とある晩秋の夜・・・道を一人の男が、ふらふらと歩いていく。

その赤ら顔は、明らかに飲酒を心行くまで堪能した証である。

 

「ひっく・・・・んん〜?」

 

ふと、妙に男の行く手が明滅する。

まるで、焚火でも燃えているような奇妙な明るさである。

こんな道の真中に?・・・怪訝そうな顔をする男。

 

「ん〜ん、なんだああ!?」

 

そこにあったのは、まさに炎の塊だった。

だが、それは、何かを燃やしているわけではない。

奇妙なことに、等身大ほどの炎のみが、その場に存在している。

酩酊していた男は、目の前に何が現れたのか、正確に把握出来なかった。

 

やがて、ほぼ人の顔ほどの高さでゆらめく炎の中、戯画的な顔の造作が

不意に浮かび、にやりと嘲笑った。

 

・・・それは、まるで生命を持つような怪火だった!!

 

「!?」

 

その時・・・、吹き渡る風が、熱気を孕んで男の顔を撫で回すと同時に、

人間の記憶の奥底に潜む本能的な恐怖を蘇らせた!!

 

「うお・・・おおおおお!!!」

 

逃げようと必死でもがく男・・・だが、アルコールに蝕まれた神経が、

土壇場で主人を裏切った!!

 

「ぎいいいやああああああああ!!!」

 

異臭を周囲に漂わせ、男の頭髪が松明のように燃え上がる!

動きの鈍かった肉体が、まるでスイッチが入った玩具の様に派手に

跳ね回る!!

 

恐慌に陥った脳が、それでも必死で退路を求め、己が肉体を逃走させよう

とする・・・が、奇怪にも、炎が退路を断つかのように、地面そのものから

噴きあがる。

 

魂切るような男の断末魔の絶叫が、風に乗ってどこまでも・・・、どこまでも

広がっていった!!

 

 


 

 

 

仮説雑貨商 4000HIT記念

 

暗 夜 無 拍 子

 

 

 


第三夜


 

 

 

BY 平 山 俊 哉

 


 


 

2001年、九州南部に位置するS県、Oヶ島は未曾有の災害に晒されていた。

島の南西部に位置する休火山が120年振りに活動を起こしたのである。

 

その被害は留まることを知らず、溶岩流と大量の火山弾、火山ガスが、

人間の生存圏を脅かし、多くの島民が一時的に住み慣れた家を離れざるを

得なかった。

 

そんな中、島を離れる船上で、小学生の一団が奇妙なものを見たと騒いでいた。

火山の噴煙の中から、奇妙な燃えるものが舞い上がったというのである。

 

・・・まるで、天空に伸びる炎を、そのまま切り取ったような・・・・

 

だが、これからの生活を懸念して、心理的に余裕の無かった大人たちは、

彼らの言うことに、まったく耳を貸そうとはしなかった。

 

 

その後も、怪火による被害はとどまるところを知らなかった。

それは、事件の実体が、あまりにも常人には把握し難いという点に

起因している。

 

凶悪な放火犯説、住宅、もしくはライフラインの構造欠陥説、

某国の新兵器による無差別テロ説・・・果ては、宇宙人侵略説や。

ホラー映画じみた発火能力(バイロキネシス)までが、無責任な

マスコミで、毎日のように語られ続けた。

 

そんな中、古来より国家の霊的守護を担ってきた護霊部(ごりょうべ)家は、

独自に調査を重ね、ついに事件を起こしている怪火・・・即ち、”あやかし”

を捉えた!!

 

新世紀を迎え、現代に蘇った”あやかし”達は、いずれも狂猛な性質を

備えていた・・・まるで、現代の増えすぎた人間に対する天敵の役を

新たに担ったかのように!!

 

事、ここに至るまで、実に十数名が、無差別に消し炭に変えられている。

もはや、この怪異を放置するわけにはいかない・・・

 

一刻も早い対処を、政府より依頼された護霊部家は、まだ年若い名代を

この”あやかし”の調伏に派遣することを決定した。

 

 

K県S町、さびれかけた町工場の居並ぶ一角、不釣合いな黒塗りの

高級車が数台連なって停車している。

 

しばらくして、先頭の車の中から、黒衣の屈強な男たちに囲まれ、

一人の少女が歩み出た。

 

護霊部家の名代、三女みなほ・・・・齢、僅か十二。

 

短めの髪と、中性的で凛とした整った顔立ち。

薄桃色の上衣と緋袴を纏い、小ぶりの上品な金冠と簪を頂き

腰の飾り帯には、古風な造形の短刀が二振り手挟まれている。

 

容姿といい、その清冽な立ち振る舞いといい、涼やかな風を思わせる

可憐な少女である。

 

みなほの傍らには、一人の古めかしい装束を纏った美童が佇んでいる。

が・・・彼は、常人の目には映ることは決して無い。

 

名は、”イサハヤ”・・・護霊部一族の開祖の時代より、

彼らに手を貸して来た無形にして無敵の神霊である。

 

(ふむ・・・・今度は俺の出る幕はなさそうだな)

 

今回の相手は、どうやら自然界の精霊の一種らしい・・・彼らは、齢を

重ねた妖物・・・例えば、以前戦った付喪(つくも)神の”我樂(がらく)”の

ように、知性と呼べるものを持っていない。

古くから存在する神霊に対する畏敬や畏怖の念すら持ち合わせてない。

要するに、単純に本能のみで行動しているのである。

 

従って、この種の相手に大しては、サトリと精霊変化の術を併せ持つ

イサハヤと言えど、特別に優位に立つことは無い。

 

だが、彼らの行動原理は、概して自然界の法則に基づくもので、

手馴れた者にとっては、至って組み易い相手なのだが・・・。

 

(まあ、それこそ、みなほ一人で充分だろうがよ・・・)

 

しかし、一抹の不安が過ぎる・・・、この時代に蘇った”あやかし”たちは、

皆、かってとは比較にならないほどの力と凶悪さを備えている。

 

ごおおおおおお・・・・。

 

やがて、彼らの眼前の空間が、奇妙な明るさを帯びる。

中空に、まるでアニメーションのそれを思わせる、炎の塊のようなものが、

恰も独立した生き物のように飛来してくる。

 

「来た・・・・」

 

・・・これこそ、ターゲットの怪火であろう。

 

護霊部に伝わる技には、微かな血の匂いを嗅ぎ付ける鱶(ふか)の如く

遠隔地から魔を誘き寄せる外法も存在する。

 

「なんだと、あいつは!?」

 

目の前に現れた”あやかし”は、イサハヤの予想していた、古来からの怪火の類

ではなかった・・・。その実体は、かって、煙羅煙羅(えんらえんら)と、呼ばれて

いた無害な煙の精霊である。

 

だが、この煙の”あやかし"も、例に洩れず、現代に顕れる際に全く新しい形質を

獲得していた。自らを猛炎を変え、獲物である人間を燃やし尽くし、その生命の

残滓を喰らい尽くすのである。

 

・・・その名は、今や、"焔羅焔羅”と呼ばれるに相応しかった。

 

 

美しい鈴の音と共に、みなほの小さな肢体が滑るように前に出る。

 

彼女の後ろに控える黒服の戦闘集団、守部衆は、みなほの全面的なサポートを担い、

緊急時には、一命を賭して彼女の盾となるための存在である。

 

すっ・・・・音も無く、少女の腰の短刀が引き抜かれる。

あやかしの物理的攻撃を封じる護神刀、”骨噛丸(ほねかみまる)”!

 

その一閃毎に切り裂かれる怪火、本体から切り離された炎は、忽ち、

中空に呑まれるように消え失せる。

 

退魔の秘技の極(きわみ)、古来より、護霊部に伝わる無拍子の極意。

森羅万象の”気”の流れと一つになって魔を断つ技である。

 

”焔羅焔羅”は、敵の存在は朧気に感じるものの、やはり、その攻撃が

何処から繰り出されるものか認識出来ない!

 

そして、もう一方の優美な造形の短刀が引き抜かれる。

いかなる霊的存在をも、討ち果たす霊剣、”魂伏丸(たまふせまる)”!

 

追い詰められたあやかしが、苦し紛れに廃工場の施設を燃やしながら

なんとか得体の知れぬ敵手の追撃を妨げようとする。

 

「・・・ちっ、悪あがきしやがって!!」

 

業を煮やし、一歩歩み出たイサハヤが水霊を召喚する。

逃走しようとする”あやかし”を追い詰めるのは、彼の役目である。

 

驟雨のような水の幕が周囲を覆い、焔羅焔羅は、忽ちのうちに入り組んだ

古い鉄管の間に追い詰められてしまう!!

 

やがて、水の乱舞が途切れたあとには、奇妙なドッジボール大の、

黒い核の様なものが残されていた。

 

「・・・ん?」

 

この奇妙なものは、完全に無力化した証なのか?

相克の理(ことわり)により、水は、火の属性を持つものに克つ。

・・・イサハヤが狙ったのも、無論、それだったのだが。

 

長い沈黙の末・・・みなほの無拍子の技がついに解ける。

 

もとより、喘息を持病に持つ身体の弱い少女では、そうそう永く

続けられる技ではない。

 

だが、それを待っていたかのように、黒い核を中心に以前にも増して、

凄まじい猛火が膨れ上がった!!

 

「なっ!?・・・こん畜生が!!」

 

イサハヤが、再び水霊を召喚し、今度は、まるで瀑布が逆流するような

大量の水を炎に叩きつける!!・・・だが!!

 

「き、消えない!!・・・炎が!?」

 

「いかん、名代様が!!」

 

あっという間に、高温の水蒸気に翻弄されるみなほ!

怪火のあやかしの姿が、皆の前から見えなくなる。

 

黒服の男たちの中に動揺が走る!

無拍子の技の直後には、みなほは完全に無防備になってしまう!

 

「みなほおおっ、させるかあああああっ!!!」

 

三度、イサハヤの召喚した水霊が、何と此度は、みなほの周囲を取り巻くように

大量の冷水を放った!

 

しゅううううううううう!!

 

またも、大量の水蒸気が周囲をヴェールのように覆う・・・。

逆撃を阻まれた焔羅焔羅は、この隙にまんまと逃走に成功していた。

 

・・・・しばらくして、靄のような水蒸気が晴れる。

 

水圧に翻弄され、可憐な装束が無惨にはだけられ、みなほは、

透き通るような白い肌を顕わにしたまま、力無く地に臥していた。

 

当の妖物に水が通用しないとみたイサハヤは、此度はみなほを護るため

だけに水霊を使ったのである・・・そして、その判断は正しかった。

 

黒服のリーダーがいちはやく駆けつけ、みなほの姿を衆目に晒さないよう、

自分の上着を掛ける。

 

みなほは、これ以上何も行なう事はできなかった。

荒い呼吸を繰り返し、力なく黒服の男の助けに縋るだけだった。

 

イサハヤが懸念した通り、体感温度の急激な変化で、

喘息の発作を起こしていたのだが、止むを得ない事態だった。

無惨に焼け爛れ果てるよりは、はるかにましだからである。

 

「くそおお、ふざけやがって!!」

 

激怒して地面を打つイサハヤ・・・試しの祠で、みなほと邂逅し、早や数ヶ月、

この無敵のペアが、初めて不覚を取ったのである。

 

 

 

・・・三日後、護霊部家本邸。

 

「・・・なんとか、落ち着いたようです」

 

妹のみなほの容態を見守っていた、すぐ上の姉のみづきが、珍しく姿を表したまま、

不機嫌そうなイサハヤに囁いた。

 

イサハヤとて、みなほの持病の喘息の発作自体は、さして心配していない。

気になるのは、これから先のことである。

 

「・・・ところで、あの”あやかし”のことなんだが・・・」

 

みづき達、みなほの兄や姉達は、皆、かってイサハヤに挑戦して敗れている。

 

昔は、そのような者達など気にも止めなかったイサハヤだが、何せ以前活躍

した時分からは、大きく世の中が変化している。

幼いみなほだけではなく、世の理に長けたアドバイザーの存在が必要である。

その点、護霊部の上の四兄妹は、いずれも若輩ながら才気溢れる人材として

知られており、相談役としては申し分は無い。

 

「・・・はい、あの後、あやかしの追い詰められた廃工場跡を調査したところ、

工業用酸化剤が撤去されず、幾らか残されていたようです」

 

「なんでぇ、そりゃ?」

 

無論、かっては、存在しなかった工業製品である。

みづきが、燃焼と酸素の関連のおおまかな説明を行なう。

 

「そういうことか、あの野郎・・・、ギリギリのところで、そいつを吸収して、

形質を変化させやがったな!」

 

「はい、おそらくは・・・・」

 

みづきの応えに歯噛みするイサハヤ。

 

かって、付喪神の我樂は電子機器に潜み、邪牙王は廃棄寸前の工作機械を

殺人に利用した・・・そして、此度の焔羅焔羅は工業薬品を吸収し変質している。

 

利便性のみを追求する現代人の心の生じるひずみ・・・それこそが、現代に

蘇った妖怪を凶悪化せしめる源泉なのではないかと、彼には思えてならない。

 

 

「・・・まあ多少面倒にはなるが、そうと判れば、まだ攻め様もある・・・・

むしろなあ・・・問題なのは、みなほのほうだ」

 

「・・・と、仰せられますと?」

 

「アイツは、いままで、戦いでこれほど追い詰められたことはなかった。

・・・ギリギリの死の恐怖ってヤツは、身に染み付くもんだ・・・。

無拍子は、無意識のうちに技を繰り出す・・・・が、同様に、無意識の内に

そいつが出ちまうことがあると・・・最悪の場合、技が破れるかもしれねえ」

 

「・・・そ、そんな!?」

 

「・・・まあ、こればかりはな」

 

「・・・イサハヤさま、お願いでございます、どうか、妹を・・・みなほを

お守りくださいませ」

 

「あ?・・・、何を今更、オレは今まで、ずっとそうしてきたつもりだが?」

 

「・・・ご存知かとは思いますが、みなほと、私達上の兄妹四名は母親が違います。

ですが、私達は・・・みな、あの子が可愛いのです」

 

「・・・・・・・・・・・」

 

「護霊部の家の倣いに従い、我ら兄妹、そして、みなほは秘伝継承のため互いに

競争相手となりましたが・・・結果は、皮肉にも最も体の弱いみなほが選ばれました。

ですが、あの子だけは、この御役目に付かせたくなかった・・・と、皆、今でもそう

思っております・・・」

 

「・・・おい、そりゃ、つまらねえ嫉妬から言ってんじゃねえだろうな?」

 

「・・・全く、そういうつもりは無い・・・と言えば、さすがに嘘になるかもしれません。

私達も、また・・・、認められるために死に者狂いで修行してきましたから・・・」

 

やや苦笑めいたものを匂わせ、みづきが言葉を継ぐ。

 

「ですが、競争相手として激しく意識していたのは、むしろ兄妹同士のほうでした・・・。

・・・あの子は、異母兄妹の私たちを、何の気持ちの隔たりなく・・・、本当に素直

な心で、

慕ってくれています・・・」

 

実のところ、我の強い彼らが結束するのは、みなほを通じてのことが多い。

彼らにとって、異母妹のみなほは、特別な位置にあるのである。

 

「・・・ですが、あの子の病を堪え戦う姿・・・あの孤独な苦しみ様を見ていると、

いかに御役目とはいえ、・・・あまりにも・・・不憫で」

 

気持ちが昂ぶり、何時しか言葉を詰まらせてしまうみづき。

 

兄妹の誰しも、病弱なみなほを、危険なこの役目には立てたくは無い。

みなほは、元来護られるべき存在であると、誰もが思っている。

だが、皮肉にも、”あやかし”と互角に戦える才能を持っているは、みなほただ一人!

 

 

みづきの言葉に黙考するイサハヤ・・・その時!

 

「みづきさま!!・・・・何時ぞやの”あやかし”めが!!」

 

「くっ、もう現れたの・・・・早すぎる!!」

 

”焔羅焔羅”の復活は、護霊部の者やイサハヤの予想以上に早かった!

 

しかも、今度は大胆にも隅田川において、慰安旅行中のT県職員を満載した屋形舟を

一艘丸ごと灰にしている。

 

「ヤツめ、餌食にした人間の想念や記憶の残滓までも喰らって、智恵を付けてるって

のか!?」

 

「し、死傷者59名!?・・・、おのれ・・・よくも!!」

 

これで一気に被害者の数が3倍にも増したことになる・・・みづきの声が憤激に滲む!

 

 

「・・・それ、本当ですか、姉さま?」

 

音も無く障子が開き、静かな声が聞こえてくる。

いつの間にか、みなほが床から抜け出していたのである。

 

喘息の発作に苦しめられ、食も細くなり、桜色の寝巻きに包まれている

元より華奢な肢体は、あまりにも、脆く、か細く見える。

 

「・・・けほっ、けほんっ!」

 

「みなほ、お前!?」

 

「だ、駄目よ、まだ寝てなくては!」

 

「・・・いえ、これもお勤めだから・・・、護霊部の名代としての・・・」

 

目上のはずのイサハヤや、みづきを制するあまりにも静かな声・・・

この少女は、気負って声を荒げることなど決してない。

だが、それでいて、内に強い意志が篭っているのがはっきりと感じられる。

 

そして、護霊部の家の者は、ひとたび名代と認められたみなほの意には、

尽く従う義務があった。

 

(・・・この子ったら・・・・こんなか弱い子がどうしてここまで・・・・)

 

みづきは、暗澹とした気持ちで携帯を取り上げ、緊急回線をCALLした。

 

 

本邸に報告が入り、その僅か3時間後・・・、みなほとイサハヤ達は、

海上保安庁の高速巡視艇”みなつき”の船上にあった。

凍るような海風がキャビンの外を吹き抜ける。

 

無論、暖房などの設備は整っており、居住性もそこそこに高いが、

重度の喘息患者向けのデリケートな調整が出来るわけではない。

 

「・・・辛くない、みなほ?」

 

「・・・うん、ありがと・・・ちぃ姉さま」

 

持ち込まれた加湿器がこぽこぽと心地よい音を立てている。

みづきは、腹違いの妹をひしと抱きしめて、自分の肌で暖めていた。

 

(・・・あやかしと戦うのは、確かにこの子の宿命なのかもしれない・・・・でも)

 

戦いに敗れれば、無論、その存在は顕界から消え失せる。

たとえ、年端も行かぬ少女であろうと、齢数百年を重ねた妖物であろうと

運命は同等なのである。

 

 

・・・でも、どうして?

・・・そんな過酷な戦いを前に、この子は、いつもこうしていられるのだろう?

 

 

一方、みづきと同様のことは、以前からイサハヤも感じていた・・・。

 

・・・こんな細っこい身体で・・・てんで弱っちぃくせに・・・

・・・どうして、こいつは、いつもいつも・・・こんなにムチャ出来るんだ?

 

(いつの間にか傍にいることが当然になっちまったが・・・

そういやあ、俺・・・こいつのこと、どれだけ知っているんだろう?)

 

いつしか、この想いは、この形無しの神霊の頭から離れなくなっている。

 

(・・・・弱ってる今なら、サトリの術で多少は)

 

それは、護霊部の家に従う神霊といった意味を抜きにしても・・・、

互いに信頼関係の必要な間柄ではやってはならぬことである・・・だが。

 

「!?」

 

この時・・・、何者かの思惟が、不意にイサハヤの方に流れ込んできた。

 

 

「けほっ、けほっ・・・・かあさま・・・かあさまぁ・・・」

 

「大丈夫・・・・みなほ、わたしはここよ」

 

「ぐす・・・、もういやぁ・・・どうして、あたし・・・、こんなによわいの?」

 

「・・・ごめんなさい、みなほ・・・、もっと、強い子に産んであげられなくって」

 

力無く泣くみなほ・・・そんな娘の背中を優しくさする母のかすみ。

 

「・・・あなたは、生きていくために・・・誰かの助けを借りなければならない・・・

でもね・・・それは、程度の違いはあっても、誰もが同じことなの・・・」

 

「・・・かあさま?」

 

「・・・あなたには、あなたにしか出来ないことがきっとある・・・それを見出した時、

・・・その時には、あなたが、みんなを助けてあげるの・・・ね?」

 

「・・・・・・・・」

 

「・・・あら、・・・どうしたのかしら?」

 

「・・・もし、みつからなかったら・・・みなほ、どうしたらいいの?」

 

「(くす)・・・大丈夫・・・きっと、みなほだけを大事に守ってくれる男の子が見つかるわ」

 

「・・・でも、あたし、・・・よわいし・・・ぐずだし・・・・」

 

「・・・あらあら、・・・だいじょうぶだったら」

 

「・・・・あたし、・・・あたし・・・・うええええぇぇん!」

 

 

・・・あのときは、ほんとうに悲しくなって泣いちゃったっけ・・・

・・・この世の中に、あたしを大事に思ってくれる人なんて、ほんとにいるのだろうかって

 

・・・でも、あたしには・・・、後見役として、いつも見守ってくれる兄さまや姉さまたちがいる

・・・しおりちゃんや、さゆきちゃん・・・だいじなお友だちがいる

・・・お師さまや、いつもあたしを心配してくれる護霊部の家のひとたち

・・・陰になり日向になって、あたしを護ってくれる守部のおじさまたちも・・・

 

 

・・・こんなあたしにも、もし・・・ほんとに力があるのなら・・・守りたい・・・

守ってあげたい!

 

 

 

 

(な、何だ?・・・・これは、みなほの!?)

 

 

・・・みづきの叫ぶ声が、はるか遠くのように聞こえる!

・・・巡視艇の船室の視界が、ごく至近で炎に照らされたように明るくなる!

・・・何時の間にか、イサハヤは、みなほの意識の中に取り込まれていた!

 

 

 

そして、その状態で・・・・、みなほが無拍子を打つ!!

 

 

一方、巡視艇の甲板で、みづきと守部衆は、信じ難いものを目撃していた。

 

(ち、宙に・・・宙に舞っている・・・無拍子に入ったみなほが?

イサハヤ様の姿が見えないけど・・・これもあの御方の力なの?

こ、これでは、まるで・・・神通力で知られる護霊部の開祖様のような・・・!?)

 

冷え切った舷側の手摺を掴んだまま、呆然と中空を見上げるみづき。

 

 

焔羅焔羅は、眼前にいる者が、かって自分を追い詰めた術者の少女であることを

具に理解した。

 

・・・またしても、我が妨げになるというのか、小癪な!!

 

あの時は、幸運も手伝い、何とか謀って逃げ遂せることが出来た。

だが、大勢の人間の生気を得て、智恵や霊力も増した今なら、遅れを取ることもなかろう。

 

・・・かっての仇を取り、我が内に採りこんでくれようぞ!

 

 

だが、以前のみなほとは、何やら様子が異なっている。

 

みなほの背後に、何か別の姿が二重写しのように朧気に浮かんでいる。

あの小生意気な美童の姿を借りた神霊のものではない・・・。

 

古代の巫女を思わせる装束を纏った、長い朱金色の髪の美しい少女の姿である。

年の頃は・・・、みづきに近いであろうか。

 

みなほの魂伏の・・・そして、骨噛の霊剣を持つ両の腕が、舞うように翻る。

幻影のような美少女の、優美に伸ばされた指が、添うようにその流れに重なっていく。

 

やがて、その軌跡が・・・、まるで光輝で描かれた印形(シジル)のように煌く!

 

 

・・・身が動かぬ・・・、固まって・・・、いや、凍っていく!!

 

智恵を付け始めたばかりの焔羅焔羅が、明らかに動揺していた。

これは、反する属性による相克なぞというレベルのものではない。

自分の内外の分子の動き・・・それそのものが理解し得ぬ圧倒的な力で抑えられていく。

 

・・・果たして、この”あやかし”は、みなほと少女が宙に標したものが、

自然界の法則を踏み外した、狂精霊の封滅印と気付くことが出来ただろうか?

 

無形であるはずの猛炎が、中空の月を想起させるオブジェのように象られ、やがて、

ダイヤモンドダストのように、散り散りに霧散していく。

 

それが、現代に恐るべき炎の怪として生まれ変わった”煙羅煙羅”の最期だった!

 

 

ふっ・・・・気力が尽き果て、みなほが意識を失う。

その小さな肢体を、いつの間にか、背後に控えていたイサハヤが空中で受け止める。

 

「・・・ちっ、そういうことか・・・・アイツめ、味な真似を・・・」

 

そのイサハヤの背後には、あの朱金の色の髪の美少女の影がまだ仄かに残っていた。

 

大陸より流れてきたと言われ、かって、神人の末裔(すえ)と呼ばれた護霊部の開祖、

朱珠媛(あけたまのひめみこ)・・・、初めて、イサハヤが生き身の人間と契りを結び、

その血統に忠誠を誓った乙女である。

 

イサハヤと、自らの血脈に連なる少女の身を案じての力添えであろうか・・・

朱珠媛は、みなほの意識下にイサハヤを誘い込み、自分のイメージを投影することで、

精霊変化の術を利用して、かっての自分の霊力を、現代に再現してみせたのである。

 

少女は消え行く僅かの間に、・・・かって愛した美童姿の神霊の背に向け微笑みを浮かべた。

 

 

昇る朝日の中、靄と薄い陽光に包まれた日の出桟橋・・・。厳しい戦いを終え、

無事に生還した護霊部家のうら若き名代に、代々仕える神霊がふと口を開いた。

 

 

「・・・みなほ、おまえ」

 

「・・・ありがと、イサハヤ・・・・なんとか勝てたのも、イサハヤのおかげだよ」

 

「だ、大丈夫なのか・・・あんな目にまで逢って、おまえ・・・、怖くなかったのか?」

 

「だいじょうぶ・・・、あたし、臆病だもの・・・、ほんとはね・・・、御役目のときは、

いつだって怖くてたまらないの・・・」

 

「・・・・・・・・」

 

「でもね・・・、あたしが負けたら・・・、もっとたくさんの人が犠牲になる。

その中には、あたしの大事な人たちがいるかもしれない

・・・だからね・・・負けられないの」

 

淡々とした言葉の中に、垣間見える強い決意・・・だが、みなほの表情には、

いつものように、気負いも、力みらしいものも何ら伺えない。

 

幼いころから、重度の喘息という持病に苦しめられてきた、この少女は、

自分が弱いことを、充分に承知している。

 

 

・・・みなほの戦いは、常に静かな覚悟の中にあったのである。

 

 

「だいじょうぶ・・・・ずっと、イサハヤが護ってくれるもの・・・・

今度も、きっと・・・うまくいくと思ったから・・・」

 

絶対の信頼に満ちた、淡い色の澄み切った瞳・・・その中に映る自分の姿。

イサハヤは圧倒されたように動けなくなった・・・

 

・・・この豪気な無形の神霊ともあろうものが。

 

「まいった・・・、わかったぜ、みなほ・・・、けど、あんまり背伸びするんじゃねえぞ!

おまえの後ろにはいつも兄貴たちがいる・・・そして、おまえの横には、いつだって

オレがいるんだ!」

 

「・・・うん!!」

 

みなほは、満面に極上の微笑みを浮かべた。

イサハヤは、それに・・・、初めて愛したあの少女の面影をそっと重ねていた。

 

 

そのニ人の様子を、背後から微笑ましそうに見詰めているみづきたち。

みなほとイサハヤ・・・、この奇しき縁で結ばれた二人の戦いの日々は尚も続くのである。

 

 

 

(第三夜・・・了)

 

 


 

 平山さんに感想と続編の要望を!

 

 

 

 

 

 


そして、管理人より久しぶりに平山さんへ・・・image B.G.M."MIDUKI"