるに戦う

現在の幼い名代が、ここのところ、妙に気にかかって仕方が無かった。

 

 

「あーやだやだ・・・、まさか、あんな小さな女の子に、妙な下心でもあるん

じゃないでしょうねぇ・・・」

 

 

この嫌みたっぷりの呟き声の主、・・・みなほのすぐ上の姉、みづきは別に

イサハヤに同調したわけではない。(何せ、イサハヤの気が向かない限り、

その姿は決して見えず、声もまた余人の耳には届かない)

 

護霊部の上の四人の兄妹たちは、みな異母妹であるはずのみなほを可愛がっている。

 

このような古い家に有りがちな”血の確執”なぞ、実力主義の家風のもとには

縁遠いもので、何よりも彼らの父譲りの剛毅な気質自体、そのような陰湿さを

好まない。

 

か弱い体で必死に恐ろしいあやかしと戦い続ける、まだ幼い妹のためなら、

彼らは、たとえどのようなことでも厭わず出来るだろう。

 

 

「もう、あんな助平ったらしい男に、可愛いみなほを任せないといけないなんて!!」

 

 

・・・・ただ、限度の過ぎる行為に走る者が、やたらと出るのが問題であったが。

 

 

その日は、とうとう、みなほは登校出来なかった。

しおりは、今朝思い当たったことが、ずっと頭から離れなかった。

 

「な・・・なんだ、アレ?」

 

帰宅の途中、雑踏を越え、問題の踏切に差し掛かったとき、・・・

しおりは妙なものを目にした。

 

遮断機の上部に、足をアラビア数字の4を逆にしたような形で絡ませ、逆さまに

ぶら下がっている道化みたいな姿をした・・・あれは、人形だろうか?

 

周囲の人間は、誰も気にする素振りがない・・・、それとも見えないのだろうか?

人形にしても、かなり性質(たち)の悪い悪戯だと思うだが・・・

 

彼女は知らなかったが、その様は、まるで占いに使われるタロットカードの

”吊られた男(ハングドマン)”の意匠を彷彿とさせるものだった。

 

 

(き、気味悪りぃ・・・)

 

 

逃げるように足早に去ろうとして、もう一度振り返るしおり。

だが、問題の人形のようなモノは、いつのまにか消えうせていた。

 

 

(ほおぉ、我が見えるかああ?・・・面ぉ白い、面白いぞおおお・・・アぁレもまた、

実に良い首ではないか)

 

 

結局、警察の捜査当局は、謎の踏切事故の調査を断念することになり、護霊部家に、

正式な調査依頼が来ることになった・・・。それも仕方がないことで、真に

あやかしの仕業であれば、近代的な科学調査と言えどものの役には立たない。

 

「ふむ、何の変哲もない鉄道が・・・なるほど、こいつは巡り神くさいな」

 

「巡(めぐ)り神・・・、って、何なのイサハヤ?」

 

「ああ、各地を渡って巷を荒らしまわるタタリ神・・・いや、もうこれは悪鬼だな。

・・・どうも、今度の事故は奇妙なことが多すぎんだよなあ」

 

古風な構えの屋敷の中、床から身を起こしたみなほとイサハヤが語り合っている。

 

古来、あやかしの出没する場所は、特定の位置に限られている。

霊的な存在は、その場や特異な環境に縛られていることが実に多いのである。

 

「昔はそんな多いものじゃなかったんだが、・・・何せ、今の人間ってのは

至る所に道を巡らせているからなあ・・・、それを伝って邪なモノも、また、

いろんなところに移動することを覚えることがある。こういうヤツは、

なかなか所在が特定出来ない分だけ、性質が悪い・・・」

 

「つまり、鉄道を伝って悪さをするモノがいるっていうの?」

 

「ああ、その場その場で満足するだけ荒らしまわって、また去っていく・・・

こいつは早いところなんとかしないとな・・・」

 

そのような剣呑なモノが、ごく近くまで来ているというのか?

みなほの小さな手がぶるぶると戦慄く。

 

(・・・もし、学校のお友達の誰かが・・・、急がなくっちゃ!!)

 

みなほは、しばしの間、湧き上がる逸る気持ちを抑えることに苦心した。

 

「・・・けほっ、けほっ」

 

「ああもう、予想通りの反応だよなあ・・・、みなほ、この馬鹿」

 

「・・・え?」

 

不意の発作がひとしきり収まった後、みなほはイサハヤの言にきょとんとした。

 

「ああっ・・・、まさか、イサハヤ、あたしの・・・」

 

「バーカ、単純なお前の考えることなんざ、並みの想像力でも判らぁ!!

今、急いでなんとかしなくちゃって思っただろ?・・・そんな体力も気力も

整わないうちから何が出来るってぇんだ?・・・少しは、自分の体を愛しめよ」

 

「だって、・・・だってぇ」

 

布団の端を握り締めながら、よほど感情が昂ぶったのか、みなほはぶるぶると身震いした。

 

「・・・お友達が・・・たいせつなお友達がいるんだもん!!」

 

「・・・・・・・・・・」

 

世の常識の通じない、暗夜の魔界に臨むのが役目とはいえ、まだまだみなほは幼い・・・

現実の社会にしっかりと根ざし、生の営みを続ける友人たちは、彼女にとって何よりも

大切なものである。

 

日頃はごく素直な少女だが、ひとたび心を決めてしまえば、みなほは決して妥協

したりはしない・・・浅からぬ付き合いでイサハヤは、そのことが充分に判っていた。

 

 

翌日、ますます陰鬱な気分で授業をぼんやり聞いているしおり。

 

(あれ?・・・いつの間にこんなもの書いたんだろ?)

 

ふと、教科書の隅に目を向けると、なにか、雑な人形のような絵が鉛筆で書いてある。

(人型といっても、まるで大の字をカリカチュアライズしたような簡単なものだが)

 

しおりに教科書に落書きをするような悪癖はないはずである・・・・・が、

無意識のうちに、つい書いてしまったのかと錯覚するほどに、今の彼女は、

心ここにあらずといった風情だった。

 

なお、ぼんやりと人型を見やるしおり・・・、そのうちに奇妙なことが起こった!

人型がまるでページごとに細かな動きを書いたパラパラ漫画か、一昔まえのLSI

ゲームの液晶パターンのごとく・・・まるでお手玉をするような動きを見せ出した。

 

(・・・・・・・・・・・・・)

 

半ば呆然としながらも、その動きを注視するしおり・・・

その瞳から徐々に生気が失われて、日頃快活な表情が徐々に空ろになっていく。

 

 

次の日の午後、・・・名門の私立曙光中学校の校庭に、やや場違いな雰囲気の厳しい

リムジンが停車した。

 

・・・結局、みなほは、完全に復調するまで事を起こすのを禁じようとした皆を

説き伏せ、無理を圧して登校を望んだのである。

 

それでも無茶をしないように、あのふた振りの護剣を持たせなかったのは、今日の

ところは様子伺いに留めるよう、みづきが懸命に取りつけたせめてもの譲歩と言える。

 

 

「あ、・・・あれは?」

 

 

教室に向かおうとしたみなほは、裏門の方向に向かうしおりの姿を目にした。

もちろん、午後の授業はとっくに始まっている。

 

それにしても奇妙である・・・常日頃から健康的なしおりが早退などするだろうか?

無論、家の緊急の用事ということもあるだろう・・・が、遠目ではあるが、何か

足取りが、妙にふらふらしているように見受けられる。

 

不意に悪い予感に襲われたみなほは、みづきに持たされた携帯電話を急いで取り出した。

 

「もしもし、みなほです、あの・・・、あの、ちぃ姉さま!!」

 

少しの間、みづきの心配を慮って逡巡した後、やっと意を決したみなほが言葉を告ぐ。

 

「護霊部の名代としてお願いします。守部のおじ様方に、すぐ車を回してくれるように

伝えてください!!」

 

 

雑踏の中を、酔ったようなふらふらした歩調にも関わらず、まるで滑るような速さを

増しながらしおりが歩いていく・・・白昼の商店街を何者も存在しないかのように。

 

買い物客もまた、まるで制服姿のしおりの姿なぞ、見えないかのように行き過ぎる。

複数の校区の重なるこの界隈には、私服の補導員も数多い。

もし、きちんと見えていれば、何らかの形で見咎める者が必ずいるはずである。

 

「ああ、いけない・・・見失っちゃった、しおりちゃん!!」

 

むしろ、あまりの人ごみの多さに、大型のリムジンで追う、みなほや守部衆のほうに

支障が出てしまった・・・これでは降りて歩いたほうがまだマシというものである。

 

「あたし、降りて追います・・・おじ様たちは、ちぃ姉さまに連絡して、あたしの

護剣を持って来させてください」

 

「し、しかし、お嬢・・・いえ、名代様!?」

 

守部を束ねる長、岩永徳重は幼少の頃からみなほをよく知っている。

 

このような病み上がりの身では、歩調を速めるだけでも辛いはずである。

だが、同時に意を決した彼女が、決して退かないであろうことも、また・・・。

 

守部衆は、古来より護霊部の一族の身辺警護を任じられた私設武闘集団で、国賓や

政府高官等の警護にあたるSPなどよりも、遥かに質の高いボディガードであるが、

事が怪異に及ぶ時には、みなほは、彼らが戦闘に介入することを硬く禁じてある。

 

如何なる屈強の闘士たちと言えど、あやかしに対しては全くの無力だからである。

 

 

「だいじょうぶ、徳重のおじ様・・・あたしにはイサハヤがいるから・・・」

 

「くっ、・・・わかりました、御武運を!!」

 

リムジンから降り立ったみなほが、中空を見上げ囁く。

 

「お願い・・・来て、イサハヤ!!」

 

僅か数瞬の後、余人には姿すら見えぬ守役の神霊が、少女の前に顕現する!!

 

 

「あれ?・・・な、なんで、こんなところにいるんだ?」

 

唐突に我にかえったしおりは、ようやく現在の異常な状況に気付いた。

現在、自分の立っている場所は線路の上である。

 

だが・・・まるで視界が利かず、ここがどこなのかも判然としない。

まるで、周囲を濃紺の壁でとり囲まれた映画のセットのような、現実感のない光景。

 

みなほが、ほんの僅か目を離した間隙を縫って、彼女の最愛の親友は、異界にでも

放り込まれたのであろうか・・・

 

「な・・・なんだよ、これ?」

 

なんとも言えぬ不吉なものを直感的に感じ取り、慄然とするしおり。

ようやく薄闇に目が慣れると・・・そこには、

 

線路に沿って、串刺しにされたまま、垣根のように植え付けられた無数の人の

手や足が、未だに生気を残しているかのように、ざわざわとうごめき出す。

 

「うわあああああーーーーーっ!!」

 

・・・その様は、まさに狂人の見る悪夢のようである。

 

日頃から強気な態度や自信を決して崩さない少女も、これにはひとたまりもなく

悲鳴を上げた!!

 

それに応えるように、手足と同様、立てかけた杭の先に突き立てられた、干からびた

女たちの生首が、まるでイングランド伝承の”嘆き女(バンシー)”のように

けたたましい金切り声を上げる。

 

ぶち・・・り・・・

 

女性のしなやかな指たちがさざめき、騒ぐ生首から眼球をえぐり抜き、神経が糸のように

引いたそれを宙にかざす・・・その主を持たぬはずの球体のひとつひとつの視線が、

そのまま、邪視(イーヴィルアイ)のように、しおりを戦慄で金縛りにする。

 

「あ・・・わ、わあああ!!」

 

瞳をかっと見開いたまま、瘧にかかったように全身を震わせるしおり。

狂気の宴が、いま、開かれようとしていた・・・が!!

 

 

「むっ!?・・・ほほう、かくも精神の力の病み衰えたこの時代に、いまだ退魔の

技を伝え聞くものがいようとは・・・、これは久方振りに本気を出さねばならぬて」

 

みなほたちの気配を敏感に察知した、奇怪なメイクを施した道化人形(クラウン)の

ような妖物、”黒曜翁(こくようおう)”が宙に手を翳すと、また、何か別の位相の

空間に繋がるかのような深遠の闇が、まるで生き物のように口を開いた。

 

 

「うわ、確かに臭えな、こりゃ・・・、闇の匂いがぷんぷんしやがる」

 

例の踏切を遠目にし、一種独特の妖気を敏感に感じ取るイサハヤ。

 

「・・・やっぱり?」

 

「みなほ、お前は護剣が届くまで待ってな・・・俺がちょいと行って覗いてくらぁ」

 

イサハヤは、みなほが願えば何処にいても必ず現れる・・・が、彼自身、霊的存在に

違いは無いため、その手で骨噛丸や魂伏丸を携えることは出来ない。

 

「ええっ・・・で、でも」

 

「バーカ、骨噛や魂伏のないお前に何が出来るよ!!・・・ま、たまには、

おとなしく見てろ!!」

 

(まーったく、みづきの奴もみなほにゃ甘ぇこった・・・他の事にゃ嫌んなるくらい

頭も口も回るくせして、まだまだ、妹の性格を完全に把握してねぇな!!)

 

そう言い放ち、宙に掻き消えるようにイサハヤの姿が見えなくなる。

言われたとおり待とうとするみなほ・・・・ところが!!

 

(わっ、な・・・なんだ、こりゃ!?)

 

「どうしたの、イサハヤっ!?・・・イサハヤあああっーーーっ!!」

 

 

・・・ごぼり

 

上下感覚すら失いそうな、濃密な気体とも液体ともつかぬものに満ちた蒼一色の狭間。

その中にイサハヤは漂っていた。

 

「ははぁん・・・、さては、退魔師たちが使役する式神や管狐なんかの霊的存在に

反応する罠を予め張ってやがったな!!」

 

イサハヤの想像通りとすると、なかなかに周到な相手である。

今までの相手にしてきたあやかしなどよりも、はるかに狡知に長けている。

 

「ちっ、・・・こりゃ、そうとう旧くから人の世に関わって悪さを重ねてきた奴だな。

いけねえっ!!・・・早いこと抜け出さないと」

 

・・・ずざざざああああああ!!

 

何やら黒い巨大な影が、明らかな敵意を伴って接近して来る!!

 

ごあああああーーーーっ!!!

 

程無く、イサハヤの視線に触れたそれは、なんととんでもなく巨大な魚妖だった!!

 

「なめるなあっ!!・・・この俺さまを、そこいらの拝み屋が使うケチな使い魔と

いっしょにするんじゃねえぞ!!」

 

翡翠色の輝きを放つ高密度の装甲のような鱗、細かな鋭い牙が高密度で植え込まれた

身長の半分にも及ぶ鰐のような巨大な口腔部、全身の末端部の鰭は、まるで劇場の

垂幕のようにただ広く、所々擦り切れているところを見ると、かなりの間、生き永ら

えてきた妖物のようである・・・それこそ、イサハヤの言う、そこいらの使役魔属の

類(たぐい)ではひとたまりもあるまい!!

 

(・・・とは言うものの、こりゃ完全に力押しじゃねぇか・・・面倒なもんだぜ)

 

この魚妖は知能はさして高くないが、生命力はおそろしく強靭で、さしものイサハヤと

いえど容易に倒せる相手ではない・・・焔羅焔羅(えんらえんら)事件の時もそうだが、

その有する能力からすれば、むしろ、相応に知性を有した相手のほうが、遥かに彼に

とっては組し易いのである。

 

「こりゃマジでやばいな・・・・、こんなところで、モタモタしてたら!!」

 

一方、徳重の報告を受けたみづきは、大急ぎで護剣を用意し、みなほの待つXXX町の

N急行電鉄の線路踏切に急行していた。

 

「ああ、もう、なんて間が悪いのかしら・・・、みなほ、お願いだから軽はずみな

ことをしちゃだめよ!!」

 

「・・・それは無理かもね。あの娘の性格を考えれば、絶対に友達の危険を黙って

見ているわけがないわ・・・」

 

言葉を返したのは、たまたま来訪し、みづきと同乗した九文字かほるである。

護剣の管理は、みなほを除けば、彼に一任されている。

 

「本当に・・・どうして、あの子だけが・・・」

 

そのまま、言葉を詰まらせるみづき・・・かほるに対する、いつもの反感から来る、

憎まれ口も今回ばかりは、完全に影を潜めている。

 

もし、みなほを喪うことになりでもしたら・・・その悔恨の重さは、みづきに到底、

耐えられるものではない。

 

 

「替わってあげられたら・・・、せめて、あの娘の苦しみの半分でも分け合えたらって

ずっと思ってきたのに・・・、本当に・・・、あたしたちはなんて無力なの!!」

 

 

「・・・単に素養のひとつひとつを較べてみれば、貴女たち上の四兄妹のほうが、

あの娘よりも上かも知れないわ・・・でも、みなほは、自分の心の闇を、暗夜に

重ねて、ずっと見詰めて育ってきた・・・それが、何時しか、あの娘の力を培う元に

なったのかもしれないわね・・・」

 

激昂して声を荒げた後、そのまま圧し黙るみづきに向かって、かほるが静かに言葉を継ぐ。

 

「みなほを信じましょう、それだけが、あの娘の心を支える力になるのだから・・・」

 

・・・そのとき、不意に、みづきの携帯電話に連絡が入った!!

 

「みづきさま、大変です!!・・・現場の様子を窺っていた、名代さまが・・・

みなほさまの御姿が、突如・・・消えました!!」

 

「な、何ですって!?・・・それは、いったい!?」

 

(・・・始まった・・・か)

 

 

「はあ・・・はあ・・・」

 

恐怖のあまり、ともすれば、幾度も正気を喪いそうになりがらも、懸命に脱出口を

探すしおり・・・中学にあがったばかりの年頃の少女にしては、賞賛に値するほどの

気丈さと言える。

 

だが、狂人の画家の作品のような異様な世界を目の当たりにするに連れ、それも、

限界に近づきつつあった。

 

「ふははは、ううん、いいねぇ、・・・もっと我を楽しませてくれ・・・むむっ!?」

 

”黒曜翁”が、突如、転がるように自分のテリトリーに進入してきた、小さな影に

禍禍しい視線を向けた。

 

「な、なんと!!」

 

 

・・・りん・・・りん・・・りぃぃぃん

 

 

退魔の霊力を秘めた鈴の音が涼やかに鳴り響き、清しい花の香りが周囲に満ちていく。

 

「ああっ、・・・・うそ・・・、み、みなほ!?」

 

今、まさに狂気の淵に転げ落ちようとしていた寸前、しおりは、自分と同じ、

私立曙光中学指定の、清楚なデザインの制服を纏った親友の姿を目にした。

 

いつもの退魔行の時の、花の精を思わせる装束ではない。

みなほは、ついに用意が整うのを待たず踏みこんだのである!!

 

 

「うむぅ、・・・現(うつつ)と虚の狭間を、自在に繋ぐ、この黒曜の結界に

踏み込めるとは、こやつも神霊か?・・・い、いや、精霊の類か!?」

 

この結界は、狙い定めた人間の精神波長に同調し、それを誘い込んで幽閉するものである。

だが、みなほの”無拍子”の技は、精神に作用するはずの結界の門扉さえ打ち破った!!

 

そして、その判断は狂気の虜囚と成り果てる寸前のしおりをぎりぎりで救うことに

成功したのである・・・・が!!

 

 

ごぼあああああーーーーーっ!!

 

異界の魚妖の口中に半身を咥えられたまま、引きずり回され苦戦するイサハヤ。

彼としては、このような怪物退治に関心なぞない・・・空間を脱出するほうに

全神経を注ぎたかったのだが、実際それは困難を極めた。

 

相手も見たままの原始的な怪物ではない。鏡面を思わせる鱗は、攻撃呪をも

ことごとく跳ね返す、恐るべき魔界の闘魚(ランブルフィッシュ)である。

 

・・・その結果、気が焦って、かえって梃子摺ってしまっている。

 

「この野郎おおおっ、いいかげんに放しやがれーーっ!!!」

 

激怒したイサハヤが、怪魚の口中に雷撃を撃ち放つ。

だが、怪魚は全身を振るわせながらも、その苛烈な攻撃すらも凌ぎ切る!!

 

 

「み・・・みなほ、みなほおおーーーーっ!!」

 

しおりの精神に滓のようにこびり付いた畏れが、嘘のように拭われ癒されていく。

もはや、彼女の眼には、周囲の怪異なぞ、ネタの割れた手品のような陳腐なもの

でしかなかった。

 

壮麗たる戦さ舞・・・、みなほの小さな肢体から伸びる、か細い四肢が華さながらに

くるくると移動しステップを踏む。

 

 

・・・それはまさに、この病弱な少女が、生命で咲かせた華だった!!

 

 

「ぬぅうう・・・こ、これは、まさしく音に聞く無拍子の技・・・だ、だが何故に!?」

 

齢千年を越える、”黒曜翁”のような大妖をも圧倒する至高の退魔の技・・・。

まるで、不可視不可侵の敵を相手にするような、捉えどころの無さである。

 

・・・だが、何故に、ことごとく自分の魔力を封じながら、止めを刺さぬのか?

 

 

(・・・そうか、判った・・・判ったぞぉおおお!!・・・さては、この黒曜に、

致命的な打撃を、加えるだけの技も、霊力の篭った得物も、持ち合わせておらぬな!!)

 

みなほの技に、半ば竦みあがりながらも、老獪な妖物である”黒曜翁”は、ついに

それを悟った!!

 

(くぅふふぅうう、所詮は小娘、他愛のないものよ・・・この技もそうそう長く

続けられるものではあるまい・・・、我が力を凌ぎ、寄せ付けぬその舞踏も、

いずれは止まろうて・・・・それの時こそが、うぬが最期の時よ!!)

 

 

ごぼああああああ・・・!!

 

イサハヤと、巨大な魚妖の戦いは、果てしなく続くかに見えた。

 

「ちっ、こんなザマぁ情けなくって、みなほの奴にゃ見せられたもんじゃねえな。

・・・だが、早ぇとこなんとかしねぇと、・・・・あいつ!!」

 

(イサハヤ!!・・・貴方ともあろう神霊が、いったい何を手間取っているの!!)

 

突如、イサハヤの前に、艶やかな朱金の髪の美少女の幻影が浮かび上がった!!

 

「なっ、朱珠か!?・・・・お前こそ、今ごろ何しに来やがった!?」

 

朱珠媛(あけたまのひめみこ)・・・、かって、大陸よりこの邦(くに)に渡り、

あまたの神霊たちと契りを結び、神通力を以って護霊部一族の始祖となった神女。

先の焔羅焔羅事件の時、イサハヤに助成した彼女の霊がまたもや再臨していた!!

 

 

(急いで!!・・・この空間は、顕界(げんかい)よりずっと時の流れが遅くなってるわ!!

みなほは、今、身体ひとつで巡り神と渡り合っているの・・・あれは、わたしの

力だけでは、もうどうにもならない・・・このままじゃ間に合わなくなってしまう!!)

 

「なんだとおおおおーーっ!!?」

 

(空間の出口は、わたしが探すわ・・・イサハヤは、なんとかその噬龍魚を制して

脱出に備えて・・・あなたの力がどうしても要るの!!)

 

「ああんちくしょう・・・、案の定待てなかったな、あの馬鹿娘えええっ!!

今行くぞ、待ってろ!!」

 

 

「ぜぇ・・・ぜぇ、ぜえ、ぜぇえ・・・、ぜぇええええ、ぜええ・・・」

 

悲痛な荒い呼気が結界の中に流れる・・・。ついに、みなほの動きが止まった。

 

しおりを救うために捨て身で飛び込み、必死で奮闘したものの・・・

決め技を欠き、しかも病み上がりの身では、おのずと限界があった。

 

「みなほっ、しっかりしてっ、みなほおおおーーっ!!」

 

駆け寄って、懸命にみなほを励まそうとするしおり。

だが、脈拍が異常に速くなり、チアノーゼの兆候までが出ている。

 

ひゅうう、ひゅうう、ひゅううううう、ひゅうう・・・、ひゅうう・・・!!

 

いまや、素人の目でさえ、危険な状況が理解出来るほどである。

 

 

「くふふぅう、非力な人間にしては、よくぞここまでこの黒曜に抗えたものよ。

だが・・・、それも、もう終わりだ!!」

 

余裕を取り戻した、”黒曜翁”が、奇怪なイントネーションでみなほを嘲弄する。

 

 

「ぜぇ、ぜぇ、ま・・・けな・・・ぃ、ぉ・・・と、も・・だちは、わ・たさ・、ぃ」

 

 

それ以上、もう声にならない・・・気道と肺の脈動の同期がいまや完全に取れず、

身体を動かすだけの酸素すら、ろくに供給出来ない。

 

 

どくっどくっどくっどくっどくっどくっどくっどくっ・・・・・

 

 

心臓が早鐘にように鳴り続け、今にも張り裂けそうになる。

絶息しそうになりがらも、再度立ち上がり、無拍子を打とうとするみなほ。

 

だが、いままでに。どのように努力しても、無拍子を続けて放つことは不可能だった。

あまりにも、心身の消耗が激しすぎるのである・・・ましてや、今の有様では!!

 

 

「ばかあっ、しぬよ、・・・死んじゃうよ、みなほ、やめて!!・・・もう、やめてよ。

やめてってばあああーーーっ!!!」

 

 

しおりの叫びは、もはや狂乱に近かった。

自分が魔の幻影に取り巻かれたとき以上に激しく取り乱し、声を限りに叫び訴えた。

 

 

 

りん・・・凛・・・、凛・・・、凛、りぃぃぃぃん!!

 

 

 

またも、”舞”の律動を受け、退魔の鈴音が鳴り響く。

それは、あたかも・・・、みなほの勇気の鼓動が、打ち鳴らすかのように!!

 

「な、何ぃいい!?」

 

驚愕する”黒曜翁”の眼前に、蒼白く輝く”気”に包まれたみなほの小さな掌が

ついと向けられる。

 

「ぬおおおおーーーーーーっ!!」

 

一見、それは、ただ差し伸べられただけの、何の速さも力感もない所作に見える。

だが、暗雲を照らす紫電のような輝きは、確実に凄まじい痛手を”黒曜翁”に

与えている!!

 

みなほは、ぎりぎりの力を振り絞り、ついにこの土壇場で、今までに無い”技”の

切っ掛けを掴んだのである!!

 

 

「な・・・、なんと、何とおおおっ・・・!!」

 

 

ひとたび、無拍子に入った以上、もはや、”黒曜翁”は、みなほの気配を読み取る

ことさえ出来ない・・・不本意ながら、なんとか痛撃を避け、遁走する機会を窺う

より選択の余地はない。

 

 

・・・が、御霊部の若き名代の反撃の手は、あと一息という時に、ついに費えた!!

 

 

バターーーーーーン!!

 

問題の踏切に差し掛かるや、ドアを開くのももどかしく、みづきは、リムジンの中から

転げるように外に飛び出した。

 

「徳重さん!!・・・みなほは、・・・みなほは!!?」

 

「あ、みづきさま・・・こちらに!!」

 

黒服たちの案内で、慌しく問題の踏切に足を運ぶ一同。

 

「うっ・・・これは!!」

 

立ち込める凄まじい妖気に、思わず眉をそびやかすみづき。

彼女とて、ひとたびは御霊部の名代候補として、数々の修練を積んだ身である。

 

・・・だが、そこには、何者の姿も見出すことは出来なかった。

 

「ど、どうしてなの?・・・みなほは!?」

 

「はっ、それが・・・確かに、名代さまは、こちらにおいででした。

・・・ですが、不意に無拍子を打ったまま、お姿が!!」

 

「何ですって!?」

 

徳重の言葉に、呆然とするみづき・・・、確かに無拍子の技なら、”あやかし”の

結界に干渉し、突破することも出来よう・・・だが、それは、同時に他の人間には

侵入が不可能であることも意味している。

 

「まさか、”あやかし”の結界に入りこんだまま・・・、なんてこと!!

何とか、手助けする方法はないの!?」

 

「落ち着きなさい、みづきちゃん・・・、あとはもうイサハヤ殿にお任せするしかないわ」

 

 

全身から力が失われ、首ががくりと項垂れる・・・もはや完全に動かなくなるみなほ。

 

「く・ふ・ふ、驚かしおるわ・・・が、どうやら、ここまでのようだなあ!!」

 

道化姿の妖物が手を振ると、そこから、まるで、歌舞伎の白糸を思わせるような、

極細の糸が放射状に放たれ、みなほの身体を絡めとり、掬い上げる。

 

「くふふふぅぅ・・・千の年月を越える時を永らえ、無聊を託つこの身にとって、

なんと至上の悦びであろうか・・・あまたの”あやかし”を畏れさせ、屠ってきた

あの護霊部の血脈を、我が手で絶つことが出来ようとは・・・」

 

そのまま、縦横に糸を繰ると、みなほの小さな身体は、まるで懸糸傀儡のように

宙に吊られ、蜘蛛の糸に捕らえられた胡蝶よろしく、四肢をぴぃんと引き伸ばされる。

 

 

「く・ふ・ふ・・、ぬしの骸(むくろ)は、これより幾十年ほど朽ちぬようにしてやろう。

・・・これからは、我のみのために舞う、操り人形となるがよいわぁあああ」

 

 

”黒曜翁”の繰る、しなやかな糸は、まるで鋼のような強度を併せ持っていた。

いかに華奢な少女とはいえ、体重がそのまま掛かる部位・・・

拘束された首や手首、足首の皮膚が断ち切れ、滲み出た血が無残な緋色の輪を象る。

 

「いやああああーーっ、みなほ、目を開けてっ、みなほおおおおーーーっ!!」

 

もはや、自分の生命の安全をも省みず、絶叫するしおり!!

”黒曜翁”は、明らかにその様を愉しみ、悠然と糸を弾く。

 

 

「ばっかやろおおおっ、腐れあやかしの分際で、頭に乗んじゃねえーーーっ!!!」

 

突如、怒号と共に、蒼い空間が文字通り引き裂かれる!!

 

まるで大蛇のような、怪魚の黝い臓物を身に纏わりつかせたまま、

無敵の神霊イサハヤが、ついにみなほのもとに辿り着いたのである!!

 

「うおおおっ・・・お、御身は、まさか・・・まさか、イサハヤの!!」

 

「おおよ、さすがに小賢しい知恵が回るヤツだけあって、オレのこともよーく知ってると

見えるな・・・、さあ、覚悟はいいなああああっつ!!」

 

「ば、馬鹿なああっ、御身のような神までが、護霊部に下るとはああっ!?」

 

 

もはや、大妖としての矜持もかなぐり捨て、悲鳴を上げて、遁走に移る”黒曜翁”。

 

 

・・・が、この神霊の前で、やってはならぬ失策を、このあやかしも、また犯した。

なまじの知恵者であるからこそ、意識せずにはおれぬ・・・、ゆえに免れぬ!!

 

 

・・・イサハヤは、相手の最も怖れるものを読み取り、そのものに化身する神である!!

 

 

「イサハヤ、いまこそっ!!」

 

「おうよ、朱珠(あけたま)!!」

 

釣瓶落としのごとく、早や翳り行く晩秋の陽光・・・、そのわずかな残照を、朱珠媛が、

外界より招来する・・・それを受けたイサハヤの姿が、みる間に変貌していく!!

 

すさまじい光量と熱量!!・・・イサハヤが纏わりつかせていた、怪魚の不気味な

腸管が、たちまち干からびて崩れ落ちる。

 

 

「うぎゃあああああああああーーーーーっ!!」

 

数十倍にも、増幅された眩い光と熱の中、”黒曜翁”が、きりきり舞いし、悶え苦しむ。

 

 

”陽神変化”・・・、いかに大妖といえ、闇に隠れ潜む身にはひとたまりもなかった!!

 

 

「バイタル低下、カンフル剤急げ!!」

 

「な、何だ、この傷は・・・、どうすればこんな?」

 

「いかん、動脈まで傷ついてます・・・、出血が止まりません!!」

 

「都内にも、近県の病院にも、O型のストックが足りないそうです!!

・・・家族の方へも、急いで連絡を!!」

 

「わ、私が、同じ血液型です、お願いです・・・なんとか妹を!!」

 

「守部の若衆の召集を急げっ!・・・、断じてお嬢を死なせてはならぬぞおおっ!!」

 

「急患が通ります、道を開けてください!!・・・急患が通ります!!」

 

早や暮色の迫る街角に、慌しい叫び声とサイレンの音が響き渡る。

それを見送る人々の表情には、一様に濃い翳りが挿していた。

 

 

喧騒の続く踏切より、やや離れた線路沿いの木立に、奇怪な気の塊がわだかまっていた。

 

「く・・・くふふふ、・・・ど、どうやら、謀りきった、・・・やったぞおおお」

 

その正体は、無論、”黒曜翁”である・・・、千年の永きに渡り、蓄えてきた妖力の

そのほとんどを失ったものの、かろうじて消滅を免れたのである。

 

「おのれええ・・・よくもぉおおお、この黒曜を・・・、護霊部の血筋を引くものよ。

許さん・・・ゆるさんぞおおおお、かぁならず、復讐してくれるぅうううう!!」

 

 

「・・・あぁら、それはどうかしら?」

 

「何!?」

 

いかに著しく弱体化したとはいえ、あやかしたる自分に気取られず・・・

一体、いつの間に現れたのか・・・長い黒髪を靡かせ、二振りの護刀を手挟んだ

細身の美丈夫が、不敵な笑みを浮かべながら立っていた。

 

 

「くす・・・、遅参したのが幸いしたようねぇ、・・・たまたま護剣を持ってたのが

運の尽き、あんたはここでおしまいってわけ」

 

「ぬ、ぬうう、きさまも護霊部の縁者か・・・次から次へと、おおのれええ!!」

 

だが、いかに凄んでみたところで、ここまで弱体化した現在は、人一人殺すことも、

幻惑することさえままならない・・・この場は、なんとか凌いで、逃げ仰せねば

ならないのである。

 

相手の持つ得物からは、確かにただならぬ霊力を感じるものの、幸い、その間合いは

短い・・・射程の長い飛得物でなければ、なんとか逃げ仰せることも適おう。

 

 

「いつか、必ずや合見え、その血統、根絶やしにしてくれるぅうう!!・・・」

 

 

陰惨な捨て台詞を残し、彼方に飛び去ろうとする”黒曜翁”!!

 

刹那、美女と見紛うばかりの秀麗な美丈夫・・・、九文字かほるが、驚異的な速度で

護剣”骨噛丸”を抜刀した!!

 

 

「痴れ物が、その間合いで、いまさらっ・・・・ぐわあああっ!?」

 

 

なんと、かほるの手を離れた”骨噛丸”が、驚異的な速度で飛来し、気の塊を撃ち貫いた。

そして、そのまま余勢を借り、すぐ傍の潅木に縫いとめる!!

 

 

”明神流闘剣術”のうち、九間飛閃居合の秘技である!!

 

 

「ぐぅおおお、う、動かぬううう!!」

 

 

あやかしの物理的攻撃を、封じる”骨噛丸”に、身を貫かれては、いかな大妖といえど

もはや逃走することすら適わない。

 

 

「さて・・・と、まーよくも、ここまで好き勝手してくれたわねぇ」

 

 

「ぐ・・・ぐぅわ、あ、あああ・・・・」

 

 

「あのコはねぇ、トロくて、ひ弱で、そのくせ、根は呆れるほどの頑固者なんだけど。

いつもは、とーーーっても素直で、くりくりってして、可愛くって、・・・このわたしの

一番お気に入りの愛弟子なのよ・・・それをねぇ・・・」

 

 

すらりと、もう一振りの護剣”魂伏丸”を引き抜くかほる。

浮かべた笑みは、男とは思えぬほど艶然としたものだが、その深みのある声には

”あやかし”すらも竦ませるような、凄絶な剣呑さが、にじみ出ている。

 

 

「ひ、ひぃいいいいい!!」

 

 

「てぇめえええっ、よくも俺様の可愛いみなほを、あそこまで弄ってくれたなあああ!!!」

 

 

「ぅぎゃああああああーーーーーーーーっ!!」

 

 

”明神流闘剣術”の奥義、”轟鳴閃”の絶技に、潅木ごと打ち砕かれ、千年の時を永らえた

巡り神、”黒曜翁”の断末魔が、長い尾を引いて流れた!!

 

 

遥かなる追憶・・・・、幼かった時の、ある肌寒い朝の修練の時。

 

「はっ、はっ、はあっ、お師さまぁ、も・もう、あた、・・・あたし、はっ、、はっつ!!」

 

「あらぁ、もうだめなの?・・・みなほ、そんなに辛い?」

 

あまりの息苦しさに、涙を瞳の端いっぱいに溜めながら、みなほが無言で縦に首を振る。

 

・・・それですらやっとという有様である。

 

悲痛な様の少女を見下ろしながら、・・・あくまで、穏かに言葉を継ぐかほる。

 

「ねえ、みなほ?・・・みなほが一番辛いって思うのは、どんなことかしら?」

 

「?・・・はっ、はっ、はあっ!」

 

唐突と思える問いに、微かに、訝しがる表情を見せるみなほ。

 

「人は・・・人であるために、その振るう力にも限りがあるわ・・・どんなにがんばっても、

手も足も、最後には、動かなくなってしまう・・・・・・それは、例えようもなく、

辛いでしょうね・・・、怖いことでしょうね・・・でもね、どうしても戦わなければ

ならない時・・・そんな日が人生に必ず来るはず・・・そんな時、みなほなら・・・

どうする?」

 

・・・独特の深みのある声が、苦しむみなほの耳朶を、確かに打った。

 

「はっ、・・・はあっ・・・はっ、はっ・・・はっ!!」

 

みなほが、もっとも怖れるのは・・・・親愛の情を寄せるものたちを喪うこと。

 

”ひとは独りで生きていけない”・・・彼女にとって、それは通り一遍の概念ではない!!

多くの人の助けを受けないと、自分は生きていられないことを、肌で知っているのである。

 

(いまは、あたし、・・・よわい女の子でしかないけど・・・・でも、・・・いつか)

 

喘ぐみなほの幼な顔に、ほんの僅かの間・・・、強い意思が宿る!!

 

それを見止めたかほるは、その心情まで読み取ったかのように微笑み、みなほの小さな

身体を優しく抱き上げる。

 

「・・・そう、気持ちだけは、負けないこと、逃げないこと・・・今は、それだけでいい。

そうすれば、いつか、そこから、さらに一歩踏み出す勇気を・・・強い覚悟を持って、

大切な人たちを、護れるようになるのだから・・・・」

 

 

一月後、しおりとさゆきは、ようやくみなほを見舞うことが出来た。

 

「・・・まさかって思ったけど・・・みなほ、あんな危ないことしてたなんて・・・」

 

みなほの学習が遅れないよう、丹念に気を配って授業内容を書き留めたノートを用意し、

さゆきとともに面会を待たされている間・・・、しおりは、実際に気が気ではなかった。

 

・・・自分の悪い予感は、結局当たっていたのである。

 

出来得る限り口にするまいとしながらも・・・、とある切っ掛けで、思わずその言葉が

出てしまい、内心、”しまった”・・・と、臍(ほぞ)を噛む思いのしおり。

 

「・・・・ごめんなさい、黙ってて」

 

見ているほうがいたたまれなるほど、しゅんとするみなほ・・・。

会話がそれきり途絶え、気まずくなり、さゆきが視線を巡らして、急いで話題を探す。

 

「あ、ほら、・・・しおりちゃん・・・お見舞いの!!」

 

「あ、うん、お見舞い持ってきたんだ・・・、食べてよ、みなほ」

 

そう言いながらも、気後れしたように、ちらちらと周囲を見回すしおり。

御霊部の家は、古来から知られた名家である・・・豪華な見舞い品の並ぶ中、

ありふれた果物など見劣りすると感じたのだろう・・・

 

いつものしおりらしくもない様子を、敏感に察したみなほは、急いで笑みを作った。

 

「ううん・・・うれしい、しおりちゃん」

 

「よかったぁ・・・、じゃ、さっそく食べて・・・食べて、また元気になってよ!!」

 

「うん・・・でも、あたし・・・」

 

手厚く巻かれた包帯で、みなほは、まだ、ろくに手を動かすこともできない。

 

「あ、・・・ちょ、ちょっと、待ってて!!」

 

しおりは、手短にある林檎をつかむと、苦心しながら皮を剥きはじめた。

この少女は、生来、そんなに不器用ではない・・・胸の内から込み上げてくる

熱い感情が、少しずつ彼女の手元を震わせているのである。

 

「ほ、ほら・・・出来た!!」

 

ようやく分割した、いびつな林檎を楊枝に刺し、みなほの前についと差し出すしおり。

 

「さ、食べなよ・・・みなほ」

 

みなほは、言われるままに林檎を唇に運び、一口ずつ噛み締める・・・

しおりが、・・・そして、さゆきもまた、心配そうにみなほの反応を伺っている、

 

・・・その内に、みなほのか細い肩が、ふるふると震え始めた。

 

「おいしい・・・美味しいよぉ、・・・うっ・・・えっ、えっ・・・」

 

堅く閉じた瞳から、熱い涙がひとつ・・・またひとつ零れていく。

イサハヤに認められ、過酷な御役目に身を投じるようになったその時から・・・

 

いや・・・それよりも、ずっと前・・・、あの、師のかほるの言葉を受けた時から・・・

 

みなほは、常に強くありたいと願ってきた・・・愛おしい皆を守るために・・・

もう、人前で涙を流すような弱さがあってはならないと・・・、そう願ってきた・・・だが。

 

「・・・・こんな・・・おいしい林檎、はじめて・・・しおりちゃん・・・」

 

「み、・・・みなほ!!」

 

ぽろぽろと涙を流すみなほにうろたえるしおり・・・、身体は弱いが、頑張り屋であるみなほが、

人前でこれほどまで、弱弱しい感情を曝け出すことなぞ、今までになかった事である。

 

 

「・・・ごめんなさい・・・あたし、ほんとに弱くって・・・しおりちゃんにも、

うんと怖い思いさせて・・・、お師さまにもしかられたの・・・、あんな無茶して

・・・この一月の間に、”あやかし”が、みんなに悪いことをしたらどうするつもり

だったの?・・・って」

 

 

「そんな・・・、ひどいよぉ・・・みなほちゃん、一生懸命がんばったのに・・・」

 

呆然としたままのしおりに代り、さゆきが、かろうじてそれだけを口にする。

 

 

「ううん・・・あたし・・・もっと、・・・もっと、強くならなくっちゃいけないの。

ねえ、しおりちゃん・・・さゆきちゃん、ふたりとも怖いよね・・・、気味悪いよね、

こんな女の子・・・でも・・・・でも!!」

 

 

永い沈黙・・・みなほが、涙で顔をくしゃくしゃにして、ようやく言葉を紡ぎ出す。

 

 

「おねがい・・・、おねがい、・・・・しおりちゃん、・・・さゆきちゃん・・・・、

あたしのこと・・・・・・、きらいに・・・ならない・・・で」

 

 

「・・・みなほ!!」

 

 

不意に、しおりが激情に駆られ、みなほのか細い身体を抱き締めた!!

 

”あやかし”のこと、怪異のこと・・・そして、みなほ自身のこと・・・

尋ねたいことは山ほどあった・・・が、今はもうそんなことは、どうでも良くなっている。

 

 

「ばか・・・、みなほのばか!!・・・謝るのはこっちだよおおお・・・こんな・・・こんなに

無理して、死にそうになってまで、・・・あたしを助けてくれたんじゃない!!・・・ありがとう!

・・・ありがとう、みなほ・・・ほんとうにありがとう!!!」

 

 

「・・・しおりちゃん、さゆきちゃあああん・・・うっ、えっ・・・えっ」

 

 

みなほも、しおりも・・・そして、ふたりを優しく見守るさゆきも、今は、ただ暖い涙に心を浸していた。

 

 

その様子を、病室の扉の外に固まって、そっと伺う人影があった。

みなほの姉のみづきと、剣の師のかほる、守役の徳重・・・そして、珍しく姿を見せたままのイサハヤ。

 

・・・一見、美童姿のイサハヤを含めて、みんな、いい年をした大人たちである。

 

 

「よかったぁ、あんな優しい子たちが、みなほのお友達でいてくれて・・・」

 

クールビューティーに見えるが、実は感激屋であるみづきはハンカチで瞼を押えたままだった。

 

「ちっ、てめぇはよ・・・もう少し、優しいいたわりの言葉ってのを掛けられねえのかよ!!

可愛い弟子だろうが、みなほは!!」

 

ねちねちとかほるに悪態を突くイサハヤ・・・自分を負かしたみなほが、かほるの言うことには

いたって従順なのが、何かと面白くないらしい。

 

「あらぁ、いいのよ、あれで・・・見たでしょ?」

 

無敵の神霊に、小癪な笑みを浮かべながら言葉を返すかほる。

 

「強さの形も、人それぞれ・・・、あの子は、あれで強くなれるもの・・・」

 

 

既に空より闇は払われ・・・、清々しい秋の涼風が人々の心を洗った。

 

 

(第四夜・・・了)

 

 


 平山さんに感想と続編の要望を! 


 

 

 

 

 

そして、管理人より平山さんへ恒例の・・・image B.G.M."KAHORU"