けほっ・・・けほっ・・・
荒くなった息に、時折絞り出すような咳が混じる。
喘息発作・・・保健室のベッドに蹲ったこの少女にとっては、そう珍しいことではない。
その傍らで同級生らしい少女が二人、心配そうに見守っている。
(・・・辛そう、このか細い女の子はいまにも自分たちの目の前で・・・)
眼鏡をかけた色白の少女が、ふと過ぎった不吉な想像を慌てて頭を振って追い払う。
隣に座っていた少女が、その大袈裟な素振りを横目にして思わず苦笑する。
こちらは伏せている少女とは対照的な、日焼けした肌の健康的な少女である。
だが、ベッドに視線を戻すと、さすがにその快活な表情も曇ってしまう。
(・・・以前よりは回数は少なくなった・・・元気な時は修行してるって言ってたし・・・)
この少女の呆れるほど生真面目な性格から考えても、その言葉に嘘は無いはずである・・・
確かに、出遭った時に比べれば、だいぶ健康になったように見える。
だが、重度のアレルギー体質は、そうそう簡単に克服出来るものではない。
アレルゲンに接触すれば、いかに元気に振る舞っていようが、実に呆気なく発作に陥ってしまう。
(特に、この少女の場合は、重度の寒冷アレルギーであるために逃げ場というものが無かった)
二人の少女は、傷ましそうな表情で、呼吸不全に苦しむ眼前の少女を見守っている。
その内、彼女らの想いが通じたのか・・・徐々に発作止めの噴霧薬が効き始めたようである。
少しずつ呼気が落ちつき、少女の苦しみが和らいでいくのがはっきりと見てとれる。
「ああ、よかったあ・・・」
「少しは強くなったと思ったけど、まだまだ季節の変わり目とかは駄目だな・・・」
安堵する二人の少女・・・その時、慌ただしく保健室のドアが開いた。
「ひっ!!」
気の弱そうな眼鏡の少女が驚きの声を漏らす。
日焼けした少女は、気丈にも、強い意志の篭った瞳で入ってきた者たちを見返した。
「・・・名代様、お迎えに上がりました」
黒ずくめの屈強そうな男たちが数人、少女の伏せているベッドの傍らに整列する。
その丁寧な口調や、折り目正しい物腰が無ければ・・・まるで人攫いに来たギャングのようだ・・・と、
TVなどで得た知識で、不謹慎ながら、少女達は勝手にそういうイメージを抱いていた。
「・・・・判りました。すぐに参ります・・・・」
ベッドに伏せていた少女の応えは、年齢に似合わぬほど落ち着きを持ったものに変わっていた。
力無い足取りで立ち上がろうとする・・・が、まだまだ身体を動かすには、酸素の供給が不足していた。
「・・・失礼」
先頭の男が、無駄の一切無い動作で歩み寄り、倒れ掛かるか細い身体を瞬時に抱き上げた。
「みなほちゃあん、大丈夫ぅ!?」
「みなほ、そんな身体で一体何すんだよ・・・やめろよ、死んじゃうよ!!」
振り絞るように声を出す少女達。
「・・・・ありがと、しおりちゃん、さゆきちゃん・・・・・でもね、これから、お仕事なの・・・」
「ええっ・・・何だって!?」
「・・・・あたしにしか・・・出来ないお仕事・・・・ごめんね・・・」
暗 夜 無 拍 子
第二夜"The Dual Concert"
BY 平 山 俊 哉
西暦2001年・・・人類は新たな刻の流れの中に、その足跡を刻み始めた。
前世紀末期、何かと暗示され、終末を匂わせたモノらは・・・、
新しい時代の勢いに、完全に拭いさられたかのように見えた。
ところが・・・新たな都市伝説として、最近、無視し得ぬ現象がクローズアップされ始めた。
無明の巷に跳梁する人ならぬもの・・・即ち、妖(あやかし)たち・・・
まるで、新しい時代には、新しい歪み、新しい闇が必要であるかのように・・・
目撃例や怪現象に遭遇した者達の体験談が、何時からか人々の口の端に上り始めていた。
無論、現在のところ、そのような胡乱なものを、大袈裟に焚き付けるのは、
生臭い話題に餓えた三流マスコミ程度のものだった・・・
通常の場合、人は常識や理性で語れぬものを、無意識に否定し、忌避する性癖を持っている。
だが、そのような・・・人の本能に近い思いを嘲笑うかのように・・・
この国の水面下では、確かに様々な怪異が巻き起こっていたのである。
じじじじ・・・・
肉が焦げ付いたような匂いがスタジオ一杯に広がっている。
ほんの少し前まで・・・ここ、東都テレビの第3スタジオでは、夏向けの深夜怪奇番組、
「25時奇譚」の収録の真っ最中だった。
照明が消えた、薄昏いスタジオの中心に、何かうず高く盛り上がっているものがある。
高い熱量を所々に含んだそれは・・・・焼け焦げた人間の肉、死体の山だった!!
その上に、薄い靄のようなものが漂っている・・・
それは揺らめいたかと思うと、再び凝り固まり、その度、奇怪な姿を誇示するように現れる。
空洞の様な窪みに、瞳とも何ともつかぬものが、対峙した最後の生者をしっかり見据えている。
(・・・馬鹿げてる・・・一体何なんだよお、こりゃああ!!)
就職浪人の末、ようやく念願のマスコミに就職し・・・下っ端のADから這い上がろうと
していた若者は、ただ茫然と立ちすくんでいた。
(どこの誰が、こんなことの責任をとれるっていうんだ!!・・・こ、こんな馬鹿げたことでよ
・・・・いっそのこと、狂っちまったほうが、まだマシかもしれねぇや)
凄惨な怪異と、ストレスや疲労の溜まった日常・・・そして、不回避の責任問題が内側で攻めぎあい、
確かに、この青年の感覚は、少々おかしくなっているのだろう。
目の前に自分の生命を危うくする、何か得体の知れないものがいるというのに・・・
(インチキくせぇ・・・今は、肉の山に成り果てた自称霊能力者のばあさんが、この国では、
千年に一度、あやかし共が力を得て猛威を振るうというと言ってたっけ・・・)
区画毎が、巨大な結界として機能するように設計された名高い京の都・・・
世界にも例の少ない、霊的結界都市・・・平安京は、それを見越して作られたとも・・・
番組そのものは、確かに、下世話で興味本位の意図で企画されたものであった・・・
だが、そこで語られる言葉の中には、確かな真実が混在していたのである!!
靄の塊が、何か得体の知れない触手のようなものを伸ばしながら、徐々に青年に近付いていく。
(え・・・し、死ぬのかよ・・・このまま・・・?)
青年は、スタジオに響く無様な叫び声が、自分の口から放たれていることに、まだ気付いていなかった。
その時!・・・勢い良くスタジオのドアが開き、飛び込んでくる人影があった。
まるで子供のように短躯の・・・いや、正しく少女そのものである。
上品な造りの花簪と金冠を小さな頭に乗せ、萌えるような桜色の上衣と緋袴で身を包み、
その肌は透き通るように白く・・・瞳の色は、淡く澄んでいる。
これは一体?・・・あるいは、妖物以上に、この場には似つかわしくないものかも知れなかった。
(ま、まるで、花の妖精じゃないか?・・・なんだって、こんな娘がこんなところに!!)
華奢な身が翻ると共に・・・涼やかな鈴の音と、清々しい花の香が周囲に満ちていく。
まるで、周りの目に見えぬモノたちに、自分の存在を知らしめるかのように・・・
少年のように凛として、整った顔立ちには、並々ならぬ強い意志が篭められている。
(違う!・・・・これは・・・・よ、妖精の戦士!?)
ぐげげげげ・・・・
少女を己が敵と見なしたものか・・・妖物の姿が徐々にくっきりと浮かび上がる。
同時に奇妙な紐のようなものが、少女に向かって一直線に伸びていく。
(あ・・・あれには確か、強い電流が・・・カメラマンの田黒が殺られたやつだ!!)
「う・・・あ・・・うう!!」
必死に警告しようとする青年・・・だが、青年は、ただ、それだけしか言葉に出来なかった。
(な・・・情けねえぇ!!)
だが、少女はそれだけで青年の意が通じたかのように、一足飛びに距離を取ると、
純白の腰帯に挟んだ、奇怪な意匠の付いた護刀の一振りを、流れるようにすっと引き抜く。
それを舞うような素振りで、ただ前に翳すだけで、危険な触手は弾けるように反り返っていく!!
古より国家規模での霊的守護を司ってきた護霊部家に伝わる、
妖物の物理的攻撃を制する護刀・・・名を骨噛丸(ほねかみまる)といった。
(ば、ばかナ、読めヌ。・・・・・何モ感じヌ。・・・タ、たかだかヒトの技が、ワレを欺くカ!?)
妖物が激しく身を捩ってうめく・・・それは、眼前の少女の力を軽視し得なくなった証である。
少女は音もなく一気に距離を詰めながら、もう一振りの護刀・・・こちらは、流麗な造形の霊刀を抜く!
邪悪な霊的存在の力を完全に封じ込めるといわれる霊刀・・・その名を魂伏丸(たまふせまる)!!
「げええええええええーーーーーっ!!」
その場に居合わせた青年は、確かにこの世のものならぬ声・・・それも絶叫を耳にした。
自分ではまだ気付いてないが、鼓膜が破れ、耳から血が流れている・・・
霊的現象の一つとして名高い、絶叫(シュリーキング)現象である。
「わ、我の・・・千年もの間、蓄えしチカラ・・・このような・・・小さき者に、封じられるという・・・カ?」
妖物は激しい火花を発しもがき苦しみ、・・・・やがて、宙のなかに溶け込むように消えていく。
(や・・・やったのか!?)
青年は、奇怪な妖物を、この地より退けた少女・・・護霊部みなほの方を改めて見遣った。
(違う・・・逃げた!?)
感じた。・・・確かに気配が別れた!!・・・妖物は既に遠く離れたところにいる!!
みなほは、彼女が最も信頼しているパートナーに追撃を任せた。
「逃がさないで、イサハヤあああああっ!!」
みなほは、そう叫ぶと、精も根も尽きたようにその場に崩れ落ちた。
護霊部家に伝わる退魔行の極意、無拍子の技は、この幼い少女の生命力そのものを
激しく燃焼させるものだった。
「あ・・・お、おい、君!!」
まだ年若いAD・・・矢矧順一は、ようやく正気に返ったように、行動の自由を取り戻した。
そして、耳の激痛も忘れて、気を失った少女の傍に慌てて駆け寄っていった。
ここは、K県の廃材集積所・・・妖物は、何とか逃げ果せたことを確信した。
廃材とは言うものの、実際は、まだまだ使用に堪えるものばかりである。
過剰なまでに物質が供給され、それを食い潰すことで、現在の消費社会は成立している。
それが、このような歪みを多く生み出しており、妖物の温床となるのである。
この妖物は、己の霊体の一部を、電気信号に変換し、いちかばちか逃走を試みた・・・
そして、それは、まんまと図に当たったのである。
リサイクル用品の通電テスト中に、一台の古いパソコンの中に潜り込むことが出来た。
その正体は”器物の怪”・・・そして、名を”餓樂”という。・・・いわゆる付喪神の一種である。
「くくくく、とうとう逃げ果せたぞ・・・あの恐るべき護霊部の手の者からな・・・」
この旧い妖はようやく思い出した・・・・過去に於いて、あの恐るべき妖狩りの一族が
獲物を捕らえ損ねるなど、そうそう滅多にある事ではなかった。
「ふふふ、くくく・・・・人の造りしからくりか、何とも小賢しき限りじゃが、
その進歩の目覚しきこと、それは認めねばなるまいて・・・・・くふふふふ。
このまま、あと数十年も闇に潜み、その時にこそ、からくりの力を存分に利用できさえすれば・・・
護霊部の者など怖るるに足らず!!・・・くくく、何とも楽しみなことよ・・・・」
ひとまず、賭けに勝ちに収め、この妖物は大変な上機嫌だった。
「バーカ、てめぇはもう終わりだ!!」
突然、何も無い空間から聞こえてきた、若々しい声が妖を罵った。
「てめぇの手口なんぞ、とっくにみなほにバレてんだよ。護霊部の名代を侮るんじゃねえ!!」
小さな影が浮かび上がり蜻蛉を切る・・・それは見る間に人間に・・・
それも怜悧な美貌の少年の姿に変化する!
「そ、そういう貴様もあやかしではないのか!?・・・おおおのれぇ、人間なんぞに・・・
それも護霊部の術者なぞに飼い慣らされおって・・・、裏切り者が、恥を知れいっ!!」
「あははは、このアホウが、・・・なーにが裏切り者だ!!
オレ達、妖(あやかし)が、連帯なんぞという上等な意識を持つわけが無かろうによ!」
”餓樂”の問いを、痛烈に笑い飛ばす美童・・・その凄まじい胆力は、無論人間の物ではない。
「ましてや、オレはみなほに隷属しているわけじゃねえ!!
己が在るまま、思うがままに振る舞ってこその妖じゃねえのか!?」
「で・・・では、貴様は己が意志で・・・あの小娘に付いていると!?」
「おおよ!!・・・だとすれば何とする!?」
「おおのれええっ、木っ葉妖怪めが!!・・・衰えたりとはいえ、我が付喪の神なる力、
思い知らせてくれようぞおおおっ!!」
「けっ、血迷いやがって・・・見れば結構旧い妖のようだが、このイサハヤを忘れるとはな!!」
イサハヤは微動だにせず、妖物が飛び掛かってくるのを悠然と待ち構えていた。
その瞬間から・・・”餓樂”は、奇妙な感覚を覚えていた。
まるで、自分の胸の内を見透かされているような・・・
(・・・・イサハヤ・・・イサハヤと言ったか・・・ま、まさか!?)
その名は単なる妖の名などでは決して無かった・・・自分など比較にならぬほど旧き・・・神!?
そして、今、目の前の美童の姿が、見る見る別の・・・奇怪なものに変化していく。
この”器物の怪”の最も怖れるもの・・・荒ぶる”雷精”の姿に!!
「忘れたか?・・・イサハヤは、定まった姿を持たぬ神と・・・」
どこからか、あの美童の声が聞こえて来る。
「ううっ、ま・・・正しく、イサハヤとは・・・あの!!」
それは、今や確信となった!!・・・何という、何というモノを、自分は相手にしてしまったのか!?
「そう・・・そしてイサハヤは、相手の内なる怖れを読む・・・と」
伝え聞く”サトリ”の技・・・だが、それだけが全てでは無い!
「そ、そして、そのものに化身する者・・・ゆえに彼の神に敵無しと!!!」
(か、勝てぬ・・・このようなとてつもない存在相手に、如何に勝つ手立てがあろうか!?
な、何故に、この様な力ある神が・・・人間の小娘などの味方を・・・!?)
「その通り!!・・・さあ、覚悟はいいな!!」
今や、完全に”雷精”と化したイサハヤが、凄まじい電撃の渦を放つ!!
「ぐおおおっ・・・うわあああああああーーーっ!!」
1000年の時を経て、生き長らえた”器物の怪”が、忽ちその中に呑まれた。
自分自身を模る記号の記憶を、霧散させながら・・・”餓樂”は、この世から完全に消えさった。
(ちっ、あの馬鹿・・・最後までわかってなかったな・・・
だからこそ、あやかしは護霊部の技には勝てねぇんだ。
心も何もかも無にして・・・ただ、ひたぶるに戦う娘たちにはな・・・)
みなほの前では、決して表面に出すことはないが・・・
イサハヤは、実はそのような人間の姿にこそ、深い興味と代え難い価値を感じているのである。
(みなほか・・・あいつのあの才能、・・・護霊部の開祖を思い出させるな・・・。
ま、もっとも、あの域に達するにゃあ・・・・せめて、あの弱っちぃ身体をなんとかせにゃあならんか)
「イサハヤあああーーっ!!」
どれだけ距離をおいても、護霊部家の術者が、己と契約を交わした精霊を見失うことはない。
みなほは、ここまで愛車に乗せてもらった、あのADの青年、矢矧順一にぺこりと頭を下げると
息を切らしながら、懸命にイサハヤの傍らまで駆けよった。
この身体の弱い少女にしては、だいぶ無理をしているが、そんなことに構うことは無かった。
「おう、終わったぜ・・・みなほ」
暁の空を背にしながら、無形にして無敵の精霊が、不敵な笑みで駆け寄ってくる少女に応えた。
(第二夜・・・了)
そして、管理人より再び平山さんへ・・・image B.G.M."WAZA"